第7話  カクセイスト 

 カクセイストって何じゃらほい? 誰もがそう思われることでしょう。

それはちょいと洒落の好きな私の娘の、ふと思いついた造語なのですから分からないのは当たり前のことです。


 その造語が出来たきっかけと、その使い道をご紹介いたしたいと思うのですが、何しろそんな大したことではない上に、な~んの価値もないものですので、中々どうでしょうとは言いにくいものでして。 けれども、自分では結構気にいっているので、よろしければお付き合い下さいませんか。



 私は小学校の卒業文集で、将来の夢を童話作家と書いたのです。当時の子供達はほとんどが、先生とか看護婦さんとか野球選手などでしたから、童話作家なんて何かっこつけたことを言ってるのか、と思われたかも知れません。

 当の私自身だって、特別に本が好きだとか作文が得意だったとかいう訳でもないのに、なぜ書いたのだろうと後年になって、ちょっと理解に苦しんだくらいですから。


 「フランダースの犬」に涙したり、「幸せの王子」に感動したりと感受性はちょっぴり豊かな子だったかも? そんな程度なので、やはりどう考えても(A)C・・(これとっさに思いついた駄洒落で「ええかっこしー」のことですが・・あ、すみません。無理にお付き合い下さっているのを忘れていました)の私だったからとしか思えません。


 

 さて見栄っ張りな卒業文集のことなんか、すっかり忘れていた50才近い頃、衰退する技術立国日本を憂い、(とは真っ赤なウソですが)日本の工業技術の発展に貢献した町工場が、徐々に姿を消していくのを残念に思った私は、Y新聞社の投稿欄に意見を送ったところ、採用されました。


 自分の文章が新聞の活字になって喜んだ私は、次に原稿用紙1,2枚ほどの読者の投稿欄に投稿してみることに。 そこでは夫達が町内の気の合う仲間達で「噺家ごっこ」をしている様子が、2度紹介されました。



 さあこうなると、更に調子に乗った私は、今度は何気なく書いた童話を読んでもらいたいという大きな望みを持つようになりました。ある出版社に送って見てもらうと「全国の学校図書館に置いておきたい良い物語ですね」という批評が届きました。    嬉しがり屋の私はすっかり舞い上がってしまいましたが、ここはひとつ冷静にならねばと考えて、お褒めの言葉は出版社の自費出版のお勧めなのだからと、気持ちを静めることにしました。



 そして今度は毎年大手の石油会社が公募している童話大賞に、目標を絞って投稿することにし、3,4回試してみるうちに、1度だけ入賞することが出来ました。でも残念なことに奨励賞ですから物語は載せてはもらえません。可愛い挿絵のついた立派な作品集には、奨励賞・・私の名前・年齢・住所だけの紹介でありました。

 

 送られてきた20冊の名前だけ載った作品集と、立派な賞状《盾)は私の宝物となりました。もうこれが限界とは思ったけれど、奨励されたからには励まねばなりません。お気楽でちょいと律儀な私は、無駄な努力とは知りながらもせっせと創作に励みました。



 世の中のバブルが弾けると、50年近くも続いた夫の町工場はたちいかなくなり、私達家族の生活は激変してしまいました。でもどんなに困窮して大変な時であっても、私は想像の世界で遊びました。やがて義母のお世話をするようになってからも、同じように想像の世界は良い逃げ道や隠れ家となって、私を楽しい気分にさせてくれました。



 しかし、義母を見送ったり夫が大病したり引っ越しをしたりの手強い現実は、楽しい空想の世界で遊ぶことや、隠れ家へ逃れる余裕も与えてはくれなくなりました。そんな状況が何年か過ぎると、やっと落ち着いた生活を取り戻すことが出来るようになりました。でもそれは療養中の夫の健康を気遣いつつ、必要最低限の家事をしてひがな一日テレビを見る、ただそれだけの毎日です。


 平凡で単調な日常は何の刺激もなく、それを何よりの幸せと感じられる私を、おめでたい人だと娘は笑います。出不精だしグルメでもなく、欲しいものだって何もない。このまま平穏に人生が終わってくれたら言うことなし、と心底思う私なのです。



 ある日、いつものようにテレビで暇つぶしをしていると、何故かふと今まで書いたものを誰かに読んでもらいたいなという気が起きました。でも誰が読んでくれるでしょう。そう思っている時に投稿サイトの存在を知りました。思い切って投稿してみると、何だか嬉しい気持ちでワクワクしてきて、書き溜めていた物の発表だけではなく、更に何かを新たに書いてみたいと思うようにもなりました。



 十数年ぶりのことですから、何をどう書いたらいいのか迷います。アイデアを考えたりどうやったらちょっとはマシな文章が書けるだろうかと頭をひねります。もともと出来が良かった訳ではないうえに、大部さびついた頭は中々うまく働いてはくれません。


 PCに向かい奮闘している姿を見て、娘は何か変化を感じたようで、私が覚醒した、良い傾向だと喜んでくれます。ものを書くことは認知症の予防にもいいでしょう。記憶を呼び起こしたり、思いついた事柄を忘れないようにする訓練にもなるでしょう。ああだ、こうだとこねくり回して、脳を活性化させているようだ、とも言ってくれます。


 そこで娘は私に、エッセーを書いて覚醒する、「エッセイスト」ならぬ「カクセイスト」におなりなさい、と笑いながら言うのです。

そこで 今回の「ローバの充日」は

 ローバは かくして かくことにより かくせいし かくせいすとに なりました、とさ。

で締めたらどうだろうと、二人で笑いあいました。


  誠にのせ上手な良き相棒により、益々活性化に励み覚醒し、いっぱしのカクセイストを目指そう、そう思った単純な私なのでありました。


 ところが後日、「カクセイスト」の原稿が出来たよと報告すると、それって何のこと?と言うではありませんか。酔っぱらっての発言を覚えてはいないのです。私を喜ばせ上手く生き甲斐へと後押ししてくれたこの造語は、毎日の仕事疲れを晩酌で癒す「親父の如き娘」の単なる「親父ギャグ」にすぎなかったのです。全くもってガッカリです。


 また今夜もちょいと一杯から始まり酔いつぶれ、其処らへんで寝ている娘をたたき起こす大変な日課が待っています。が、もしかしてこのカクセイストなるものは、酔った親父もどきの娘を覚醒させる私への、カタカナで書いたお洒落な造語なのかも知れません。


 今回もまた、本当にな~んにも役に立たない造語の話に、おつきあいさせてしまって申し訳ありませんでした。

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