第6話 動物いろいろ、からの~ブタの餌のお話

 中学生の時、何人かの友達に「うま」と呼ばれた。馬面と評価される程の顔だとは思わないが、やや細面で長いなあと思われたのだろう。 からかわれたり、いじめられたりの嫌な思いは全くしていないから何とも思わなかったが、ただニックネームを考えるのに、センスも頭の良さも感じられないものだなあ、とは思った。


 高校へ行くと、苗字から「つる」とか「つるさん」と呼ばれるようになった。これも可愛らしさや乙女チックさなどとは程遠いもので、有り難くも何ともない。


 更に大学になると、今度はちょっとだけ昇格して「つるちゃん」となり、落研での名前から「ちどりちゃん」と呼ばれることもあった。これは先輩から貰った芸名(私は話はやらず、もっぱら聞くだけ)で、けっこうお気に入りな呼び名であった。



 「ちどり」という中々洒落た名前の名付け親は、後に私の夫となった。夫の芸名は「つけ馬」といったから、遠い昔にうまと呼ばれた私とは、まんざら無縁ではなかったのかも知れない。


 その馬さんちに嫁ぐと、こんな世間知らずの我がまま娘でもウエルカムで迎えてくれて、義父は「ほらきみちゃん、これ旨いぞ」と酒の肴をすすめてくれ、義母は私の田舎の食卓には出てこないような、まったりした甘辛いおかずを「美味しいから食べて」と食べさせてくれた。その上義母は薦め上手で「これね、こうだから、ああだから、とっても美味しいのよ、だからほれほれ・・」の解説まで付けて、たらふくごちそうしてくれた。



 そんなこんなで何年か過ぎると、可愛いちどりは太り気味の鳩のようになってきた。実家に帰省すると、娘の変化を幸せ太りと解釈し大いに喜んだ母だったが、太り気味の鳩は、優雅さとはかけ離れた品のない鶴になり、飛べない鳥、満腹のペンギンへと変身すると、さすがに「昔はすらっとして、姿はよかったのに・・」と嘆くようになった。



 この嘆きの一因には馬さんの優しさが仇となったことがある。私が何を食べても美味しそうに食べる様子を見ては喜び、その嬉しそうな顔をおかずに飲んでいたようでもある。


 しかし次第に「うまそうに食うよなぁ。でも俺、正直なところ女がこんなに飯食えるとは思ってもみなかった・・」と食い気にはまる女房に、やや呆れ気味になってきた。


 食い気は仕方ない、ならば色気はどうだ?となれど、これもまた皆無で、「お前と飲んでいてもレンガ塀に夕日の当たったような顔をして、色っぽさなんて何処にもないやな 」 そんで「あ~ら私ちょっと酔っちゃったかしら、なんて頬がポ~ッと赤くなって・・なっ、そんな女とさしで飲んでみてえ~」と変わっていった。


 確かにそれには納得だ。私ときたひには好きでもないお酒にただ付き合って、ウイスキーをロックでグイグイ飲んでケロッとして、情緒も何もあったもんじゃない。ゆったり味わいながらの人には興ざめに違いない。 申し訳ないなとは思いながらも体重は増える一方で、よし、ならば目標なりペナルティーなどを考えてみたらどうか、と決心した。


 「さあ減量だ。60キロを過ぎたら離婚だぞ」 

しかし目標はあくまでも目標でしかなく、ペンギンはとうとうブタに変身してしまった。これはまさにファンタジーや童話の世界だ。いやミステリーか、いやいやホラーのジャンルに相違ない。そのホラーの世界の妖怪ブタと闘うのかと思いきや、又しても優しい馬さんは「70キロまで待っててやるよ」と言ってくれる。


 

 かくして安心しきったブタは今日もまた何でも美味しくいただいて、幸せな毎日を送っている。そんなブタの親には似ない細身の娘は嘆きます。たまに料理をして感想を聞いても「おいしいおいしい」と旨そうに食べるだけで、気の利いた返答もないから腕が上がらないのも無理はない、と。


 孫は孫で「ブタが餌食ってるみたいだよ」と馬鹿にする。 それにはさすが黙ってはいられない私は、大いに反撃をする。美味しくいただけるのは有り難いこと。旨いまずいを言わず残さず食べることは大事なこと、と。そして私の子供の頃の話をひとくさりする。



 近所には何軒かブタを飼っている家があって、ブタ小屋に残り物を持って行っては食べるのを見るのが楽しかった。食べ残しのトウモロコシやスイカの皮などをほおり投げてやると、バリバリ音をたててあっという間に食べてしまう。大好きな光景であった。


 また家々をまわってブタの餌を集めて歩く人が何人もいて、その中に私の通っていた中学校の先生がいた。弟の教育費の為にと教師の傍ら餌集めをしていたが、東大合格への道は険しく我が家への通いは何年も続いた。食事が済むと家中で残り物をきれいに集め、適当な仕分けには「こんなものをブタが食べると思うのか」と律儀な父の点検はそれは厳しいものだった。



 今、食品ロスが社会の問題となっている。テレビなどで廃棄される山ほどの食品を見る度に、みんなで懸命に餌集めに協力していたことを思い出す。毎日こんなに沢山のエサがあったらどれほど先生は喜ぶだろう。弟が5浪までしたとの噂を聞いたことがあったから、あ~あれを先生に~と心の中で叫んでいる私なのだ。



 さて可愛らしい小さな千鳥は鳩になり、鶴となってペンギンとなりブタになって、更にここ何年かでトドとなった。優しかった馬さんは昼寝をして横たわっている私を見て「海辺に打ち上げられたトドかと思ったよ」と笑った。寝そべる姿はまるで人魚のよう、なんて歯の浮くようなお世辞を言わない、真実の人だ。写実派の芸術家かも知れぬ。



 われ思う。ブタはブタでも、私は考える賢いブタでありたいと願う。老いさらばえ無様な格好になったこのブタのローバは、まだ社会問題に少しでも関心をしめせる人でありたい。私の食べる様がブタであろうと、食べるものがブタの餌の如くうつろうとも、幸せであったらそれが何よりではありませんか。


 

  さあ、長々とここまで来てしまった。落語だったらどうオチを付けようか。

「馬から始まって駆けて行って馬さんと出会い、うまがあって一緒になりうまく人生を歩いて、今日もローバは充日なり・・」 と締めくくろうと思う。


 おあとは余りよろしくはないでしょうが、トンでもなくつまらない、こんな話にお付き合い下さって、誠に誠に有難うございました。

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