第24話  思い込み

 寄ってたかって、の後に続くのは「いじめる」とか「非難する」等の、余り良くないイメージの言葉しかないと思っていました。でも必ずしも悪いことだけではないそうです。因みに「たかって」は「集って」という漢字だそうで、「寄って集って」は「大勢が一緒になって」ということになります。その寄って集っての後に(余り馴染めないかも知れませんが)可愛がってもらったという言葉を付けたいな、と思える程の過ごし方をしていた頃がありました。


 

 私が生まれたのは昭和22年。戦争は終わったけれど、今のような豊かな世の中とは、ほど遠い時代でありました。そんな中、2人の兄と3人の姉のところに、末っ子の私が加わりました。8年ぶりということと40才の母親の子供ということで、特別な感じで迎えられたようでありました。

 

 私の故郷の方言で、「あまさり」「なきみそ」という言葉があります。甘えん坊、泣き虫という意味ですが、寄って集って可愛がってもらったせいで、私はあまさりで泣きみそな女の子になりました。


 特に豊かな家庭だった訳でもありませんが、皆に可愛がられて珍しい玩具や、当時は皆が着ていないような可愛い水着など、あれやこれやと買ってもらい、家のお手伝いもほぼ免除で、たまに簡単なものをやる位のものでした。2人の姉が洋裁や編み物を習っていて、たくさん作っては着せられておりました。


 我が家で特別扱いされていた私は、6年生まで母の懐に潜るようにして寝ておりました。中学生になっても朝起きるとその日に着る洋服は、布団の横に用意されてあり、自分で何かをするということをしませんでした。いとしげだ(愛しげだ・かわいらしい)、素直でいい子だ・・という誉め言葉をいっぱい貰って、何でも他人まかせな「思い違いの私」が出来上がりました。


 

 思い込みで出来た「思い違いの私」を気付かせてくれたのは、さらりと放った次男の言葉でありました。「父さんは昔からかっこ良くてハンサムだなぁと思っていたけど、こんなに年とっても変わらずかっこいいよね。でも母さんは・・・」  

言葉の後に「でも」が付けば、言うまでもなく反対の意味になりますからねえ。


 異議あり!と私はむきになって、一生懸命に反論いたしました。小さい頃から皆がかわいいと言ってくれてたこと、中学時代にはちょっとはもててもいたこと、高校でだって・・・と写真を出して見せました。でも息子は「裸の王様」に登場する無垢な子供のように、平然と意見を述べるだけでした。


 そう言われてようく見れば確かに、少女時代の写真も若い母親時代の写真も、なるほど息子の言う通り、どう贔屓目にみてもこれはと言うほどのものは見当たりません。並んで写る義弟のお嫁さんのかわいさは、まるで芸能人かのようです。これがきっかけとなって、家族の皆からかけて貰っていた「愛しげな子」という言葉の魔法は一気に解けてしまいました。


 初孫だった娘は、家族揃って可愛い可愛いと言って育てましたから、私と同様にずっと思い込みで過ごしてきておりました。しかしバイト仲間や友人達から、「ハンギョドン」とか「ウナギイヌ」などのニックネームで呼ばれたり、お客さんから「明菜ちゃんに似てるわね、不幸オーラでソックリよ」などと言われて、思い違いに気付かされることになりました。「まあまあ、こんなに苦労して・・頑張ってね」などと励まされるのですから、もうガッカリです。


 我が家がまだ経済的に豊かだった頃に言われたのですから、いくら細い体を見ての発言だとしても、娘がこぼすのも無理はありません。大好きだった祖父がいつも娘に言ってくれていた「○○は美人だ。美人でめんこい」という言葉や、私が肉親に言われてきていた甘い言葉はどちらも、己の現実を正しく見る目を閉ざしてしまうものだったということのようです。


 しかし、ものは考えようで、思い込みの素となるその愛情いっぱいの言葉が、プラシーボ効果となったお蔭で、顔や容姿を気にかけたり悩んだりすることなく、明るく過ごしてこられたのかも知れません。

そんなことを娘と話していると、孫の××だって、ナルシストなんてお洒落な形容が勿体ないほどの、「極上の勘違い野郎」じゃないかと意見が一致です。


 娘は自分の子供が小さい頃、他人から誉められた時の為に、幾つものお礼や謙遜の言葉を用意しておりました。なのにお世辞にもただの一度だって「可愛いですね」なんて言われたことがなく、かけられる言葉は「元気そうね」とか「丈夫そう」とかばかりで、とても残念だったと悔しがります。


 そんなお褒めの言葉とは無縁の子供だったにもかかわらず、当の本人は「俺って案外いけてるんじゃない? かっこいいよなあ」などと平気で言って、こっそり鏡を見ながら一人で喜んでいます。使われることのなかった謙遜の言葉を用意していた娘も、ただ眉毛が濃いだけなのに菅田将暉似だと喜んでいる孫も、親子揃っての思い違いの人なのでありました。


 実は皆のこんな「思い違い」を気づかせてくれた次男だって、男前で若く見えると己惚れているけれども、単に童顔なだけだと思うし、似合っていると誉められている髪型だって、くせっ毛を悩まないようにと気遣う母心からなのを知らないんだもの。そうとなればこの単純な彼だって、立派な「思い違いの人」の仲間入りなのであります。


 何だかんだと言っても、ローバを始めとして我が家はみな、思い込みの勘違い一家なのであります。無理やりプラシーボ効果などと理屈付けたこの思い違いは、自分が恥ずかしい思いをするだけで、他人を貶めるものでなければ許していただけるだろう。そう苦しい言い訳をしながら、見えない誰かに恐る恐る許しを乞うローバなのであります。

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