第50話   いつの間にか

 いつの間にか「ローバの充日」が五十話目となった。一話づつの積み重ねが、こんな数までになるとは思ってもみなかった。きっかけとなったのは、平凡な日常の中で何気なく書いていたら、童話が数編と小説らしきものが一篇出来上がったことからだった。折角だからと身近の三~四人に読んで貰って、ただそれだけで終わりとなる筈だった。それが投稿して色んな方に読んでもらえると、何かもっと書いてみたいと思うようになって、「ローバの充日」をスタートさせることになって今日までお付き合い頂いてきている。



 今から三十年近く前、Y新聞の投書欄に自分の意見が載ったことがあった。この意見を区議会で取り上げたいと言っていると、近所に住む区議会議員の奥さんから聞かされて嬉しかったのを覚えている。その後に時事川柳が一句とちょっとした話題の投稿が二度採用されたら、すっかり気を良くして書くことが楽しくなった。でもだからと言って特に何かを書こうとすることもなく、それだけのことで終わって何年かが過ぎた。

 

 ある時、通学路になっている我が家の前を、両足にギブスをし両手には金属製の杖の小学生が歩いているのを見かけた。毎朝の花の水やりをしながら、その少年が一歩づつゆっくりゆっくり歩いている姿を見送っていると、ちょっとした物語が浮かんできた。学校でのいじめが大きな問題となっている時だったので、この少年はいじめられてはいないだろうか、と気になって仕方なかったお節介心からの「二匹のハチの物語」だった。


 その初めて書いた物語を無謀にも応募してみると、「全国の学校の図書室に置いておきたい良い作品ですね」という評価の手紙と編集者からの電話を貰って、すっかり舞い上がってしまった私だった。が、何のことはない、冷静に考えたらそれは単なる出版を薦める営業の言葉だと分かった。それはそうでしょうと納得し、これは初めて書いた記念の物語ということで終わった。



 その何年か後に「猫の手」が出来た。バブルが弾けて倒産し全てを失くしてしまった夫に、エールを送るつもりで書いたものだ。苦境にもめげることなく小さな借り工場で、僅かばかりの機械を使って仕事を続ける夫の所に、ある晩一匹の猫が迷い込んできた。たった一人で深夜まで頑張って働く夫と迷い猫を物語にした。そしてもう一編、人生の荒波を泳ぎぬく力を金魚に託して「泳ぎぬくぞ」も書くことが出来た。



 窮乏生活の毎日ながらものんびりと暮らしていたところに、認知症の義母との同居が始まった。三歳の孫と義母の遊ぶ微笑ましい姿を童話にしたり、介護で疲れると空想の世界に逃げ込んで、そこで思いついたことを童話にして随分と楽しく過ごした。

そして環境問題がしきりに取り上げられている頃に「初夢」や「森からの手紙」が出来て、偶然にもその二作は環境問題に、ちょっとばかり沿えたようなものになった気がする自己満足作品となった。



 数十年も昔のことだが、まるで嘘のような本当の話とはこんなものを言うのか、と思われることがあった。幼い二人の子供を残して逝った姉が亡くなるほんの少し前のこと。母親の帰りを待っていた子供に、危篤状態だった筈の姉が会いに来たという。そんな馬鹿なことがある訳がないと母は孫に言い聞かせたが、嘘ではないとあまりにも真剣に訴えるので聞いてみると、姉の着物の矢絣の模様を教えたので仰天したという。普段着ている洋服ならばともかく、着物の模様だったから母はどんなにか驚いたことだろう。


 そういえば母が亡くなった時にもそんなことがあったらしい。一番仲良しの友達が彼女の家の中庭に佇んでいた母に、声をかけて話をしたと聞いた。母は新潟の兄の家で亡くなったので、海を越えて別れを言いに来てくれた、と友が涙ながらに話してくれたそうだ。世の中には信じられない不思議なこともあるのかなと思って、姉を偲んで「あこちゃん」を書いた。



 小説らしきもの「噺家ごっこ」は、町内で落語研究会を作って楽しんでいた様子を書いたものだ。落研出身の夫以外は落語を演じるのは初めてだったので、前座見習いから自称噺家の誕生までを仲間内の記録のつもりで書いた。小説など書いたことのない私には、実際の記録でありながら物語風に作り上げるのは、皆の芸の修行と同じようになかなか大変なことであった。


 無謀にも社会人落語選手権大会に出場するまでになれた皆に、私の手製の「噺家ごっこ」を送呈(いや無理やり貰って頂いたというところか)した。会社のコピー機で印刷した原稿を綴じ、襖紙を綺麗に貼った厚紙を表紙にした、見かけはちんけな「本らしきもの」で、中身もそれに相応しい「小説らしきもの」であった。



 いやはや思い返してみれば、書くことが楽しくて童話や小説らしきものを書いて、よくまあこんなに長い間楽しんでこれたものだとしみじみ思う。それというのも出版社のまやかしのレビューのお蔭かもと思って感謝している。


 そういえば一つだけ「猫の手」が大手石油会社の童話賞で奨励賞を頂いたことがあった。佳作までは可愛い挿絵付きの本になって紹介されたが、奨励賞の作品は読んで貰えなくて残念だった。けれどカクヨムで読んでもらうことが出来てとても嬉しかった。入賞出来ただけあるからかどうかは分からないが、この作品だけはカクヨム登録したすぐの頃から読んでいただけている。自分では一番気に入っている「二匹のハチの物語」が全く振るわないのは、やはり応募をボツにした出版社の見る目が正しかったことの証明かも知れないと思っている。



 高座にあがった噺家が噺の始めに「どうぞお気を確かにお持ちになって、最後までおつきあいのほどを願っておきますが・・」とよく言うのだが、私の「噺家ごっこ」を初めとする幾つかの作品が何とか読んで頂けるのも、カクヨムの皆様に「気を確かに持って辛抱強く、温かい心でおつきあいのほどを・・」と切に願う私の気持ちが、きっと通じているからだと思っている。そうでなければ「ローバの充日」はこうやって祝50話を喜べることもなく、とっくに「ローバの休日」か「ローバの休止」とタイトル変更せざるを得なかったに違いない。


 

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