第51話   ホント単純だなぁ

 それは本当のことなの?と思えることを、まことしやかに話す人がいて、それを根拠が曖昧で不確かであるにもかかわらず、すっかり信じてしまう人がいる。はたから見れば何と単純な人達と笑ってしまうことだろう。が、この単純な人が若い頃の私だったのだから、何とも恥ずかしい限りである。


結婚して直ぐに長女を身ごもった時、大いに喜んでくれた義母は、ああした方がいい、こうした方がいいと色々と気を使ってくれた。私も若かったし初めてのことだったので、義母の言ってくれることには素直に従っていた。そんな義母の言ってくれたことの一つに、色白な可愛い子が生まれる秘訣というものがあった。私の母がよく「色白は七難隠す」と言っていたのを思い出したから、私は真剣になった。


肌の色がどうのこうのと言うのはナンセンスなことかも知れないが、色白が七難隠すという意味が、器量や容姿に少々の欠点があっても、それを補って美しく見せてくれるということだと聞いたから、私にはとても大切なことであった。


その義母が言うことには、妊娠中にコーヒーを飲むと色黒な子が生まれるから、色白を望むならコーヒーは飲まぬ方がいい、というものであった。一日に十数杯もコーヒーを飲んでいた私には少々難儀なことであったが、周りからお腹の子はどうも女の子じゃないかという声が多かったので、ならば器量や容姿の少々の欠点を補ってもらう為にはと、禁煙ならぬ禁珈琲に励んだ。


それでどうだったかは言うまでもなく、そんな根も葉もないことが実現する訳がなく、月足らずで生まれた子は2500gで保育器に入るかどうかの大きな心配があって、色白のこと等はすっかり忘れてしまっていた。二人目が授かった時に、そういえば禁珈琲は全く意味のないことだったと思い出して、今度は好きなだけコーヒーを楽しんだ。


 義母のありがた過ぎるアドバイスの結果、禁珈琲で生まれた長女は健康的な小麦色で、コーヒー飲みたい放題で生まれた長男は、ちょっぴり色白の子供になった。義母の自信たっぷりなアドバイスはこれだけではない。長女が何か月か経って少し体もしっかりしだした頃、真っ直ぐでスラッと伸びた長い足にしてあげたいと、入浴後やおむつ替えの度に、伸びろ伸びろと足を何度も撫で、そして両足をきちんと揃え衣服の裾をしっかりと合わせて着せてくれるので、まるでこけし人形のような姿の赤ちゃんが出来上がった。


 しかし義母のこの両足をきちんと揃える着せ方は間違いで、両膝と股関節は十分に曲げてゆったりと着せるのが正解だった。折角スラッと長く伸びた足にしてあげようと思ったとしても、それを続けていたら危うく股関節脱臼となるところだった。「お父さんの足を見ればその説は間違いだと気づく筈でしょうが」と、娘には何でも簡単に信じてしまうと笑われる私だ。が、一つだけ断じてそれは間違っていると義母に言ったことがある。


 義父が足の指の間に水虫が出来た時、義母はいつものように「夫婦は水虫はうつらないから私は大丈夫」、とさも自信ありげに言った。その時ばかりは私も「それはおかしい、水虫が婚姻関係の有無を分かる訳ないでしょう」と言ってみたが「だって、私は全然うつったことないもの」と、まことしやかに反論するので大いに笑えた。


 そんなこんなで義母の言うことを鵜呑みにしていた単純な私だが、思えば上京する時に母に言われたことでも鵜呑みにしていたことがあった。小さな田舎町で育った世間知らずの娘が、東京で一人でやっていけるだろうかと心配した母は、住むところも知人の紹介してくれたTさんの家の一間を借りることに決まってまずは一安心した。が、今度は都会は誘惑が多いから不良になっては大変と、あれやこれやと注意することを色々と言われた。


 不良になっては大変、というと何だか笑われそうだが、当時の私の田舎では多少なりとも素行が悪かったり、眉をひそめる行動をすれば不良呼ばわりされかねなかった。明治生まれの生真面目な両親には、娘が不良になっては一大事とでも思ったのだろう。


 親に心配されないようにと私が真っ当に守ったことは、私の娘には単純であほらしいと笑われるものであった。そのうちの一つが「喫茶店に行くと不良になる」ということであった。しっかりと吹き込まれた私は、級友が授業の合間に喫茶店で集まるその仲間には入らなかった。彼らを見て不良になったら大変なのに、と真剣に思っていたのだから、あほらしいとばかにされる訳だ。


 夏に何人かで級友の鎌倉の家に遊びに行った時に、彼が母親にそのことを話すと彼女は「それは偉いわね、心配されるものねぇ」と、一緒にいた友達に笑いながら言った。今思えば、田舎娘が何と間抜けたことを言ってるのかと、さぞおかしかったことだろうと思う。


 そんな私だったが2年生になった頃、これって少しおかしいぞとやっと思うようになった。喫茶店が不良の溜まり場になっていて、その不良仲間に加わったら自分も不良になるという理屈なら分かるが、何故喫茶店に行っただけで不良になると信じ切っていたのだろう。ホントにばかみたいと思ってからというものは、授業の合間の時間になると、私も皆が教室と呼んでいる駅前の喫茶店に集合するのが当たり前になった。


 所属していた落語研究会では学校帰りに皆で喫茶店へ寄り、やたら洒落を飛ばし合いばか笑いして過ごす喫茶店は、研究室と呼ばれる楽しい場所となった。級友とは教室と呼ばれる喫茶店で、落研仲間とは研究室と呼ばれる喫茶店で過ごす其々の時間はあまりにも楽し過ぎた。教室や研究室とは名ばかりで、学びや研究からはほど遠く、心配された不良にはならなかったが完全に成績不良にはなった。不良という内容は違えども母の言う通り、皮肉にも喫茶店に行くと不良になる、これは真実だったようである。



 義母の願いも虚しく七難は隠されなかったし、あんなに長くスラッとさせてあげたかった足も、義母の思い通りにはならなかった。娘は時々、まるで無防備に仰向けで寝ている犬のような姿で寝ていることがある。あどけない赤ちゃんならいざ知らず、五十女のその姿は何ともいただけない。嘆かわしいと怒る私に、乳児期に義母の思い入れからの間違った着物の着せ方で、両足をリラックスさせてもらえなかったことへの無意識の反発なのだろうと娘は笑って言う。そう言われればそうなのかもと思ってしまう、今でも単純で情けないローバなのであります。

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