第52話   入院しちゃった

 切ったりしないんじゃ手術って感じがしないね、と娘が言った。なる程そうかもねえ、と私も思った。私が受けるのはカテーテルアブレーション治療といって、心臓手術の一つだそうだ。切った張ったとヤクザ映画ではあるまいにねぇと二人で笑うほど、高齢の母親の手術を心配する娘とは対照的に、私は妙にリラックスしていた。


 去年の十一月頃に婦人科で手術を予定していた時に持病の不整脈が又騒ぎ出し、コロナのせいで三年前から延び延びになっていた心臓の手術をせざるを得なくなった。脈を抑える薬で何とか凌いでいたのがもう無理になって、婦人科の方は後回しとなった。心臓の手術と聞いただけで子供達は酷く心配したが、私は命を委ねられる先生のお蔭で何の心配も持たなかった。


だから例え先生の手術が大成功だったにも拘らず、高齢ゆえに思わぬ事態に陥って最悪な結果になったとしても、それは仕方のないことと考えるようにと告げた。キャッチコピーまがいの「私の尊敬して止まないH先生」というネーミングが皆を安心させたようだ。


 入院中は朗読聴き放題・カクヨムのヨムヨム三昧でいこうと、持ち物を準備ながら考えていると、まるで旅行気分でどこまで呑気な人なのかと娘に呆れられた。しかし手術に不安のない私にも、幾つかの困ったことがあった。家族と離れて過ごすことのなかった私だったから、夕暮れ時にはきっと寂しくてたまらないだろう。イビキやトイレが近くて迷惑になったらどうしよう。麻酔時に口に入れるチューブで顎関節痛を想定して、管をくわえ続ける練習をしたり、動かずに仰向け寝に耐える練習をして、どちらも10分で音を上げてしまったから、それらのことが心配でならなかった。


 更には、手術では裸になるといういう一番の困り事には、想像しただけで胸がドキドキしてしまう。注射だって痛みだって十分に耐える自信はあるのに、恥ずかしさには我慢が出来ないと大昔の乙女は悩み続け、覚悟も出来ないまま入院の日を迎えた。



 手続きを終えるとPCR検査や採血等々の手術前日検査があり、心臓のエコー検査ではゼリーが塗られた裸の胸を、超音波を出す装置があちこち動き回る。痛くないものなのだろうが何しろ肉の全くない私の胸には、少し強く押されると骨に当たったりしてちょっと痛かった。レントゲン検査では、山のない胸がパネルに隙間なくぴったり接するのも恥ずかしく、それが終わると今度は明日の手術に備えて太腿や両足の付け根の周辺の毛を剃るようにと、電気バリカンが渡された。これは自分でやるので良かったけれど、恥ずかしながら剃る毛が全然なくて、それも気の毒な老婆の心をどんどん落ち込ませそうになった。が、そこは考え方次第だ。ガッカリすることはない、もしこれが頭だったら「見事なつるっ禿の頭」じゃないか。ならばこちらで良かったとしよう、と自分をはげました(なんちゃって、へへへ)


 

 シャワーを浴びて萎えそうな気持で部屋に戻ると、外はもう心配だった夕暮れ時になっていた。心細いそんな時にちょうど目の前の窓いっぱいに、オレンジ色の夕焼けを背にした富士山がくっきりと見えた。その姿は一人ぼっちの寂しさも、恥ずかしくってたまらない切ない気持ちも一篇に吹き飛ばして、まるで明日の手術は頑張れよと言ってくれているようで、涙がこぼれそうなほど感動してしまった。


 なかなか眠れない夜が明け、朝から手術の準備が始まった。何本かの注射の後は尿管カテーテルの挿入で、新米らしき看護師さんが2人の先輩の指導のもとで処置をしてくれた。これには新米さん頑張って、の気持ちがあってか恥ずかしさは少しばかり減少した。



 準備も整っていよいよ手術室に着き、扉が開かれるとそこはとても広い部屋で、眩し過ぎる程の照明の元に沢山のスタッフが待ち構えていた。初めて見る異様な雰囲気のこの部屋は、何だか異世界の物語の舞台かと思ってしまったほどだった。挨拶をし名前を告げ自分で手術台に上った途端、一斉に其々の人の手が身体に触れ素早く作業に取りかかった。


眩しい照明の下で、胸元だけは白いタオルで覆って貰えたので嬉しかったが、下穿きを脱ぐのには「せめて自分で脱がせて・・ああ、それ私が畳みますから、お願い・・」の言葉も虚しく、あっという間に持ち去られてしまった。


 次に仰向けに寝かされると、天井の照明が眩しくて目に痛いのと恥ずかしさとで目をつぶったままでいると、今度は頼りのタオルがサッと外されると、洗濯板の胸の上では心電図を着けたりエコーの装置が動き回り、みぞおちをグイグイ押されると少し痛かった。(みぞおちが急所と言われるのが分かる気がした)


 枕に頭を乗せる為に後ろに結んだ髪ゴムを解けば、まるで落ち武者を思わせるようなざんばら髪が老婆をより惨めにさせた。髪をなでつける間もなく、術中に動かない為にと手は両サイドに結びつけられる。この状態で尿管をつけた己の裸の姿を思い浮かべると、これはあの鳥居強右衛門が武田に磔の刑に処された時の姿のようだな、でも彼はまだ褌をしているから羨ましいな・・などとバカなことを思った途端に麻酔で深く眠ってしまった。


 アブレーション(焼灼)箇所は一個所の予定だったが、予想以上に心臓はボロボロで急きょ二個所になり、時間も一時間延びて待っている娘を随分心配させたようだ。悪い箇所はもう一箇所あったがそこは諦めて、今後は薬で様子をみることにして無事終了となった。


 夢の中で何人かがH先生を呼ぶ声がして、H先生の穏やかな声が聞こえた。嬉しくなって手を振ろうとしたが固定されていて動かない。そんな一瞬があったもののあとは深い眠りの中で何も覚えてはいなかった。観察室でやっと目が覚めたのは午後八時頃だろうか。手は解放されていたので少しばかり飲み物を飲むことが出来たが、足は予定通り固定されていて少しも動かせない。想定通りのことだったが、真っ直ぐ仰向けに寝るのは苦手で本当に辛い。それをこのまま何時間も耐えなければならないのかと思うと泣けてきた。


 頭上の壁の時計を見ては何度もため息をついたが、自分は父親に似て辛抱強いんだぞ、と無理に言い聞かせ、この状態をいつものように空想で楽しもうと考えた。「私は身代金目的でさらわれてしまった可哀そうな人。縛られた手足はどうやってもほどけない。早く助けに来てくれないかと待ち焦がれている。助けが来てくれて足が自由になったらと考えただけで嬉しくなる私。それは小さいけれど大きな喜びというものだ。縄が解かれたらつの字のように体を曲げてみようか、いや思いっきりエビのように腰を曲げてみたい、と考えている囚われの私」


 空想はどんどん膨らんで行ったが、時計は何度見てもそれほど進みはしない。エビを羨ましがりながら伸びっぱなしの腰の辛さをこらえ続けていると、「あと十分で足が動かせるようになりますよ」と声がかかった。ああ解放されるのかと喜びで胸がいっぱいになった。しかし待っている十分はなかなか来なかった。催促したいなと何度も思ったがとても言えそうになかった。深夜のナースステーションはナースコールが鳴り続けていて、とても忙しそうだったったからだ。


 数十分後に足が自由になると、解放された私はエビになって喜んだ。長時間の棒状への反発から体育座りの形に、更にもっと身体をうんと縮めて、思いっきり両太腿を胸につけて丸くなってみた。この状態から空想物語は「貧乏で身代金が払えない家族に怒った犯人に、箱詰めにされて捨てられた惨めな私」となって、あまりのばかばかしさを笑いながら、何度も伸びたり縮んだりやたら寝返りしたりで、長い退屈な時間を遊んで過ごした。



 麻酔で深く眠ったせいかそれとも気が高揚してなのか、観察室で目覚めてからほんの少しの間うつらうつらしただけで、病室に連れて来てもらってからも、ほぼ二十七時間近く眠れないでいた。四月からの朝ドラの主題歌は米津さんだよ、との娘からのメールも、嬉し過ぎて眠れない原因にもなったかも知れない。いつもなら朗読を聞きながら寝落ちする筈が、次々と何作も聞いてしまったり、向かいのベットの高齢者がとても亡き義母に似ているようで、その喋りや様子に義母を懐かしんだりして時が過ぎた。


 その方は骨折で入院中らしく、少し動くだけで痛い痛いと悲鳴を上げていた。ナースコールの度に看護師さんが駆けつけて対処してくれるのだが、昼夜を問わずそのコールの頻度のすごいことといったらなく、それでも気持ちよく対応している看護師さん達の姿に本当に頭が下がる思いだった。日に何十回ものナースコールは時には,

夜中に眼鏡を探して欲しい、孫がメールをくれたから電話をしたい、スマホを失くした、交換して三分もしないのに下の処理を頼んだり・・と忙しい。


 看護師さん達の対応は、例えば眼鏡の時にはちょっと探すふりをしてから「今は夜中だから眼鏡の用はないわね。明日一緒に探しましょうね」とやんわり。三分前に交換したばかりのオムツでもしつこく交換を願われると、穿いたばかりのそれを開けて「じゃ、見てみましょ。ほら、まだ全然きれいじゃない」などと納得してもらっている。その様子に義母の介護をしていた頃の自分を思い出し、反省しきりの私だった。

車イスに移動する時、衣類の着替えの時、起き上がらせる時等々、動作の度に出る苦痛の声を聞きながら、義母が骨折した時にもさぞ痛くて、こうやって訴えていたのだろうなとか、夜中じゅう独り言を言っているのも義母と同じだな、などと懐かしくてたまらなかった。



 手術中に気管にチューブが入れられた為に喉の奥が痛く、その為のスライムみたいな酷くまずい薬(アルロイド?)を飲むのや、日に何度かの検温や血圧・脈拍等の測定や薬の服用等は簡単だった。首から下げている心電図を測る装置を、検査されたり何度も着脱されたりする時に胸をはだけたり、太腿の付け根の傷跡の具合を見てもらう時に、下穿きを下げて肌を晒すということにも次第に慣れてきた。これらを恥ずかしいなと思っていた自分がむしろ恥ずかしい、とまで思えるようになったのは、バカな大昔の乙女にとっての大きな進歩かも知れない。



 入院四日目頃から食事も完食できるようになったし、痛みで浅い呼吸さえも苦しかった気管も、我慢するのを止めて痛み止めを飲むようになると改善され、四時間ほどだが眠れるようにもなった。退院に向けて色々な検査がなされ、予定通り明日退院という日の夕方にも、嬉しいことに富士山がまた姿を見せてくれた。入院の日と同じようにエールを貰った気になって、無事に退院の日が迎えられることに深く感謝した。



 退院の日の朝、院内に放送が流れた。私のお世話になったこの病院は自衛隊中央病院であり、能登半島地震の救護活動に出発する隊員の見送りを呼びかける放送だった。いつも建物内には迷彩服や凛々しい制服姿の隊員達がよく見かけられた。予想外のボロボロ心臓で命拾い出来た私は、能登へ活動に向かう隊員の方々に、心の中で深く感謝しお礼を述べた。



 今こうして入院の様子を忘れないようにと書いたものを読んでみると、何と馬鹿げたことを感じたり、つまらないことを思い悩んでいた私だろうと、自分を叱りたい気になっている。そしてあの時、不整脈が起きることなくボロボロの心臓とは知らずに、予定通り婦人科の手術をしていたらどうだっただろうかと考えると、運が良かったとしか言いようがない。それならば神様やH先生を初めとする全ての方々に感謝して、拾った命を大切にしなければと、肝に銘じるローバなのでありました。





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