第28話  お金が消えた日

 だいぶ昔のことになるが、道で出会った知りあいに元気かと聞かれると必ず、「金欠病という大病にかかっていて大変なの」と答えていた。その苦しい闘病生活は相当長い間続いていた。金欠病などとそんな茶化したような言葉を使ったら、本当に病と闘っている人に激怒されかねないが、お許しを願いたいと思う。お金の苦労を全く知らずに呑気に暮らしていた自分には、大きな病気に罹ってしまったような苦しさだった。


 金欠病発言と一緒にちょいと言った洒落で笑いが生まれると、そんなに大変なのによく朗らかでいられるねえ、などと呆れられたり感心されたりする。お調子者はそれで嬉しくなって更に図に乗って、最後はばか笑いしてさよならとなるのがいつものことだった。


 私が子供の頃からお金に無頓着だったのは、親が関心を持たずにいられるようにしてくれていたからだと思う。我家では小銭は茶の間にある茶箪笥の引き出しや、その辺の引き出しに無造作に入っていて、まとまったお金は隣の部屋の箪笥にしまわれていた。小学生の頃、たった一度だけ母がその箪笥の引き出しを締めながら、小さくため息をついたのを見かけたことがあった。何とはなしにお金がないの?と聞くと、母はニッコリ笑ってお金はいっぱいあるよと答えた。


 心配で聞いた訳でもなかったし、我が家がどの程度の暮らしぶりなのかを知ろうともしない私だったから、成人近くなるまで全く呑気で過ごしていた。我家がお金に窮することがあった時には、末っ子の私を除いた大人達みんなの力で、遣り繰りをしていたのだろう。


 19才も年上の長兄には子供がなく、可愛がられていた私が養女となり、大学の学資や生活費は兄が送ってくれていた。さだまさしの歌「案山子」の歌詞、友達出来たか、お金はあるか・・のように、兄はいつもお金が不足しないか、お金に窮すると心も貧するからと気遣ってくれた。


 そうやって子供の頃からお金の苦労をせずにきた私は、幸せなことに嫁いだ先でも困ることはなかった。高校や大学時代も家業を手伝っていた夫は、いっぱしの職人になって給料も多く、結婚して初めての給料日に、その全額を渡された私はひどく驚いた。兄から送られてきていた毎月の金額の、何倍ものお金を手にして戸惑った。これをどう管理すればよいのかと、その時になって初めてお金を意識して、家計簿を付けることにした。


 どこをどう間違えたのか知らないが、初めての家計簿は月末の締めで、何度やっても数字が合わない。毎日の簡単なお金の出し入れなのにも拘わらずだ。四苦八苦している姿に夫は大笑いして「そんな時はこうすればいいってこと・・」と言って、合わない支出金額の名目をその他として、いとも容易く合わせてハイ終了となった。私は申し訳ない気持ちから涙がポロポロこぼれて、付け焼刃の家計簿作成はその日で中止となった。


 自営の製作所は義父がゼロから始めたもので、義母は当時は現金なんか見たことがなかった、と笑い飛ばしながら昔を語る。買い物は通いの帳面でつけ払い出来た時代だった。会社が軌道に乗って暮らしが豊かになると、あちらこちらにお金があって・・とニコニコしながら、布団の下や色んな引き出しに忍ばせてある幾つもの財布を見せてくれた。


 しかし義母もそんな風に仕舞い置いた財布の在処を忘れてしまうことが多くて、金額の把握なんかしたためしがない。すっかり忘れてしまって、何かのきっかけで発見されることもしばしばだった。そんな時は思いがけない収穫に、金額の何倍もの喜びが味わえると大喜びだ。家計簿で涙した経験も忘れた愚かな私と、お金がなかろうと大らかでいられる性分の義母。似たようなものだった。


 この義母が現金なんか見たことがなかったという話を姉にすると、我が家で全くお金がなくなった日のことを話してくれた。母の姪の夫が病気になり、手術で大金が必要になって相談にやって来た。姪の切ない気持ちを聞いた父は、すぐに銀行に走ったが豊かだった訳ではなかったから、大きな蓄えだってなかったろう。


 仕事での材料費を払ったばかりだったし、十分すぎるほどの額には満たなかったのか、父は姉や兄達全員に持っているだけのお金を出すよう頼んだ。そして家中のあちこちの引き出しの小銭までかき集めて、姪に持たせてやった。お蔭でその日、我が家の何処にもお金というお金は全て消えてしまったそうだ。


 皆がそれぞれ一文なしになってしまった笑い話に、「ほんとに何処探したって、10円玉の一個だってないんだよぉ」と姉はその時を懐かしんだ。その後、金欠の皆はどうしたんだろうか。大昔の田舎の便利なつけ払いで、なんとか凌げたのかなぁと、ゆるかった時代を想像してみる。


 バブルの崩壊と共に我家の経済も崩壊した経験から、お金に無関心でいられるように努めるのは正しいことだろうかと考えた。お金の有無に関わらず、大切さを教えつつ窮しないようにしてやり、窮した時に対処出来る術を身に着けさせてやる、それが親心なのではと思う。


 値引きや半額の商品を買ったり、あちこちで得られるポイントを上手に活用する娘に、頼もしさを感じている老いた母。子供の頃から小遣い帳を付け、賢くお金を管理できる人に成れていたならと悔やむばかりだ。呑気な母に娘は、お金は本当に大切な時に、ど~んとけちらず賢く使え。その為には日々の生活は倹しくあれ、と手厳しい。この娘だってお金の心配なく育てられた筈なのにと、情けない母は反省しきりだ。


 孫が2才位の頃、よく買い物ごっこの相手をした。レジ係の孫は「こちらの商品は半額になりま~す、こちらも半額で~す」と半額ばかり。親の姿をよく見ているねと私達は苦笑いしたものだが、その孫も今や半額の教訓は忘れて、か弱いシングルの母親の、細い細いスネを容赦なくかじっている。「お金が消えた日」を経験しなくて済むようにと、年金生活の細々としたスネ(実際は憎らしいほどの太い大根足ではあるが・・)の身で、気を揉んでいるローバなのであります。


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