第39話   先生

ほんの僅かな期間だが先生と呼ばれたことがある。こんな教育実習生の私なんかにと申し訳ないような、とても嬉しい思いの何日間かであった。家族の期待に応えることなく教員の道には進まなかったが、今でもそれは正解だったと思っている。成績が芳しくなかったのと自分には教師の資質が欠けていると思えたことが理由だった。


 

 この年になるまでの間に、私は何人もの先生に出会っている。有り難いことに嫌な先生は一人もいなかったが、中には個性が強すぎてこれはどうもと思われる先生も何人かいた。


 小学4年生の時、いつも「あまさり(甘ったれ)」と言ってからかい、かわいがってくれた先生がいた。60年以上も前のこと乍ら、名前も顔も声までもはっきりと覚えているのだから、先生の影響力は相当なものだと思う。

良い先生ならば懐かしむこともあるし、嫌な思いや恨みがましい思い出があったりしたら、何年たっても忘れられない先生となるだろう。


 小学5・6年の時の担任は頼り甲斐があり、生徒の皆から慕われる人気者だったし保護者からの信頼も厚かった。そのK先生には今でも忘れられない思い出がある。父が小学校の仕事を請け負うことになり、私は学校で父や兄が仕事をするということが嬉しくて誇らしい気分でいた。しかし盗難騒ぎでそれが一気に吹き飛んで、悲しい気分に突き落とされてしまった。


 その日、先生が授業に凄く遅れて来たので皆が訳を聞くと、先生の賞与が紛失したので探していたからだという。大好きな先生の一大事なので皆はすごく心配して、盗まれたんじゃないかと大騒ぎになった。その時、学校には大きな工事で幾つかの業者が出入りしていたから、その中に犯人がいるかも知れないと誰かが言い出した。そうだそうだの皆の声に先生は、きちんとしまってなくなる筈がないのだから、そうかも知れないなと真顔で言った。


 私は自分の父や兄が疑われて攻撃されているように思え、悲しくて仕方なかったが何も聞こえないふりをしてごまかしていた。後で分かったがそれはうちの職人の仕業だったそうだ。

その彼を雇う時には、悪い癖がある人だから止せと忠告してくれる人がいたのを、そうやって排除するのは違うからと言って父が雇ったそうで、だから言わんこっちゃないと責められたようだった。


 私は今でも時折そのことを思い出す。先生は私の父や兄が仕事をしていたことを知っていた筈なのに、何故あの時に、簡単に人を疑ってはいけないと言ってくれなかったんだろうか。現在のように振込制であったなら盗難事件もなかったろうにと、悩ましい思いになる。


 

 中学生の時、ブタの餌にする為に我が家へ残飯を集めに来る国語の先生がいた。馴染になっていた気楽さからか、先生はちょうど家庭科室にいた私に柔道着の洗濯を頼んだ。洗濯は殆ど母がしていたし道着の洗い方など知らなかったので、ただ一生懸命にもみ洗いをしていたら、固い生地で擦られた手から血が出てきた。痛いのを我慢して洗い終わった時に、先生が来て私の手を見て驚いた。そしてポケットからガムを取り出すと、私の手に握らせてくれて教室を出て行った。


 そこへ入れ替わるように数学の先生が入って来て、私の手のガムを見るなり頭をコツンと(軽くだけど)しながら「こんなものを学校へ持って来て・・」と大きな声で説教が始まった。私は訳を話したものかと迷ったが、生徒にガムをくれた先生も悪いと思われると考えて何も言わずにいた。


 後に餌集めに来た先生が親に話したことによると、数学の先生は早とちりを恥じたせいか、弁解しなかった私をひどく褒めたそうだ。勘違いのせいで数学も先生も学校も嫌いにならないで良かったと思った。


 英語のS先生は神経質そうな紳士という感じで、あまり冗談で笑わせる先生ではなかった。その先生がある日、何を思ったのかいきなり「英語を直訳すると面白いことになって・・」と話し始めたので、皆は何だろうかと真剣に聞いていた。

「good morning を直訳すると、よい朝となる。そこである人が朝の挨拶のつもりで、よい朝、と言ったら相手がこりゃさ、と返したんだと・・」


 この洒落が分かる人にはちょいと受けたが、「こりゃさ」の意味が分からない人がいたので成功とはならなかった。だが先生のユーモアが意外だったのと、笑いのレベルがそんな程度だったのかと考えると、今でも思い出して笑えるのだから、成功だったと言えるのかも知れない。


 英語のE先生にも思い出がある。地域の中学校が集まって英語のスピーキングコンテストというのがあり、我が中学校から2チーム出ることになった。例の「良い朝」のS先生のチームは、クイズを出す人と答える人とのちょっとした会話劇で、私の方のチームは男女4名で英語の物語を読むものだった。


 E先生には女性に対する悪い評判があったので、母には選ばれた嬉しさより何倍もの心配があった。先生の家での特訓には母は酷く心配し、チームの男子とM子ちゃんとは絶対に離れないように、先生の接近には要注意と念を押されて送り出された。



高校での担任は2人とも真面目で熱心な先生だった。私には子供の時から上を目指そうという意欲が欠けていて、本来持っている力だけで何とかやり過ごそうという甘い性格だった。1年の時の担任は入学の成績からしたら、こんなところにいてよい訳がないと諭し、3年の時の担任はこれ位の努力では志望校は無理だからと言って、両先生は何とか頑張らせてもっと成績をアップさせてやりたいと一生懸命になってくれた。けれど笛吹けども踊らずで、努力を惜しむ私は両先生の期待には応えることがなかった。せめて現在くらいの学習意欲があったなら、と遠い昔を悔やんでいる。


 

 娘の小学校の担任の個性はとても強力だった。進歩的だとか一風変わった教育だとかアメリカナイズされているとか、色々と陰口する人も多々いた。

クラスには足に障害があり母親が付き添って登校していたA君がいた。先生はなるべくトイレには友達が付き添ったり、何かと世話を手伝うようにと指導していた。


 そんなやり方に不満の人達が担任を替えてもらおうと、校長にお願いに行く相談がまとまった。学校へは勉強させる為で級友の世話をしに行っているのではない。1年生と言えども大事な時期なのだから、トイレに付き添って行く時間が無駄だ、等々の理由からだった。


 皆と足並みを揃えるのは大事だったが、内心ビクビクしながらもその誘いは断った。私には生徒達が先生を呼び捨てにしたり、歩き回ったりラフな格好で話を聞く授業態度を見て、礼儀を教えない先生に不満はあったが、皆の不満の内容とは違ったので賛成できなかった。


 担任は変わることなく郊外学習で遠出した時のこと。広大な敷地を車(ベビーカー様の)を押していたお母さんに代わって、先生が兵児帯のような紐でA君を背負って歩いている姿を見かけた。痩せた体とは言え小学生を背負って歩くのは大変なことと、感激で胸が熱くなった私は、先生のこの姿をしっかり記憶に焼き付けるようにと娘に言った。


 トイレの付き添いが当たり前のように、体育の授業の準備ではA君を乗せたマットを、皆でワアワア楽しんで運んだりしているという様子を娘から聞いて、いい教育をしてくれている有りがたい先生だと思えた。


 息子の担任でも強烈な指導をするかなり年配女性の先生がいた。厳し過ぎる教育方法は小学1年生にはまるで恐怖でしかないものだった。教えられたことが出来た子に順位をつけ凄く誉めて、出来ない子は皆の前で激しく批判された。登校を嫌がる子は何人もいたし、毎日子供を戦場に送り出す気分だと怒る母親もいた。

 

 保護者が集まった時に、先生から転校生のことが話された。知的に問題のある母親と、それ故に何かと遅れのあるその生徒を、皆で色々と支えて欲しいと言われた。先生には母子への思いやりのつもりだったらしいが、違和感を感じる人が殆どだった。


 父親が事件を起こし転校を余儀なくされたとか、家庭訪問で見ただらしない生活ぶりを、平気で話して聞かせる非常識さに、憤慨した皆は校長やPTA会長などと話し合いの場を設けてもらった。総攻撃を受けた先生は少しは反省したようだが、クラスの居心地にあまり変化はなかった。


 

 子共達が中学生になると、学校や部活の楽しさは先生の影響で大きく左右された。熱血指導なのか単なる暴力的な指導からか、多くの生徒がスポーツを辞めたのが残念だった。生徒のやる気のなさや態度に問題はあったにせよ、先生にうまく導ける資質があれば違ったかも知れない。


 40年以上も前の話だが、親戚の幼稚園児が先生に刃物をちらつかせて脅されたと聞いたことがあった。とても信じられなかったが、そのような先生の存在は、今でもニュースで耳にすることがある。そんな先生にあたったら、と思っただけでゾッとする。 



 私の母は病気をして以来寝たり起きたりの毎日だった。その高齢の母に近所に住む高校教師の奥さんが「うちの先生が用があるからちょっと来てほしいって」と言いに来た。子供の使いでもあるまいにと「床に伏しているこんな年寄りに、用があると呼びつけるのって、どうかと思うが・・」と答えた母だったが、その用事が全く些細な事だったので、呆れて怒る気にもなれなかったという。 


 「職員室へ来るように」と生徒に言い慣れているせいだ、と近所の人達は慰めてくれたとか。習い事などでも先生の発言は、時には相手に影響を与えると思わされたこともある。それだけ先生と呼ばれる立場は大変なものと私は思う。



 色々な先生に出会ってきたが、私が今一番大切に思うH先生は、日々の健康と命を委ねているお医者様だ。「お」が付き「様」がつき偉い筈なのにそんなそぶりは微塵もなく、診察室で向かい合っただけで心を穏やかにしてもらえる。そんな先生がいてくれて何と幸せなことか、と天に感謝して暮らすローバなのであります。   

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