第43話   土佐犬

 バイデン大統領夫妻の愛犬が、また人に噛みついたとニュースになった。保護犬だったから躾が十分に出来ていなかったせいなのだろうか。偉い人の犬であろうとなかろうと、噛まれたというニュースを聞く度にゾッとする私だ。犬が苦手なせいでチワワのような小さな犬にだって、キャンキャン吠えられると震えそうになる私には、大袈裟だなと笑われてしまいそうだが、人が犬に噛まれたことがライオンに襲われたと同じくらい、恐ろしいニュースに聞こえてしまう。



 私が子供の頃、近所に頭に大きな傷跡のある少年がいた。耳が聞こえなかったせいなのかはよく知らないが、話すことが出来ない人だった。当時は男の子も女の子も何才であるかも構わず、皆でわあわあ騒いで遊んでいたが、その少年だけはいつも皆が遊ぶのを遠くから眺めていた。


 一人ぼっちでいる彼が気になって母に話すと、その彼は少年というより青年と呼ばれる年頃だと知った。だから皆と遊ばないのかとも思ったが、どうやらそうでもなさそうだった。皆で騒いでいる時にふっと何か感じるものがあって、見るとそこには彼の姿が半分だけ見えた。柱や建物の陰からそっと覗くように見ているせいか、体半分だけで覗いている彼がいた。今でも耳の不自由な人を見かけると、ふとその半分の姿を思い出すことがある。



 私の住んでいた小さな町には色んな子がいた。流行した小児麻痺のせいで足を引きずって歩く女の子がいたり、ひどい耳垂れでよく耳が汚れていた男の子や、鼻水でいつも鼻がぐしょぐしょでも平気な男の子などもいた。全く勉強のできない子や、貧しい暮らしの子、ひどく弱虫な子など沢山いた。その子達はよくからかわれたり意地悪されたりすることもあったが、それでも酷い仲間外れはあまりなくて、どの子も皆な一緒になって賑やかに遊んでいた。それがごく普通のことだったから、彼だけがいつも一人離れて皆の様子を覗くような素振りが気にかかっていた。



 大人になって姉と子供時代の思い出話をしていた時、彼の頭の傷が犬に噛まれて出来たものだと聞かされて驚いた。しかもその犬が何と土佐犬だったから、驚きは半端ないものだった。そういえば昔、家の前を通る姿をガラス戸越しに見たあの犬だ。連れて歩く人が身体に巻きつけたしめ縄のような太い手綱に、まるで引きずられるように歩いていた、あのライオンのような見るからに怖そうな犬。


 姉の話によると、その日は子供たちが大騒ぎしてやけに騒がしかったそうだ。「誰か助けてやれやー」という声も聞こえたので父が様子を見に行くと、その土佐犬がちょうど暴れていたところだった。助けようにも大きな犬は手ごわくて、そこでとっさに父は履いていた革靴を脱いで、犬の頭に一撃くらわしたそうだ。いつもは作業着の父だがたまたま用事で出かける為に背広姿だったそうで、革靴がいい武器となった。


 姉も私も、耳や言葉の不自由な人が助けを呼ぶ事も出来ず、どんなに恐ろしく辛かったろう、と考えただけで切なかった。そして父だって絶対にあの犬に平気ではなかった筈だ。怖い思いをしたことだろうにと、頼もしかった父をちょっと誇らしくも思った。


 

 そういえば昔、「名犬ラッシー」や「ベン・ケーシー」というテレビドラマがあった。犬は苦手でもラッシーは可愛くて大好きだった。「ベン・ケーシー」では主人公の医師が犬に噛まれて、狂犬病を発症したらどうしようと家じゅうで気を揉んだ。余談だが、その主人公の名を母はずっと「べんけい医師」だと思っていたそうだ。今でも〇〇医師という名札を目にするとそれを思い出す。母には「べんけい医師」はまさか「弁慶医師」ではなかったでしょうね、と聞いてみたかったなぁと思い出しては笑っている。



 狂犬病の発生は調べてみると、昭和31年を最後にないそうだが、どこにでも野良犬がいた時代だったから、私は10才近くまでは気を付けて暮らしていたことになる。今ではもういないものと思っていたが意外と多くいるそうで、最も野犬の多い四国全体では、年間約3000頭も捕獲されているそうだ。


 それらの犬たちは引き取られたり殺処分されたりするのだろう。あの青年を噛んで怪我をさせた土佐犬もその後処分されたと聞いた。私には恐ろしく感じられた犬だったけれど、殺されたと聞いたらかわいそうになった。本来は穏やかな性質だそうだが土佐犬は闘犬と知った上で飼い、逃げ出すようなことがなかったなら、噛まれた彼の気の毒な事件も起きなかったし、その土佐犬も死なずにすんだのにと思うと残念だ。


 

犬は苦手だ、と長々と書いてしまったが、長兄が知ったらどんなに憤慨することだろう。長男と呼び猫かわいがりされている兄の愛犬を、お愛想で一度だけ恐る恐る抱っこしたことがあったが、その時の何とも言えない温かさや、体に伝わてくる心臓の動きや肌触りなどに感動を覚えた。そうか、確かにこれが大切な家族の温もりなんだな、とよく分かった気がした。


 それ故に家族として迎えられた犬が粗末な扱いを受けたり、野犬になってしまったりすることのないことを願いたい。そして私が子供だった頃のように、どんな子も大きな塊のようになって一緒に遊び、町が子供のわあわあ楽しく遊ぶ声で賑わったらどんなにいいだろう。そんなことを考えながら、家のドアガードに番犬代わりにぶら下げられた小さな犬のマスコットを眺めているローバなのであります。

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