第64話   長~い友だち

 私の母はお洒落な人だったと思う。お洒落というと着飾ったり化粧が入念だったりという意味合いを思い浮かべるかも知れないが、明治生まれの母は着道楽でもなかったし、生涯において化粧品を使ったことも、多分なかっただろうと思われる人だった。着る物には関心はあったようで、箪笥には特に高価なものではないが、着物は何枚も入っていたようだ。


 それらの多くは恐らく子供達をすっかり育て上げ、その後の楽しみにと揃えた物だったろうが、旅行の趣味もなく出かける用もあまりなかったので、それらの主な出番は皮肉にも、高齢になってからの病院通いの時くらいだったようである。近所の仲の良い友達と連れだって近くの医院へ出かける時、お互いの着物の柄や見立ての良さを褒め合いながら、楽しそうだった様子が今も思い浮かぶ。



 母がお洒落な人だなと思われることの一つに、いつも髪の乱れに気を配っていたことがある。みだれ髪、ほつれ髪、後れ毛などの言葉には、ちょいと色めかしさを感じないでもないがそれらを厭う母は、後ろに一つに結い纏めた髪の元にさしてある櫛で、撫でるように梳いて髪をきちんと整えていた。


 母のお洒落の基本は髪だそうで、髪が乱れていては良いものを着ても意味はないと、よくボサボサ頭の私は叱られていたものだ。髪に気遣っていた母も、高齢になると毛量も少なくなって、ちょくちょく髪結いさん(美容室のことで後にはパーマ屋と呼んでいた)へ薄くなった地に髢(かもじ。髪の毛を集めたもので、髪の中に入れふんわりさせるアンコ)で補った髪型に結い上げてもらいに行く。病気療養中で寝たり起きたりの身体になっても、体調を見計らい少し無理をしても出かけるのだから、母の髪のお洒落も結構なものと言えようか。



 義母も大変お洒落な人だったが、それは私の母とはまた違って、洋服も大好きで沢山あったし、お化粧やヘアースタイルにも関心が高く、髪のカーラーは毎晩しっかりと巻き、毎日の肌の手入れは絶対に欠かさない。その熱心さに感心する私や娘にパックの顔で「今日の手入れは十年先の為のこと」とよく言っていた。七十をすっかり過ぎても十年先を見据えてのお手入れに勤しみ、それは施設に入所するまで続いていたのだから、本当に脱帽としか言いようがなかった。


 義母は元々髪の量が少なめだったからか、結婚したばかりの頃からずっと、私の髪を見ては羨ましがっていた。髪が多い多いと言われる度に、私は故郷の「鬼太鼓」で髪を振り乱して踊る鬼の髪を想像して、何だか嫌な気分になったりしたこともあった。毛量の少ない義母にとっては、それは最高の褒め言葉だったと分かったのは、ここ何年かで薄くなった頭部の髪の寂しい様子に、ジタバタするようになってからのことだった。


 

 どこかのCMで、髪は長~い友達、というのがあったが、なるほど上手いことを言うもんだと思ったことがあった。髪という文字を分解してみれば、「長」も「友」もあり、毛が風に吹かれるように三本の線が横になびいている。その長い友とどんどん別れて寂しくなった頭に、私はウイッグを付けてみたりするが、ずいぶん奮発して買った割にはあまり気に入っていない。



 人生百年時代の今だが私の子供の頃は、動揺で♬「村の渡しの船頭さんは今年六十のお爺さん」と歌われていた時代。私は母が四十の時に生まれた子だったから、中学や高校生の頃の父は十分にお爺さんであり、頭頂部には殆ど髪の毛はなかった。長兄も髪には苦労していて、育毛剤を振りかけマッサージする時には、擦れて切れ毛にならないようにと真剣だった。



 義父はどうだったかといえば縮毛の母親からの遺伝で、緩くウエーブのかかったような髪は格好良く、高齢になっても髪の薄さにも悩まされることはなかったし、夫もグレーヘアーの毛量は、この年齢にもかかわらず十分な量を保っている。


 祖父と父とが髪の心配無しでいられたのに、次男は私の父や兄の寂しい髪の遺伝を引き継いだようで、前髪が後退し始め頭頂部も寂しくなりだした頃、友人達からあれこれ言われるようになり、次第に気にするようになってきた。彼の天然パーマの髪は、幼い頃は皆から可愛いと言われてお得だったが、大人になると髪型も決まらないからと、ストレートパーマをかけたりした。その努力が仇となり、今ではダメージを受けた頭頂部はだいぶ寂しくなってきている。



 次男にはありがたくない天然パーマだったが、義理の叔母の天然パーマはとてもありがたかったようだった。自然なウエーブがとても品よく素敵で、叔母は美容院では毎回カットだけで十分だったからお得だった。その叔母もとてもお洒落な人で、いつでも髪は整い洒落た洋服を着てきちんとした人だった。


 その叔母がある日のこと、後ろから男性に声をかけられたそうな。「ねぇ、ちょっとちょっとぉ」と言う声に、自分のこととは思わないでいると又「ねぇそこの、ちょっと~彼女ぉ~」と言うので振り向くと「なんだ、婆ちゃんか」とガッカリされたという笑い話があった。


 細身の体にサブリナパンツを履き、孫娘からプレゼントされた可愛いリボンのついた麦わら帽子のお嬢さんの叔母。きっとナンパ目的だったのだろうが、いくらお洒落でかっこいい叔母でも、見返り美人にはなれなかったという話である。


 ではこれを真似て与太郎の如くワタシも、といきたいところだが、振り返ったら「なんだ、ババアか、クソッ死ねぇ」と罵倒されるに違いない。「死ねとまで言わなくとも、あんまりだぁ」と自分でボケて言っておきながら切なくなるが、そんな悲しい思いをする必要は全くなしである。何故かと言えば、どこにそんな声をかけてくれる人がいるもんか、「何をか言わんや」であるからだ。


 さて「長~い友達」などと銘打っておきながらの毛の薄い話が、こんな内容の薄い話になったんでは、64話はいい話だったなんて言われることは毛頭ないだろう。そんな毛配?に弱るローバなのであります。

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