第6話 元凶
『カイム……あなたは悪くないの』
それは母親と過ごした最後の記憶。
ベッドに横たわる母親の傍にカイムは寄り添い、涙を流しながら最期の言葉に耳を傾ける。
『私はあなたが生きて産まれてきてくれて本当に幸せだった。あなたを腕に抱くことができて、十年以上も成長を見届けることができて、心から幸せだったのよ。だから……何があっても、自分を責めたりしないでちょうだい』
カイムは知っていた。
双子の子供を出産してすぐに母が体調を崩しており、臥せがちになっていたことを。
母が血を吐いていたことを。そして……その原因が、カイムの身体から無意識に発される微弱な毒であることを。
健常者であれば大した影響のない程度の毒だったが、身体が弱っていた母親にとって、それは死に至る病毒だった。
母は何度も止められていた。カイムに会うことを。カイムに接することを。
カイムを捨てて、アーネットだけを我が子として育てるべきだと、夫のケヴィンからずっと言われていたのだ。
だけど……母親はカイムを捨てなかった。
いくらケヴィンに言われても、娘のアーネットに縋られても、見捨てることなくカイムを傍に置き続けたのだ。
『貴方が『呪い子』として産まれてしまったのはお母さんのせいなの。貴方は何も悪くない。だから……自分を責めないでね』
やせ細り、衰弱しきった母親はカイムの腕を握って言い聞かせる。
命を削るように。残ったわずかな生命力を言葉に変えて、残された息子に言葉を遺す。
『幸せになりなさい。いつか貴方の家族を見つけて、共に生きなさい』
それが母親と交わした最後の会話。
直後、彼女は血を吐いて苦しみだし、そのまま永遠の眠りについた。
妻の死をカイムのせいだと断言した父親はカイムを追い出し、アーネットだけを自分の子供として育てるようになったのである。
〇 〇 〇
「ふう、着いたか」
母親の弔いを済ませ、生まれ育った屋敷から出て二時間後。
カイムは寝泊まりしている森の奥の小屋に到着した。何度も休憩を取りながら歩き、健康な人間の倍近くも時間をかけての帰宅である。
「今日はゆっくり休もう。身体がクタクタだよ」
カイムは肩を落としながら、今にも崩れそうな小屋の扉を開いた。
小屋の中にはランプなどという気の利いた物は置いていない。月明かりも届かず、暗闇に支配されている。
闇の中、記憶を頼りにしてベッド代わりにしている木の板に向かおうとするが……カイムはすぐに足を止めた。
「誰だッ……!」
小屋の中に何者かの気配を感じたのだ。
その何者かは息をひそめているようで物音らしい物音はしないが、確かに普段の自宅とは異なる雰囲気を鋭敏に感じ取る。
(泥棒……じゃないよね。ここには盗むものなんてないし。村人が勝手に入ったとか?)
ありえない。
近くの村に住んでいる人間は『呪い子』であるカイムのことを忌避しており、ここには近づこうともしないのだ。
獣や魔物が入り込んだという可能性もなくはないが……獣特有の臭いはしない。
「…………」
カイムは手探りで薪割り用の鉈を手に取って、小屋の中を見回す。
月明かりの届かない小屋の中は真っ暗。一目見た限りでは誰かがいるようには見えない。
呪いの影響なのかカイムは夜目が利くのだが、さすがに小屋の内部を全て見通すことまではできなかった。
「…………」
慎重に、息を詰めてカイムは小屋の中に足を踏み入れる。
いったい、どこに潜んでいるのか。耳を澄ませ、目を凝らし、侵入者の姿を探し出そうとして……
「へえ、思ったよりも敏感なんだね。驚いたよ」
「ッ……!?」
その声はゾッとするほど傍から聞こえた。
いつの間にか背後に何者かが立っていて、カイムの耳元に言葉をささやきかけてきたのである。
「このっ……!」
カイムは振り向きざまに鉈を振ろうとする。しかし、そんな少年の手は背後にいた何者かによってあっさりと掴まれてしまう。
「うんうん、反応速度も悪くはない。さすがは『拳聖』の息子だと言うべきかな? あまり訓練は積んでいないようだが……なかなかに将来有望な才能の片鱗を感じさせてくれるじゃないか」
背後に立っていたのは背の高い女性だった。
男性物のスーツの上に白衣をマントのように纏っている。黒い髪と眼鏡の奥の知的な瞳が酷く印象的である。
「アドバイスをするのであれば、気配に気がついていることを相手に気がつかれたら意味がない。こちらの侵入を悟ったのであれば、それを気がつかないふりをして相手のフイを突くか、さもなければ逃げるのが正解だ」
「くっ……この、放せ!」
「君がその物騒なものを放してくれたら、私も君を解放しよう。勝手に家に上がり込んだ非礼は詫びよう。敵意はないんだ。武器を放してもらえないかな?」
「…………」
女性の声は穏やかである。言葉の通り、敵意があるようには見えない。
彼女の目的は知らないが……もしもカイムを害することが目的であれば、とうに背中を刺されていることだろう。
カイムは悔しそうに表情を歪めながら鉈を手放す。
「うんうん、良い子だ」
女が腕を掴む手を放した。拘束から開放されるや、カイムが弾かれたようにその場から飛び退く。
「お前、誰だよ……! どうして僕の家にいるんだ……!?」
「そんなに警戒してくれないでくれたまえ。まるで野生動物じゃないか」
「答えろ!」
「ああ、わかったわかった。急かさずともちゃんと名乗るよ」
噛みつくような声で詰問され、白衣の女性が降参だとばかりに両手を挙げる。
「私の名前はファウストという。一応は……君の両親の友人ということになるのかな?」
「…………!」
驚きに目を見開くカイムに、ファウストと名乗った女性は友好的に笑いかけた。
「今日は医師として、患者であるカイム君に会いにきたんだ。十三年前に君の身体に移植された『毒の女王』の呪いがどこまで進行しているのか……私に診察させてもらえないかな?」
〇 〇 〇
「君は……ご両親から自分の身体を蝕んでいる呪いについて、どの程度まで教えてもらっているのかな?」
「…………特に何も」
自己紹介を終えて、カイムとファウストを名乗る医師は小屋の中に向かい合って座った。
先ほどまで真っ暗だった部屋は、ファウストが持ってきたカンテラの明かりでオレンジ色に照らされている。
胡坐をかいて座っているファウストの前には木製のコップが置かれており、中では緑色の液体がゆらゆらと光を反射して揺れている。得体のしれない人物だが……この小屋を訪れる初めての客である。最低限のもてなしをしようというカイムなりの気遣いだった。
「へえ、面白いお茶だね? これは君が淹れたのかい?」
「……うん。お茶じゃなくてその辺で摘んできた草だけど。不味いけど、飲むと体の調子が良くなるんだ」
「うんうん、これは『癒し草』というポーションの材料にも使われる薬草だね。これを薬茶に煎じて飲んでいるとは、なかなか良い趣味をしている」
ファウストは濁った水――とても『お茶』とは呼べないそれを、躊躇いなく口にする。
苦い味わいを楽しむように目を細め……「フウッ」とため息をついた。
「うん、不味いね。だけど『良薬は口に苦し』とも言う。健康に良いものというのは、たいていの場合、口当たりは悪い物さ。もてなしに感謝するよ」
「…………うん」
カイムは警戒を解くことなくファウストのことを観察し、探るように訊ねた。
「それで……僕の身体について診察したい、というのはどういうことだ?」
ファウストと名乗った白衣の女性は自分のことを『両親の友人』であると名乗ったのだ。母の友人であるというのであれば信じていいかもしれないが、父の友人に対して心を開くことなどできるわけがなかった。
「それに……貴女は言ったよね? 僕の身体に『呪いを移植した』って。それはいったい、どういう意味なのかな?」
呪いを移植――それはとてもではないが、聞き流せることではない。
カイムは自分の身体を冒している『毒の呪い』が生来のものであり、流行り病のように偶然に罹ってしまったものだとばかり思っていた。
『移植』という言葉を使うからには、ファウストが意図的に自分の身体に呪いを埋め込んだことになってしまう。
(もしもそうだとしたら……僕はこの人をきっと許すことはできない……!)
自分の人生に影を落とした元凶。それが何者かの意思によるものだとすれば、その誰かを許すことなどできはしない。
母親の死の原因が自分ではなく、目の前の女性であるならば……
(どんなことをしてでも、絶対に殺してやる……!)
「そんなに痛烈な殺気を向けないでくれたまえ。その辺りの事情を説明することも、君に会いにきた理由なんだから」
ファウストは困ったように笑って、手に持っていた木のコップを床に置く。
まるで敵意のない気楽な笑顔。まるでこちらの心の隙間に入り込むような態度に、カイムははぐらかされたような感覚を抱いた。
しかし、「事情を説明する」という言葉は偽りではなかったらしく、ファウストはふと真顔になって口を開く。
「さて……君の身体に宿った呪いなのだが、その大元になっているのは『毒の女王』という名前の『魔王級』の魔物なんだよ」
「毒の女王……?」
カイムは首を傾げた。
それは知らない単語だったが……カイムのことを迫害している近隣の村人が、そんな言葉をつぶやいていたような気がする。
「……本当に君の両親は何も教えていないんだね。息子に辛いことを知られたくなかったのか、それとも、自分達が犯した罪を責められたくなかったのか……どちらにしても無責任なことだ」
「……どういう意味ですか?」
「君が呪いに侵されている原因はその『毒の女王』であり、そして君の両親でもあるということだよ。無論、この私もまた原因の一つであるので恨まれる義務があるのだがね」
ファウストが語り出したのは十三年前のことについて。カイムとアーネットの双子の兄妹が生まれる少し前の出来事である。
かつて、この国――ジェイド王国北方に『毒の女王』と呼ばれる『魔王級』のモンスターが出現した。
『魔王級』というのはモンスターの強さを示す等級の一つであり、下から平民級、騎士級、男爵級、子爵級、伯爵級、侯爵級、公爵級、魔王級というふうに上がっていき、上の階級になるほどに強さや危険度が増していく。
魔王級ともなれば国を滅ぼしうる災害級の存在であり、『毒の女王』の出現によってジェイド王国は混乱の渦中に放り込まれたそうだ。
しかし、そんな『毒の女王』から王国を救ったのが、当時『最強』と呼ばれていた冒険者パーティー――『虹の剣』だった。
『拳聖』であるケヴィンを中心とした『虹の剣』を中核とした討伐隊は、多大な犠牲を払いながら『毒の女王』討伐に成功したのである。
討伐隊のリーダーであるケヴィンは『伯爵』に叙されて領地を受け取り、他の参加者も多大な恩賞を国王から与えられた。
「しかし……そんな栄光と引き換えにして、背負ってしまった不幸があった。『毒の女王』にとどめを刺した女性――ケヴィンの妻であるサーシャが呪いを受けてしまったのさ」
ファウストは平たんで落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。
まるで砂漠の砂に水が染み込むように、ファウストの声がカイムの脳に入り込んでいく。
「『毒の女王』が最後に繰り出した呪いは強力で、サーシャはいつ死んでもおかしくない身体になってしまった。どんな医者も魔法使いも直すことは叶わない。そこで……私は医師として彼らに提案したのさ。サーシャが孕んでいた子供一人、双子の片割れに呪いを移してはどうか――とね」
「それはまさか……!」
「君のことだよ、カイム・ハルスベルク。君は両親の意思によって『毒の女王』の呪いを移されたのさ。母親と双子の妹が生き延びるためにね」
「…………!」
カイムは息を呑んで言葉を失った。
もしもファウストの言葉が真実であるとすれば、カイムが『呪い子』として生まれてきたのは自分のせいではない。運が悪かったからでもない。
(母様が、そして『あの男』が悪かったって言うのか……!?)
思えば……母親は生前、まるで懺悔でもするように「ごめんなさい」と泣きながら訴えてくることがあった。
カイムはそれが『呪い子』として産み落としてしまったことについての謝罪だと思っていたのだが……ひょっとして、呪いをカイムに押しつけたことについて謝っていたのだろうか?
「そんなのって……そんなのって、ないじゃないかっ!」
カイムは思わず声を荒げた。
床から立ち上がり、ファウストに向けて胸から込み上げてくる感情をぶつける。
「僕は、僕はこれまで、『呪い子』に生まれたせいでみんなに責められてきたんだ! それなのに……僕じゃなくて両親が原因だったなんて、そんな酷い話はあんまりだ! だったら、僕はこれまでどうしてみんなに責められてきたんだ!? 石を投げられて、悪口を言われてきたんだよ!?」
それは魂から出た言葉である。
カイムはこれまで、自分の苦境を己が原因のものとして受け止めてきた。
自分が『呪い子』に生まれたせい。そのせいで母親を死なせてしまい、みんなに嫌われているのだと思っていた。
だけど……それが両親の責任であるとすれば、話は変わってくる。
「だったら……僕はどうして父親に殴られたんだ! 妹に嫌われたんだ! 村の人達に石を投げられたんだ! 僕は何も悪くないじゃないか!?」
「……その通りさ。君は何も悪くはない。悪いのはご両親と私の責任だ」
少年の嘆きを受け止め、ファウストは頭を下げた。
「私は医師として、一つでも多くの人命を救うことができるように最善を尽くしたつもりだ。だが、それでも君一人に重荷を背負わせてしまったことについては心から申し訳ないと思っている。本当に済まなかった」
「…………!」
真摯に、誠実に謝罪するファウストにカイムは奥歯を噛みしめた。
カイムももう十三歳。分別の付き始める年齢である。ファウストが悪いわけではないのは理解できるのだが……だからといって、許すこともできない。
頭を下げられたくらいで許せるほど、カイムがこれまで味わってきた他者からの悪意は軽くないのである。
「だから……せめて君の『主治医』としての責任を取らせてもらいたい。私は君を救うために来たんだ」
「救う、だって……?」
思わぬ言葉に反唱すると、ファウストが顔を上げてカイムの顔を真っ向に見る。
「君にかけられた『毒の女王』の呪い……それを解く手段がある。十三年前にはできなかったことだが、今の君であればどうにかすることができる。どうか私に君を助けさせてもらえないだろうか?」
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