第37話 邪魔者の末路


「連れ込み宿って……!? おいおい、昼間っから何を言ってやがる!?」


「獣人女は追い詰めた獲物を逃がしませんの! 他の女がいない絶好のチャンス……ここでカイム様を襲わないわけがありませんわ!」


 ティーがまるで誇らしいことであるかのように胸を張る。エプロンドレスに包まれた大きな胸を突き出し、堂々と言い放つ。


「カイム様はきっとこれからも多くの『メス』を惹きつけることでしょう。それは構いません。優れた『オス』は『メス』を侍らせるものですから。ですが……正妻の座は断じて譲りませんの! ティーは初めて会った時から、ずっとカイム様を狙っていたのですから!」


「公衆の面前でとんでもないことを言い放つんじゃねえ! それに初めて会った時って……」


 カイムとティーの初対面は、カイムがまだ乳飲み子のときである。

 まさかとは思うが、ティーは赤ん坊のカイムをすでに『牡』とみなしていたのか。

 その感情は忠義がどうのと言うよりも、狂気すら感じさせられる。愛情が深すぎて恐怖だった。


「う、む……」


 周囲から集まる好奇の視線。観光客やら町の住民やらがこちらを見つめている。


 カイムはどう答えたものか額を抑えて考え込むが……そこで場違いな怒号の声が響き渡った。


「あ、アイツだ! 見つけたぞ!」


「ん?」


 背中に投げかけられた怒号の声。

 カイムが怪訝に振り返ると、そこでは数人の男達がまさに高台に登ってきたところだった。

 身なりの良い貴族風の男性。そして、いかにも荒事に慣れていそうな屈強そうな男達。

 貴族風の男性には見覚えがあった。数時間前、市場で獣人奴隷の少女を虐げていたところを毒で昏倒させた男である。


「アイツめ……さっきはよくもやってくれたな! 帝国貴族である僕に暴力を振るったりして、許されると思ってるのか!?」


「チッ……忙しいときに、面倒臭そうなのが出てきやがったな」


 カイムは大きく舌打ちをした。

 こっちは取り込み中なのだ。外野の相手をしているような暇はない。


「おい、お前達。あの男を殺せ! 僕に無礼を働いた罪を購わせろ!」


「坊ちゃん、本当に殺っちまっていいんですよね?」


「構わない、憲兵も判事も金で黙らせてやる。嬲り殺しにしろ!」


「はいよ、承知しました」


 貴族男の許可を得て、屈強な男達が前に進み出てくる。

 日焼けした筋肉を剥き出しにしたならず者達は手にナイフや棍棒といった武器を持っていた。

 ニタニタと嘲るような醜悪な笑みを浮かべ、カイムとティーを順繰りに見やる。


「へへ、女連れとは気が利いてやがる。後の楽しみが増えたぜ!」


「そこの男をぶっ殺してから、タップリ可愛がってやるぜ。その後は娼館にでも売り飛ばすかな?」


「…………」


 ティーに邪な視線を向ける男達に、カイムはフツフツと怒りの感情が湧いてきた。

 カイムにとって、ティーは幼少時から世話になったメイドであると同時に姉のような存在。おまけに、出奔した自分を追いかけて遠路はるばるやってきてくれた忠臣である。

 そんなティーにドブ川の水のように濁った目を向けていることが、すでに許し難い行為であった。


(殺すか……)


 カイムは静かに殺意を固めて前に出ようとするが……それよりも早くティーが前に出る。


「ガウウウウッ……! ティーとカイム様のデートを邪魔するなんて許せませんの! 万死に値しますわ!」


「ティー?」


 牙を剥き、飢えた獣の形相でティーが唸る。白い髪の毛がユラユラと逆立っており、まるで意志を持った生き物のようになっていた。


「カイム様、ゴミ掃除はメイドであるティーの仕事ですの。ここは任せて欲しいですわ!」


「……そうか」


 どうやら、カイムを連れ込み宿に誘っているところを邪魔されてご立腹らしい。

 有無を言わせることのない怒気に背筋が冷えるのを感じて、カイムはおずおずと後ろに下がった。

 激怒している女に逆らってはいけない。それはこの数日の経験で深く学んだことである。


「ティーだったら心配はいらないと思うが……気をつけろよ」


「はいですわ。すぐに叩きのめしてやりますの!」


 ティーは両手を合わせて凶暴な笑みを浮かべ、近づいてきた男達に立ち向かう。


「おいおい……まさかそっちの女が相手してくれるのかよ」


「へへっ、身体を売って見逃してもらおうってか? 泣かせるねえ」


「女を盾にして生き残ろうだなんて、そっちの男はとんだチキン野郎だな! そんなクズ男じゃ恋人を奪われても……」


「カイム様を侮辱するのは許しませんわ! 地獄に落としてやりますの!」


 主人への侮辱を受けて、ティーが怒りのままに前に踏み出す。

 地面を滑るような鋭い足取りで前進するや、正面にいた男の股間を蹴り上げた。


「あぷっ……」


「ヒイッ!?」


 玉を蹴り飛ばされた男が奇妙な悲鳴を上げてうずくまる。

 他の男達も、下半身が「ヒュンッ」となるような衝撃映像に震え上がった。


「うっわ……容赦ねえ。本当に俺以外にはキツいよな。アイツは」


 カイムもまた、メイドの凶行に顔をひきつらせている。


 長い付き合いであるがゆえに知っているが……ティーは実のところ、メイドとしては苛烈過ぎるくらいの激情家だった。

 ハルスベルク家の屋敷にいた頃も、カイムに無礼を働く執事らにたびたび拳を振るいそうになり、カイムが止めに入っていたくらいだ。


「まだ終わりじゃありませんわ! テメエの罪を数えろですの!」


「グフッ!?」


 うずくまった男の顔面を蹴り飛ばしてトドメを刺す。

 ダメ押しの一撃。まるで手加減も情けもない攻撃である。


「こ、この女、許せねえ!」


「よくも仲間の股間をやりやがったな! ぶっ潰してやる!」


 仲間がやられたのを見て、他の男達が激昂する。

 ナイフや棍棒を振りかぶり、ティーめがけて叩きつけようとした。


「甘いですわ! そんな攻撃かすりもしませんの!」


 ティーが身体をひねり、素早いステップで攻撃をかわしていく。

 人間離れした柔軟かつ機敏な回避。それは彼女が『虎人』という獣人であるからこそ可能な動きである。

 亜人と呼ばれる種族は数多いが……その中でも、虎人は獅子人や狼人と並んで好戦的な戦闘民族だった。

 ティーはメイドとして働く傍らでハルスベルク家の騎士や兵士に混ざって訓練を積んでおり、並の兵士に負けることはない戦闘能力を有しているのだ。


「ちょっとだけ本気を出してあげますの! 喜び、むせび泣くがいいですわ!」


 ティーがエプロンドレスのスカートをはためかせると、スカートの中から棒状の武器が現れた。

 三本の棒が鎖で連結された奇妙な形の武器。異国において『三節棍』と呼ばれている武器である。


「亡き奥様から買っていただいた武器……ここで使わせていただきますの!」


 それはカイムの母であるサーシャ・ハルスベルクの存命中、市場で異国の商人が売っていたのを購入したものだった。

 不思議な形状のその武器は何故かティーの手に良く馴染み、サーシャは「それで息子を守ってあげてね?」と笑顔で買い与えたのである。


「それでは……参りますわ!」


「ギャッ!」


 ティーが三本の棒を器用に振り回し、ならず者の男達に叩きつけた。


「ガウッ! ガウッ! ガウッ! ガウッ!」


「ぐわあっ!?」


「ぎゃあああああああっ!」


 遠心力がつけられた棒が男達の顔や手足、股間を連続して叩く姿はまるで華麗な舞踊のよう。周囲にいる野次馬からも感嘆の声が上がっている。


「おお、すげえ!」


「お嬢ちゃん、いいぞー!」


「やっちまえ! そこだそこだ!」


 ジェイド王国は亜人差別が激しいが、隣国と接するこの町は比較的、異種族への受け入れが良かった。

 次々と屈強な男達をなぎ倒していく美女の姿に、種族という壁を超えた称賛が浴びせられる。


「ぐ……僕が雇った護衛がこんなに一方的にやられるなんて……! 覚えていろよ!」


 一方、雇い主である貴族風の男は形勢不利を悟り、そそくさと逃げ出す。

 町の高台から逃走するために階段を駆け下りるが……いつの間にか、その前方に立ちふさがる男がいた。


「どこへ行くつもりだよ。貴族の坊ちゃん」


「き、貴様は……!」


 貴族男の逃走経路をふさいでいたのは、もちろんカイムである。

 カイムは右手から紫色の不気味な魔力を放出させながら、貴族男を見下すように見上げた・・・・・・・・・・


「兵隊が戦ってるのに大将が逃げるだなんて格好がつかねえだろ。ティーだけにやらせるのも申し訳ないし、ここは俺が遊んでやるよ」


「ぐ……う……僕のパパは帝国の高官で、こんなことをしてタダで済むと……!」


「知るかよ。馬鹿が」


「ギャンッ!?」


 カイムが魔力を放出させた右手で貴族男の顔面を掴む。

 紫色の魔力……毒の属性が付与されたカイムの魔力が、貴族男の顔面にタップリと浴びせられる。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


「当分は見るに堪えない顔面になるだろうが……せいぜい、治療院で後悔することだな。ケンカを売る相手をもっと選ぶべきだったと」


「グ……ギ……ガガガッ……」


 毒を浴びた貴族男が階段に倒れてピクピクと痙攣する。

 酸をかけられたように顔面に大きな火傷を負った男を放置して、カイムは肩をすくめて立ち去った。






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