第9話 覚醒


「クッ……このおおおおおおっ!」


 地面に向けて落下していたカイムは空中でクルリと回転し、両足で綺麗に着地する。


「ッ……!」


 足に魔力を集中させることで、落下のダメージを軽減させる。

 以前のカイムであれば両足を骨折していたところだが……脚が痺れた程度で大きな怪我はない。


「強引なことをしやがって……今度会ったら、蹴ってやる!」


「ガアアアアアアアアアッ!」


「あー……」


 森の拓けた場所に落ちたカイムであったが、周囲を無数のモンスターに囲まれていた。数は少なく見積もって百以上。

 カイムを取り囲んでいたのは狼や熊などの獣型の魔物。カイムは己の中にある『毒の女王』の記憶から、彼らの強さを判定する。


「……等級としては『騎士級』、それに『男爵級』というところか? 『魔王級』に比べるとゴミみたいなものだが……まあ、準備体操の相手には十分かな?」


 ファウストの言うとおりにするのはしゃくだが、『女王』の能力の実験相手としては確かに適切である。


「それじゃあ……闘らせてもらおうか!」


「ガアアアアアアアアッ!」


 戦う覚悟を決めたカイムめがけて、二匹の狼が左右から噛みついてきた。


「フッ!」


「ギャンッ!?」


 カイムは右から迫ってきた狼に裏拳を叩き込んだ。魔力を込めた拳が狼の頭蓋骨を叩き割り、一撃で絶命させる。

 反対側から別の狼が噛みついてくるが、後方に体を反らして回避し、すれ違いざまにその胴体を蹴りつけた。


「ギャウンッ!」


 下から胴体を蹴られた狼が宙を飛んでいく。即死は免れたようだが、あれだけの勢いで蹴られたからには、内臓が破裂してすぐに死に至ることだろう。


「さあ、ガンガンいこうか! 休まずかかってこいよ!」


「ガアアアアアアアアアッ!」


 次々と狼のモンスターが襲いかかってくる。

 カイムは飛びかかってくる敵を殴っては蹴り、投げ飛ばし、踏みつけ、一方的に蹴散らしていく。

 その黒い狼は『ブラックウルフ』と呼ばれるモンスターで、魔物の等級で言うところの『騎士級』に序列されている。

 訓練された兵士や冒険者でなければ、倒すのは困難なはずなのだが……魔力によって強化されたカイムの肉体はそれを容易に倒していく。


『毒の女王』の力を使う必要性すら感じない。

 魔力を纏って殴り、蹴るだけで容易く葬り去ることができた。


「まるで自分の身体じゃないみたいだ! 俺の手足がこんなに強く素早く動くなんて……!」


 まるで自分の身体が獅子や虎にでも化けたようだ。

 躍動する肉体が鋭い打撃を繰り出し、縦横無尽に狼を打ち倒していく。

 少し前までは、ちょっと身体を動かしただけで咳込んで血を吐いていたというのに……今は驚くほどに身体が軽い。


「健康体ってこんなに素晴らしいものだったんだな! 生まれた時から呪われていたから知らなかった!」


「ゴアアアアアアアアアッ!」


「お……今度は骨がありそうなのが出てきたな!」


 狼の群の向こうから頭部に角を生やした熊が現れた。

『アーマーベア』という名前のモンスターであり、脅威度はブラックウルフよりも二段階上。小隊を組んだ兵士に匹敵する強さを持つ『子爵級』のモンスターである。

 二メートルほどの巨体の熊は胴体を鎧のような甲殻で覆っており、並の刃物では攻撃が通らなくなっていた。


「ゴアッ!」


「ハッ! 危ない危ない、これはちょっとだけ本気を出す必要がありそうだ!」


 振り下ろされたアーマーベアの爪をバックステップで避ける。力強い一撃によって、地面に大きな爪痕が刻まれた。

 カイムは口元に笑みを浮かべ、弓矢を放つ寸前のように腕を引く。握りしめた拳に魔力を込めて、アーマーベアの胴体に狙いを定めた。


「闘鬼神流――【麒麟】!」


 拳に渾身の魔力を込めて、高密度に圧縮させる。そして……引いた腕を前方に向けて一気に解き放った。

 拳から放たれた魔力がコークスクリューのように回転し、物理的な衝撃波となってアーマーベアの胸に着弾する。


「グギャアアアアアアアッ!?」


 アーマーベアの固い装甲を粉々に砕き、衝撃波はなおも勢いを止めることなく突き進む。筋肉を、骨を、内蔵を破壊し、背中まで貫通して突き抜けていく。

 まるで巨大な一角獣に貫かれたように、アーマーベアの胴体に大きな穴が穿たれる。巨体が地面に沈み、そのまま動かなくなった。


「うん……いいね。体調万全、絶好調!」


 大技を繰り出して、カイムは会心の笑みを浮かべた。


 闘鬼神流。

 それは東方の大陸にルーツを持つ武術の流派であり、『拳聖』であるケヴィン・ハルスベルクが修めた格闘術だ。

 武器や防具を使うのではなく肉体に圧縮した魔力を纏って闘うことを重んじたこの格闘術は、異質でありながら極めれば最強と謡われている。


 カイムがこの格闘術を父親から習ったことは……一度もない。

 双子の妹は毎日のように稽古を付けてもらっているというのに、カイムは初歩すらも教えられていなかった。

 にもかかわらず、カイムが闘鬼神流の技を使うことができるのは、父と妹が鍛錬をしている姿をいつも遠くから見つめていたからである。


 武術には『見稽古』というものがある。

 達人の技を見て、自分の中で理想の動きのイメージを固める鍛錬法なのだが、カイムは屋敷を追い出されるまでそれを続けてきた。母が亡くなって屋敷から追い出されるまで、ずっとずっと父と妹の鍛錬を見つめていたのだ。

 時折、病弱な身体に鞭を打って父の技を真似ながら自主トレーニングをしたこともある。

 呪いに冒された肉体ではろくな鍛錬にはならなかったが、そんなひたむきな努力が呪いを克服してから実を結ぶことになった。


「ガウウゥ……」


「グルルル……」


 周囲にいるモンスターの動きが緩慢になり、あからさまに怯えを見せ始める。

 どうやら、アーマーベアがスタンピードの中心である『群れの長』だったらしい。頭を潰されたことで、魔物の群は統率を失っている。

 放っておけば、勝手に逃げて散り散りになりそうだが……カイムは牙を剥いて凶暴な笑みを浮かべた。


「格闘術の試しはこれでお終い。次は……『毒の女王』の力を実験させてもらおうか?」


 逃げだそうとするモンスターに向けて、死刑宣告となるであろう言葉を突きつける。

 カイムの右手から『毒の女王』の力――紫色の魔力が溢れ出た。


「『毒の王』が使う最初の魔法……お前らのような雑魚にはもったいない一撃だ。肉体が滅びるまで、せいぜい堪能してもらおうか! 紫毒魔法――【腐食の慈雨アシッド・レイン】!」


 カイムが頭上に右手を掲げる。その掌から高濃度の魔力が放たれて、天を衝く。


「「「「「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」」」」


 巨大な魔力が紫色の雨となって降り注ぐ。

 強酸の毒が込められた雨に全身を打たれ、その場にいたモンスター全てが身体を焼かれる。

 木々を溶かし、大地を焼きながら……毒の雨が数十、数百の魔物は残らず骨になるまで溶かしていく。


 強力な魔法が抵抗も許さずに魔物を殲滅した。

 その場から逃げ延び、生き残った魔物は……ただの一匹すらもいなかったのである。



     ○          ○          ○



「何だこれは……いったい、この場所で何が起こったというのだ?」


 カイムが魔物の群を潰した一時間後。スタンピードの知らせを聞いた領主――ケヴィン・ハルスベルクが現場に到着した。

 伯爵家に仕えている騎士を引き連れて平原にやってきたケヴィンであったが、そこには何もなかった。

 少なくとも……生ける者はいない。獣や魔物も。草木の一本すらも生えてはいないのだ。


 その場所は本来、丈の低い草木が群生していたはずだった。

 しかし、見渡す限りの草木は全て枯れ果てており、褐色の地面がむき出しになって荒野のようになっている。

 そして、一面が禿げあがった地面には無数の骨が散乱しており、まるで地獄の一部が地上にせり出してきたような有様となっていた。


「どういうことなのでしょう……魔物の群はいないようですが……」


「…………」


 騎士の一人がケヴィンに問いかけるも……一団のリーダーである伯爵は無言。顔面を蒼白にして、骨だけとなった魔物の死骸を見つめている。


(これは……この風景はまさか……)


 それは見覚えのある光景だった。

 十三年前の忌まわしい記憶。かつて王国北部で起こった『毒の女王』による被害を受けた地域が、まさにこんな光景となっていたのだ。


(あの時は魔物ではなく、人間の骨が転がっていたが……)


『毒の女王』はもういないはず。

 ならば、この絶望という言葉を具象したような景色を生み出したのはいったい……


「まさか……お前だというのか。カイム……」


 ケヴィンは『毒の女王』の呪いを受けた息子の顔を思い出し、重々しい声音で唸ったのである。

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