第10話 旅立ち
「チッ……ファウストめ、好き勝手にやるだけやって消えやがった!」
モンスターのスタンピードを殲滅して、カイムは自分の小屋に戻ってきた。そこにファウストの姿はない。小屋の中は静まりかえっている。
「ん……?」
ふと床に目を向けると、そこに片手で持ち上げられる程度の大きさのバッグが置いてあることに気がついた。
「これは……マジックバックか?」
『女王』の記憶からカイムはそれが何だかわかった。
それはマジックバックという高価なアイテムであり、空間魔法がかけられて外見以上の質量を納めることができるものだった。
バックを開いて中身を確認すると、そこには衣服や食料、テントなどの旅に必要な荷物が入っている。さらに、金貨や銀貨が詰まった袋まで入れられていた。
「むう……餞別ってことかな? まあ、魔物の群に放り込んだことは許してやるか」
考えても見れば、ファウストは自分に対して嘘やごまかしをしなかった気がする。
もちろん、何か隠し事をしている可能性もあるが……父親がそうであったように、自分に呪いを移したことなどを隠していたりはしなかった。
父親や村の連中と比べれば、はるかに信用できる人物だった気がする。
「……ありがとう。感謝するよ」
カイムはこの場にいない恩人に向けて礼の言葉を告げて、マジックバックを手に取った。数少ない持ち物や荷物をバックの中に放り込み、旅支度を整える。
元々、持ち物は多くない。すぐに準備は整った。
「よし……」
旅支度を終えたカイムは大きく頷いた。
旅立つ前に挨拶をしたい人間は……いないこともない。自分のことを唯一気にかけてくれたメイドのティーには会いたい気持ちはあった。
(だけど……今の俺はこんな姿だ。案外、会っても誰だかわからないかもしれないな)
『毒の女王』と融合したことで、カイムは十三歳から五年以上は成長している。
元々はくすんだ銀髪だった髪、灰色の瞳も紫色に染まっており、ティーに会っても誰だかわからない可能性もあった。
何より……ティーにはメイドとしての生活。この領地で、ハルスベルク伯爵家で築き上げてきたものがある。
カイムの旅に付き合うということは、十年以上もかけてこの場所で築いてきた物を失うということだ。
(生まれ育ったこの場所から出て行くというのは、あくまでも俺の事情だ。ティーに給料を支払っている雇い主は父親。ティーを拾って屋敷に迎え入れた恩人は死んだ母様だ。本当は、ティーが俺に義理立てする理由なんてない。これ以上、個人的な『
あるいは……これは未練を断ち切る良い機会なのかもしれない。
恩人である母の遺言によってカイムの面倒をみてくれたティーだったが、そろそろ彼女を解放するべきではないか。
カイムは『力』と『自由』を得た。ならば、カイムの存在に縛られているティーだって、もう好きなように生きて良いはずだ。
「……顔は合わせない。手紙を残しておくくらいでちょうどいいか。達者で暮らせよ、ティー」
ファウストからもらったアイテムバッグにちょうど良くペンと紙が入っていた。
羊皮紙に拙い文字で世話になったメイドにお礼の言葉を書くと、小屋に残して外に出た。
すでに日は沈み、空には月が昇っている。
あまり旅立ちに適した時間帯ではないが……誰に見送られることもなく旅立っていく方が、日陰者のカイムにはお似合いなのかもしれない。
(魔王と融合した人間……『魔人』とでも呼ばれるべき俺には似合いの空だ。別に目に焼き付けたいほど、この場所に良い思い出があるわけでもないからな)
そんなことを考えて、カイムは歩き慣れた獣道を進んでいく。
新たな旅立ちに心を躍らせ、生まれ育った故郷を後にしようとするが……そこでもっとも聞きたくない人間の声が聞こえた。
「お前は……カイム、なのか?」
「ッ……!」
新たな門出に水を差されて、カイムは後ろを振り返った。
そこには会いたくない人間の筆頭。父親であるケヴィン・ハルスベルクが立っていたのである。
ケヴィンは今まさにここに到着して、馬から下りたところだった。護衛などは連れていない。なぜか一人きりでここに来たようだ。
ケヴィンは紫色の髪と瞳、十三歳の少年から数年分成長した息子の姿を見て、驚きに目を見開いている。
「まさか……ここで遭遇することになるなんてね。親子の絆、じゃあないか。どちらかというと因縁や悪縁に近いのかな?」
「その姿は、髪と瞳はいったい……お前はカイムなのか? それとも、『毒の女王』なのか?」
「どちらでも好きな方と取ればいいさ。父上殿?」
カイムは皮肉そうに唇をつり上げ、両手を広げた。
「別に恨み言を言うつもりなんてない。十三年前のことは、貴方にとっても苦渋の選択だったのだと思う。真実を黙っていたことも、何の非もない『僕』のことを冷遇して虐げたことも……まあ、外見通り大人になって水に流してやるさ。だけど……これから先は許さない」
「何を……」
「俺はここから出て行く。自分の本当の家族を、故郷を手に入れるために、旅に出る。邪魔をするというのなら潰させてもらう」
「…………!」
カイムの身体から放たれる圧倒的な威圧感。ケヴィンが息を呑み、その場から飛び退いた。
さすがは『拳聖』と呼ばれる男である。今のカイムが巨大な力を手にしていることに気がついたようだ。
「……どうやら、『毒の女王』の呪い飲み込まれてしまったらしいな。この化け物め、貴様のような厄災をこの地から出すわけにはいかん!」
「……ああ、やっぱりこうなるんだな。予想していた展開だよ」
これが父親に会いたくなかった理由である。
かつては仲間を率いて『毒の女王』と戦い、妻を呪われたこの男は彼女のことを憎悪していた。
『女王』と同じ姿になったカイムを見て、何もせずに見送ってくれるわけがない。
まともな信頼関係ができた親子であれば、きちんと事情を話せば伝わるかもしれない。けれど、この男とカイムの間にそれはない。
意見をぶつけ合うことができるとすれば、それは拳を通じてだけだろう。
「……いいだろう。闘ってやるよ。実を言うと、以前から父上殿に稽古をつけてもらいたいと思っていたんだ。今の俺にとってはどうでもいいことだけどな」
「……私を父と呼ぶな。『毒の女王』が」
「フンッ……」
カイムは拳を握りしめ、ケヴィンに正面から向き合った。ケヴィンもまた拳を握り、息子へと向ける。
二人がとった構えはまるで同じもの。『闘鬼神流』の基本的な構えだった。
「化け物が一丁前に猿真似か? 人ならざる魔物に我が流派の神髄を究めることなど、断じてできぬ!」
「それは己の身を持って体験するといい……子供の成長を見届けるのが、世間一般の父親らしいぞ?」
「ほざけ!」
ケヴィンが圧縮した魔力を拳にまとい、カイムの顔面を殴りかかってきた。『拳聖』と呼ばれる男の打撃は恐ろしく鋭く、早いものである。
「ッ……!?」
しかし、カイムは鼻面を叩き潰さんとする拳を見事にかわした。回避しただけではない。下からすくい上げるようにカウンターの拳を放ち、ケヴィンの顎を狙う。
「クッ……!」
ケヴィンが後方に飛んでアッパーカットを避ける。
カイムと距離をとり、思わず背筋を流れた冷たい汗に表情を歪めた。
「へえ」
カイムは追撃することなく、パチクリと瞬きを繰り返し、振り抜いた拳の感触を確かめる。
「さすがに速いが……『彼女』の記憶にある十三年前の動きよりも、だいぶ遅いな? ひょっとして、年を食って鈍ったのか?」
「カイム、貴様……!」
「それとも、息子を相手にして手加減でもしているのか? だったら、改めることを薦めよう。今さら父親顔されるのは迷惑だ。本気でかかってこいよ」
「ッ……!」
カイムの挑発を受けて、ケヴィンはギリッと音が鳴るほど奥歯を噛みしめた。明らかに目つきが変わり、その身体から濃密な殺気が漏れ出してくる。
「……いいだろう。『拳聖』と謡われし我が武を見せてやる。『闘鬼神流』の神髄、とくと味わうがいい!」
「そうさせてもらおう……かかってこいよ」
「ぬんっ!」
ケヴィンは地面を蹴り、本気の拳打を放ってきた。
カイムは獣のように牙を剥いて笑い、父親の本気に真っ向から相対する。
怒りの形相の父と、喜悦の表情の息子。
正面から拳を打ち合う二人は、皮肉なほどよく似た親子に見えたのだった。
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