第11話 父と息子


「ぬうんっ!」


「フッ!」


 ケヴィンが目の前の青年に拳を叩きつけた。

 何度も何度も拳打を繰り出し、時折、蹴撃を交えて眼前の敵を打ち砕こうとする。

 最強と呼ばれし『闘鬼神流』にはフェイントは存在しない。

 小細工など何もない。一撃一撃が必殺であり、大砲のような威力と勢いを有する打撃だった。


 カイムはそんな父親の打撃をひたすらに受け、躱し、捌いていく。

 一発でもまともに喰らってしまえば、骨折どころか肉体そのものが砕けてしまうかもしれない。圧縮された魔力を纏った打撃にはそれだけの威力があるのだから。

 しかし、カイムに恐れはない。それどころか、綱渡りじみた激しい攻防の中で愉悦すらも感じていた。


(全力を出している! 『拳聖』が、この俺に対して……!)


 かつて、カイムにとってケヴィン・ハルスベルクというのは父でありながら、絶対的で揺らぐことのない壁のような存在だった。

 逆らうことなど、立ち向かうことなど考えられない。口答えすら許されず、不興を買おうものなら重い拳骨げんこつが飛んでくる。

 カイムの心に深く強い劣等感を与え、呪いを移したこととは別にして、その人生を幸福ならざるものと決定づけた張本人――それがケヴィン・ハルスベルクという人間だった。


(そんな親父が、ケヴィン・ハルスベルクが俺に本気で拳を振るっている! 堪らない、これが強敵との戦いか――!)


 先ほど、モンスターの群を駆逐したときは別種の高揚感。

 弱者を叩き潰すのではなく、強者に立ち向かうことへの興奮がカイムの胸を満たしていく。


「闘鬼神流――【白虎】!」


 ケヴィンが右手の指を鉤爪のように折り曲げ、薙ぎ払ってきた。

 魔力によって強化された指と爪はまさに「虎爪」。岩盤をえぐるほどの威力がある。


「闘鬼神流――【玄亀】!」


 対するカイムは両腕を盾のように構え、脚を畳んで身体を丸めた。限界まで身体の表面積を小さくして、圧縮魔力による防御の密度を大きく上昇させる。


 ケヴィンの虎爪はカイムに命中したものの、ガキンと金属がぶつかり合うような音を鳴らして弾かれた。


「痛ッ……! さすがは『拳聖』。防御の上からでも衝撃が響いてきやがる!」


「……どうやら、本当に闘鬼神流の技を拾得しているようだな。どうやって、どこで学んだ?」


「寝ぼけたことを聞くじゃないか。俺にこれを教えてくれたのはアンタだろう?」


「何だと?」


 怪訝に眉根を寄せるケヴィンに、カイムは中指を立てて言い放つ。


「家から追い出されるまで、ずっと見せてくれたじゃないか。妹と一緒に稽古する姿を。まるで自慢するように。見せつけるみたいにな!」


「ッ……!」


「あてつけのように父娘仲睦まじく鍛錬しているところを見せてもらったおかげで、闘鬼神流の基本的な技は頭に入っている。あとはそれを自分の身体で再現するだけ。簡単なことじゃないか」


「見ただけで収得したというのか……! 誰かに師事することなく、この域まで。私と戦えるレベルにまでたどり着いただと……!?」


 そうだとすれば、カイムは天才ということになる。

 溺愛し、懇切丁寧に武術を教えている娘――アーネットだってこの高みにまでは到底たどりついていない。それなのに……ずっと冷遇していたはずの息子が、先に流派の神髄の一端を掴んだことになってしまう。

 それはケヴィンにとって、とてもではないが受け入れられるものではない。双子の兄妹が生まれてからの十三年を全否定されたような心境である。


「妻は、サーシャは貴様のことを愛していたが……私は貴様を息子だなどと思ったことはない!」


 ケヴィンは拳を振るう動きを止めることなく、血を吐くような苦悶の顔で怒鳴りつける。


「お前の身体に刻まれていた呪いのアザを見るたびに、妻の命欲しさに我が子を犠牲にした罪を突きつけられる……これがどんな気持ちだかわかるか!?」


「…………」


「貴様は生まれてくるべきではなかったのだ! サーシャの胎の中で死んでいてくれれば、尊い犠牲として弔うことができた。『毒の女王』を憎み、全ての責任を押しつけることができた! だが……お前は生まれてきた。お前の顔を見るたびに、その顔に刻まれたアザが私を責め立ててくる! 『息子が呪われたのはお前のせいだ』と訴えかけてくる! そんな息子を愛することなどできるわけがない!」


「…………」


「そうだ……生まれてきてはいけなかったのだ。殺しておくべきだったのだ……! そうしておけば、サーシャだって死ぬことだってなかった。私達は仲の良い三人親子として幸せに生きていくことができたのだ! 私は悪くない、何も間違ってなどいない!」


「……どうでもいいんだよ。死ぬほどに」


 いよいよ本音をぶちまけた父親の姿に、カイムは辟易して吐き捨てた。

『毒の女王』と融合する以前のカイムであれば、刃のような言葉に傷つけられたかもしれない。だが……今となっては、父親の本心などどうでもいいことである。


「大の男がみっともなく喚くなよ……鬱陶しいんだよ」


 ……などと他人事のような感想しかない。

 元々、ケヴィンはカイムに対して家族として接してこなかったが……外面だけでなく内面も同じだったというだけのこと。

 領地から出奔し、完全にハルスベルク家と絶縁する覚悟を決めたカイムにとっては気にする余地もない些事である。


「アンタが俺のことをどう思っていようと、俺には関係ない。敬愛する母様に免じて見逃してやるから、さっさと失せろよ」


「化け物が……貴様がサーシャのことを語るな! 骨の欠片すら残すことなく滅するがいい……『毒の女王』よ!」


「ッ……!」


 ケヴィンの全身から大量の魔力が放出される。その勢いはまるで火山の噴火。

 爆発するような勢いで増大した魔力を身体の表面にとどめ、圧縮して全身鎧のように身にまとう。


「闘鬼神流秘奥の壱――【蚩尤しゆう】!」


「なんて威圧感だ……! その技は初めて見るな! 妹にだって教えていないものじゃないか!?」


「当然だ! 『秘奥の型』は『基本の型』とは異なり、免許皆伝に至る実力を持った人間にしか明かされない秘伝の技。いずれはアーネットにも伝授するつもりだったが……まだその時ではない。無論、貴様が目にするのもこれが最初で最後だ!」


「フン……!」


 カイムは忌々しげに鼻を鳴らして、拳を引いて腰を落とす。

 闘鬼神流『基本の型』において、もっとも突撃力と貫通力に優れた技――【麒麟】の構えである。

 カイムは闘鬼神流の基本の型しか知らない。『秘奥の型』とやらを修得できていない以上、持っているカードで勝負するしかなかった。


 基本の構えを取ったカイムに、ケヴィンは嘲笑するかのように口角を上げる。


「言っておくが……その技で【蚩尤】を受けることはできん! 大人しく引導を受けよ。サーシャに免じて、苦しむことなく一撃で葬ってやろう!」


「余計なお世話だ。親でも師でもないアンタに慈悲など施される覚えはない。敬愛する母の名前を出せば寛大に見られると思っているのなら……正直、不愉快だ」


「貴様……!」


 ケヴィンは大きく表情を歪めるが、無言で構えを取り続けているカイムの姿に真顔になった。

 どれほど怒り狂い、理不尽を向けてきていたとしても……この男は曲がりなりにも『拳聖』である。もはや言葉をぶつけ合う段階ではないと悟ったのだろう。


 武人と武人が拳を構えて立っているのであれば、そこから先に言葉はいらない。ただ、己が肉体と武勇を持って語るのみである。


「消え去るがいい……我が不肖の息子。消し去るべき過去! 『毒の女王』よ!」


 先に動いたのはケヴィンである。


 闘鬼神流秘奥の型――【蚩尤】。

 これは東国において魔力の根源とされている『チャクラ』と呼ばれる部位を解放することにより、瞬間的に爆発的な魔力を生み出す技だった。

 魔力の上昇量は解放したチャクラの数によって異なるが……少なくとも二倍。極めた達人であれば七倍まで魔力を高めることができる。


 カイムは闘鬼神流における『基本の型』を一通り修得しているものの、『秘奥の型』についてはまったく学んでいない。

 いくら天才的なセンスがあったとしても、一朝一夕でチャクラを解放させる手段など覚えられるわけがなかった。


「ハアアアアアアアアアアアアアッ!」


 ゆえに、カイムの行動はシンプル。

 現在、自分が持っている全ての魔力を【麒麟】に込めて撃ち放つのみ。

 全身全霊。全力で拳を突き出した。


けええええええええええええええええっ!!」


 回転を込めて放たれた圧縮魔力の衝撃波が、飛びかかってきたケヴィンの身体に突き刺さる。猛進するその動きをわずかに停止させた。


「ヌウウウウウウウウウウウウウッ!」


 だが……【蚩尤】によって極限まで強化された肉体を貫くには至らない。

 ケヴィンがまとっている魔力の装甲にぶつかった衝撃波は、散り散りになって弾かれてしまう。

 ケヴィンが衝撃波を防ぎながら、ジリジリと距離を詰めてくる。

 カイムは動かない。拳を突き出した格好のまま、魔力の衝撃波を放ち続けた。


「ハアアアアアアアアアアアアアッ!」


「ヌウウウウウウウウウウウウウッ!」


 徐々に二人の距離が縮まっていく。


 三メートル。


 二メートル


 一メートル。


 いよいよ手が届く距離まで接近して、ケヴィンの顔に会心の笑みが浮かぶ。


「勝った……!」


 ケヴィンの口からそんな言葉が出たのは無理もないことである。

 一撃必殺の技である【麒麟】で仕留めることができなかった時点で、カイムはすでに敗北していた。

【蚩尤】によって爆発的に肉体を強化したケヴィンに抗う手段はない。そのまま掴まれて、身体を叩き潰されるだけである。


「ッ……!?」


 しかし、そこで予想外の事態が生じた。

 ケヴィンの足腰から力が抜けて、その場に膝をついてしまったのである。


「何が……!?」


「フッ!」


 その隙をカイムは見逃さなかった。

【麒麟】を止めてケヴィンに向けて飛びかかり、顔面を掴んで膝蹴りを叩き込む。


「ガハッ!?」


「そのまま寝ていろ! 闘鬼神流――【応龍】!」


 仰向けに倒れたケヴィンの上に跨り、カイムは渾身の一撃をぶつけた。

【麒麟】が魔力の衝撃波を飛ばす技であるのに対して、【応龍】は零距離から相手の身体に直接衝撃を打ち込む技。

 カイムはケヴィンの胸に手を当てて、発剄によって渾身の魔力を突き入れた。


「ハッ!」


「グゴアアッ!?」


 ケヴィンの口から血が噴き出す。顔に父親の血がかかるが……カイムはわずかに表情を顰めただけだった。

 ケヴィンが四肢をバッタリと地面に投げ出し、そのまま気を失う。わずかに胸が上下しており生きてはいるようだ。


「解けかけていたとはいえ、【蚩尤】の装甲に救われたな。それがなかったら死んでいただろう」


「…………」


 グッタリと横たわった父親の身体を見下ろし、カイムは戦いで乱れた服を整える。


 ケヴィンが戦いの途中で体勢を崩してしまったのは、まともに喰らってしまったカイムの魔力が原因だった。

【麒麟】による衝撃波こそ防ぐことができたものの、カイムは『毒の女王』の力を引き継いでいるのだ。

『女王』の力――紫毒魔法によって毒化された魔力を浴びて、毒の症状によって身体を麻痺させてしまったのである。

 毒によって【蚩尤】による魔力の装甲も崩れてしまい、その間隙を突かれることになったのだ。


「武闘家としてはそちらが圧倒的に上だった。だが……毒への警戒を怠るなんて、さすがに油断が過ぎるんじゃないか?」


 結局のところ、ケヴィンはカイムのことを最後まで『出来損ないの息子』として侮っていたのかもしれない。

 カイムを『毒の女王』と呼びながら毒を警戒しないだなんて、王国最強の『拳聖』としては間抜けすぎるやられ方である。


 カイムは地面に落としていたマジックバッグを拾って、倒れた父親に背中を向けて歩き出した。

 もはやここには戻るまい――そう覚悟を決めて森の中を歩いていこうとするが……進行方向上にいくつかの人影があった。


「む……」


 それはハルスベルク伯爵家に仕える騎士だった。

 何時からそこにいたのだろう。数人の騎士が道に立っており、倒れたケヴィンの姿に困惑した顔になっている。


「お、お父様……」


 さらに驚くべきことは、その中にカイムの双子の妹――アーネットの姿があったことである。

 どうやら、道に並んだ騎士はアーネットの護衛としてここまで送ってきたようだ。

 わざわざカイムの小屋まで来たのは、帰りが遅い父親を心配したのか。それとも、虫の知らせでもあったのだろうか……?


「フン……」


 カイムは肩をすくめて、アーネットと騎士らの横をすり抜けていこうとする。


「別に殺してはいない。親殺しをしなくちゃならないほど恨んでもいないからな」


「ま、待て!」


「邪魔をするな。鬱陶しいぞ」


 慌てたように剣を抜く騎士であったが、カイムの拳が閃いた。

 その場にいた五人の騎士が剣を向けてくるよりも先に、顎や腹部を殴打して昏倒させる。

 毒を使わなかったのは慈悲ではない。このレベルの相手に魔力を消耗するのが惜しかったからである。


「ぐ……あ……」


「そのまま寝ていろ。どうせお前らじゃ俺を止めることなんて……」


「ま、待ちなさいっ!」


 カイムの言葉を断ち切り、アーネットが叫んできた。

 横を通り過ぎ、双子の妹を無視して進んでいく兄に向かって……震える拳を構えてくる。


「お、お父様をよくも! 許さない、許さないんだからねっ!?」


「ハア……許さないならどうするというんだ? 今度はお前が戦うのかよ?」


 ウンザリした気分になりながら、カイムは振り返ることすらなく訊ねた。


「父親が負けた相手に勝てると思っているのか? 格上の相手からは逃げろって教わらなかったのか?」


「わ、私は『拳聖』の娘……アーネット・ハルスベルク! ハルスベルク伯爵家の名に懸けて、敵に怯えて逃げたりなんて……!」


「【麒麟】」


 振り返りざま、魔力の衝撃波を放つ。

 超高速で回転しながら、圧縮された魔力の塊がアーネットの顔の横を突き抜けていく。

 あと数センチずれていたら、少女の顔面が大きくえぐられていたに違いない。


「ヒッ……!」


 撃ち放った【麒麟】は全力の一割にも満たないものだったが……その一撃はアーネットが反応できないほど鋭いものだった。

 しょせんは十三歳の少女でしかないアーネットはその場に尻もちをついてしまい、よくよく見てみれば股の間からじんわりと水たまりが広がっている。


「……俺を殺したいのなら追いかけてくればいい。ただし、死ぬ覚悟を決めてな」


 せめてもの情けで妹の醜態を見なかったことにして、カイムはその場から立ち去った。


 カイムはその日のうちにハルスベルク伯爵領から立ち去り、生まれ故郷であるその地に二度と戻ってくることはなかったのである。






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