第8話 願い

「『毒の王』……なるほど、確かに今の君の姿は『女王』などとは呼ぶことはできないね。どうやら、カイム君と『毒の女王』が融合して一つの存在となったようだけど、人間に対して敵意は……なさそうだね」


 カイムに顔を寄せて紫の瞳をのぞき込み、ファウストは頷いた。

 まるで最良の実験結果を得た研究者のような満足げな表情である。


「過去に別の『魔王級』と遭遇したことがあるけれど、君の瞳は明らかに魔王とは異なっているよ。人類への憎しみも恨みもない。本当に……驚くほどに、澄んだ目をしている」


「そうなのか? 自分ではよくわからないんだが……」


「自覚がなかったようだけど……『女王』と対話する前、君の瞳は酷く濁った汚らしいものだった。自分の境遇への不満、恵まれた他者への妬み、父親か母親、あるいは私に対する憎しみ。他にも劣等感や卑屈さまで浮かんでいた。だけど、今の君の目からはそれが消えている。邪悪な魔王を取り込んで、かえって爽やかで清々しい表情になるなんて……とても興味深いね」


「…………」


 ファウストの言葉にムッとしながらも、カイムはどこか納得していた。

 明鏡止水とでも呼べばいいのか。今のカイムの心の内は自分でも驚くほどに澄み渡っており、それまで抱いていた暗い感情が吹き飛ばされている。


 自分に呪いを押しつけた者達への憎しみも。

 自分を虐げた者達への恨みも。

 自分を犠牲にして幸福を得ている妹への妬みも。

 自分に『呪い子』としての運命を与えた世界への敵意も。

 全部が全部、残らず消え去っており、まるで心の中を爽やかな風が吹き抜けていくようだった。


「『彼女』と融合したことが原因か……? 母が亡くなってから……いや、母が生きていた頃さえ、味わったことがないほど気分が良い。まるで生まれ変わったようだ」


「ふうん? 異なる性質を持った二種類の毒が混じり合って中和されたのか。それとも、マイナスとマイナスが掛け合わされてプラスに転じたのか。どちらにしても、君に対する興味は尽きないね」


「興味が尽きないのなら、どうするつもりだ? 実験動物にでもするつもりかよ?」


 からかうような口調のファウストに、カイムもまた冗談半分に言ってやる。


「俺は貴女に感謝している。母の胎内にいた『僕』の身体に呪いを移したことだって、もう怒ってない。むしろ、今となっては恩人だとさえ思っている。だけど……敵対するのであれば容赦をするつもりもないぞ?」


 スウッとカイムは声を低くした。

 拳を握りしめて開くと、そこに紫色の魔力が集まっていく。

『毒の女王』から引き継いだ異能。毒を操る魔法は、今やカイム自身に宿っていた。


「俺はこれから、自分の望みを叶えにいく。『僕』と『彼女』、それに『母』の願いを叶えるために生きることを決めた。それを邪魔するのであれば……ここで潰す」


「……へえ、面白いことを言ってくれるじゃないか。君達の願いとやらを聞かせてもらってもかまわないかい?」


 ファウストが降参するように両手を挙げる。

 隠す理由もなく……カイムは胸を張って堂々と答えた。


「家族を作る。それが俺の……『僕』らの願いだ」


「家族……?」


「ああ、俺達を裏切ることのない家族。一緒にいるのが当たり前で、助け合って、笑いあって、時々ケンカもして……だけど相手を憎んだりは絶対にしない。そんな家族を探しに行く。子供に暴力を振るう父親じゃない。双子の兄を忌み嫌う妹じゃない。真の家族を迎えに行くんだ」


「フフッ……」


 カイムの答えを聞いて、ファウストは失笑した。

 口元を押さえて顔を背け、クツクツと肩を揺らして笑う。


「フ、ククク……いいね。実に素晴らしい願いだよ」


「……ひょっとして、馬鹿にしてないか?」


「していないとも。本当に、心から立派な願いだと思うよ……そうか、それが『毒の女王』の願望だったのか」


 ファウストはなおもニヤニヤと笑いながら、愉快そうな表情でズレた眼鏡を押し上げる。


「それが君の目的だというのなら、しばらくは放置して問題なさそうだね」


「ん……どういう意味だ?」


「『毒の女王』を手に入れたことで、君は良かれ悪かれ、多くの人間を引きつけることになるだろう。その中には、君の存在を危険視して消そうとする人間もいるだろうね」


「……そうかよ。そのときは容赦しない。絶対に俺の目的は邪魔させない」


「そうかい? だったら……特に『聖霊教会』にはくれぐれも気をつけたまえ。彼らは魔物……とりわけ『魔王級』を敵視している。君の存在を知れば、何らかのアクションをとってくるはずだ」


「『聖霊教会』……」


「この地から去るつもりなら、東の帝国に向かうといい。あの国は教会の影響力が弱いからね」


「…………」


 ファウストの言葉にカイムは考え込む。

 カイムは父親の影響力のあるこの土地から出て行き、自分の家族となる人間を捜すつもりだった。


(この国は『毒の女王』によって大きな被害を与えられた。俺のことを知れば、敵視してくる人間も多いだろう)


 ならば、いっそのことファウストが言うとおりに他国に行ってしまった方がいいのかもしれない。

 カイムはハルスベルク領から出た経験はないが、今は『女王』の記憶や経験を引き継いでいる。一人旅くらいなら問題なくできるだろう。


「そうだな……そうしようか。子供の頃に母に読んでもらった物語のように、冒険をしてみたいという気持ちはあるし」


「うんうん、旅は良いものだよ。私も大陸中、ほとんどの場所に行ったけど、見知らぬ場所への旅はいつだって心が躍る。だけど……その前に『毒の女王』の力を確認しておいた方がいいんじゃないかな?」


「確認……?」


「いかにカイム君が『毒の女王』の力や経験を引き継いでいるとはいえ、実戦経験は少ないはず。旅に出る前に、腕試しをしておいて損はないと思うけど?」


「それはそうかもしれないが……腕試しって、誰と戦えばいんだよ。まさか、貴女が相手をしてくれるというわけじゃないんだろ?」


「それはそれで愉しそうだが……私よりもふさわしい相手がいる」


 ファウストがニンマリと笑ったかと思えば、唐突にカイムの手を握ってきた。


「ッ……!?」


 瞬間、周囲の気配が一変した。

 カイムは一瞬で見知らぬ場所……もっと言えば、その上空に転移していたのである。


「う……わああああああああああっ!?」


 地表から数十メートルの高さに投げ出され、カイムはあまりの異常事態に叫んでしまう。

 眼下には平原が広がっており、そこには蠢く無数の影があった。

 すぐ近く――同じように転移していたファウストが、微笑を浮かべながらささやいてくる。


「ほら、下に魔物の群れがいるだろう? これまで君の存在を恐れて森に隠れていたモンスターだよ。こんなこともあろうかと特殊な薬で興奮させ、スタンピードを起こしておいたのさ。放っておけば近隣の村に押し寄せることだろう。雑魚ばかりだが数だけは多いから、力を測る試金石としては申し分ないだろう?」


「だからってこんな……うおおおおおおおおっ!?」


 重力に従って、カイムの身体が地表に向けて落下していく。

 落ちているのはカイムだけ。飛行の魔法でも使っているのか、ファウストは宙に浮いたまま落ちることはなかった。


「ああ、そうだ。言い忘れるところだったよ」


 落下していくカイムに、ファウストは思い出したように指をパチリと鳴らす。


「君の母親――サーシャはカイム君に対して強い罪悪感を抱いていたが、愛情は決して偽りじゃなかった。カイム君が呪いを受けながらもちゃんと生きて産まれたとき、彼女は泣きながら神に感謝していたよ」


「ッ……!」


「それじゃあ……達者で。一人の友人として君の息災を祈っているよ」


「勝手な……だああああああああああああああっ!?」


 そんなファウストの声を聞きながら、カイムは地面に向かって墜落していったのである。






――――――――――

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

よろしければフォロー登録、☆☆☆の評価をお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る