第4話 家族

 ハルスベルク伯爵家――当主であるケヴィン・ハルスベルクは元々、名のある冒険者として魔物や盗賊討伐の活動を行っていた。

 数々の冒険譚で名を馳せたケヴィンは、十三年前にジェイド王国北部で猛威を振るっていた『毒の女王』という怪物を討伐したことで、報酬として『伯爵』の地位と領地を与えられたのである。

 一介の冒険者から貴族になったケヴィンに、古参の貴族からの風当たりは強かったが……『拳聖』として名を馳せ、王国最強と謳われている彼に対して真っ向から敵対行動をとる者はいなかった。


 冒険者時代に培った人脈によって集められた臣下に支えながら、ケヴィン・ハルスベルク伯爵は穏便に領地を治めるようになったのである。


「……また、ここに戻ってくる日が来るなんてね。追い出された時には思わなかったよ」


 一年ぶりに訪れる実家を見上げて、領主の息子であるカイムは表情を顰めた。

 この屋敷は母親との思い出が詰まった場所だったが……同時に、辛い思い出もまた山のようにある。出来ることなら、もう訪れたくはない場所だった。


「がう……カイム様、大丈夫ですの?」


「…………うん。問題ないよ」


 心配そうに顔を覗き込んでくるティーに頷きを返し、カイムは暗い表情で屋敷の門をくぐる。

 敷地に入って庭を歩いていくと、途中で庭師や警備の兵士とすれ違う。


「…………」


「…………」


 しかし、彼らは一様にカイムから目を逸らして挨拶すらしない。まるで汚らわしいものでも目にしたような態度である。


「がうっ、無礼な奴らですわ!」


「……別にいいよ。どうでもいい」


 こんな反応にも慣れたもの。

 この屋敷でカイムに普通に接している人間は、母親の専属メイドだったティーくらい。嫌というほど味わったことである。

 屋敷の母屋に近づいていくと……庭に二人の人間がいるのが見えてきた。

 この屋敷の主人であるケヴィン・ハルスベルク。そして、カイムの双子の妹であるアーネット・ハルスベルクである。


「よし、それじゃあ今日も『闘鬼神流』の戦闘術について指南するぞ!」


「はい、お父様!」


 二人は動きやすい格好をしており、どうやら格闘術の訓練をしているようだ。

 彼らのすぐ傍には何に使うつもりなのか、人間と同じ程度の大きさがある岩まで置かれている。


「まずはおさらいだ……闘鬼神流は肉体に魔力を纏って闘う戦闘技術。剣も槍も使わない。肉体そのものを武器にする。魔力による身体強化はあらゆる武道において基本的な技術の一つとしてあるが……闘鬼神流のそれは次元が違う」


 赤髪の大柄な男性――ケヴィンが「フッ!」と鋭く息を吐くと、途端にその身体を魔力のオーラが包み込む。

 沸騰した薬缶ヤカンから噴き出す蒸気のようにほとばしる魔力のオーラであったが、徐々にその体積を縮めていく。身体から発される魔力量が少なくなったのではない。魔力の密度を極限まで高めたのだ。


「身体に纏った魔力を限界まで圧縮する。これにより魔力は鋼に匹敵する硬度まで昇華されるのだ。完成された『圧縮魔力』はドラゴンの鱗にだって引けは取らん。無論……拳に纏えば攻撃力も跳ね上がる!」


 ケヴィンが圧縮した魔力を纏った状態で岩を殴りつけると、拳の一撃で人間サイズの岩石が粉々に粉砕された。

 恐るべき攻撃力。まさに『拳聖』と呼ばれる者の拳撃である。


「見ての通りだ。無論、武器を使わないことのデメリットはある。自然に圧縮魔力を纏えるようになるまで、才能ある者でも五年はかかるからな。しかし、剣や鎧に対するアドバンデージとして、『魔力の鎧』は武器を持ち歩く必要がなく、いつでもどこでも発動できること。重さがなく身軽であることが挙げられる。重苦しい鎧を身に着けるよりも、己の身一つで走り回ったほうが速いに決まっているだろう?」


「なるほど……さすがはお父様です! 私もいつか、お父様の域にたどり着くことができるでしょうか?」


「うむ。お前は私の娘だから! あと十年もすれば一流の武闘家になれるはずだ! そのためにも、今日も鍛錬に励むぞ!」


「はい! 頑張ります!」


 親子は仲睦まじい様子で稽古をしている。

 そんな姿を……少し離れた場所から、カイムは見つめていた。


「がうう……御二人はまだ鍛練中のようですし、先に屋敷に入っていましょうか?」


「ううん……いい。ここで見ている」


 ティーの気遣いにカイムは首を振り、武術を学んでいる双子の妹に目を向けた。


(アーネット……僕の妹)


 彼女の姿を見るたび、カイムはどうしようもなく虚しい気持ちに襲われる。


 アーネットはカイムの双子の妹。同じ日に、同じ母の胎から生まれた実の兄妹だ。

 しかし……彼女との関係は決して良好なものではない。

 カイムは呪いを持って生まれたことで、屋敷の大多数の人間から忌避されている。血液に酸のような毒性があるのだから、近づきたがらないのも無理はない。


 けれど、母親のサーシャ・ハルスベルクだけはカイムに過保護なほど世話を焼いてきていた。

 アーネットは母親の愛情を独り占めしているカイムに憎しみを抱き、カイムは双子の妹でありながら『毒の呪い』を受けていないアーネットに劣等感を抱いている。

 父親――ケヴィンがアーネットに目をかけていることも、兄妹仲を悪くさせることに一役買っていた。


「それじゃあ、ゆっくりでいい。身体の表面に魔力を流して圧縮していくんだ」


「はい、お父様!」


 現に、二人はカイムのほうを見向きもしなかった。

 訓練を積んだ格闘家であるケヴィンが、その娘にして一番弟子のアーネットが、カイムの気配に気がつかないわけがない。それなのに……まるでカイムがそこにいないかのようにあからさまに無視している。


(まるで嫌がらせをしているみたいだ。無視するくらいなら、最初から屋敷に呼ばなければいいのに)


「よし! 次は基本的な技を教える。まずは……【麒麟】!」


「はい、お父様! こうですか!?」


 父親が得意げな顔で技を披露し、娘が真似して身体を動かした。


 カイムは強い疎外感を抱きながらも、二人から目を逸らすことなく稽古を見学する。

 まるで視線を背けたら負けだとばかりに、彼らの鍛錬が終わるまで見届けたのであった。



     〇     〇     〇



 訓練を終えた父娘は身体を清めるため、それぞれの自室に戻っていった。


 その間に、カイムは母親への弔いを済ませることにする。


「ただいま、母様」


 母の自室、子供の頃から入りびたっていた部屋には祭壇が設置されており、母の遺影である絵が飾られている。

 カイムはたくさんの花が飾られた祭壇の前に跪き、自分を愛してくれた唯一の家族への祈りをささげた。


『呪い子』として生まれたカイムは父親から冷遇され、双子の妹からも疎まれている。

 この家でカイムのことをまともに愛してくれたのは母親と、専属メイドのティーくらいだった。


『カイム、自分のことを嫌いにならないであげてね』


 生前、母はそうカイムに言い聞かせていた。


『お父様もカイムのことが憎いわけではないのよ。ただ……どう接して良いのかわからないだけ。貴方は何も悪くはない。貴方が呪われているのは貴方自身の責任ではないのよ。だから、自分のことを好きになってあげて』


「自分のことを好きになれ……難しいよ、母様」


 たとえカイムが自分をどう思ったところで、周囲はカイムを『呪い子』として扱う。

 母が亡くなってすぐに生まれ育った屋敷を追い出され、村では石を投げられる生活を送っている。

 そんな状況で自分を好きになる方法なんて、カイムには見当もつかなかった。


(自分を愛してくれる家族がいたなら話が違ってくるのかもしれないけど……母様がいなくなってから、僕は独りぼっちだ)


「がう! カイム様、ティーがいますわ!」


「うん……あれ、君ってば僕の心を読んだ?」


「カイム様の考えなど、このティーには手に取るようにわかりますわ! 何年、貴方にお仕えしていると思っているんですの?」


 勘の良いメイドに苦笑しつつ、カイムは一年ぶりとなる母親との再会を済ませた。

 ちょうどそのタイミングで部屋に執事が入ってくる。厳めしい顔つきの執事が淡々とした様子で口を開く。


「……お食事の準備ができました。ダイニングまでお越しください」


「いや……もう用事は済ませたし、僕はもう帰るよ」


「旦那様とお嬢様がお待ちです。あまり御二人を待たせませぬように」


 年配の執事は一方的に言い捨てて、さっさと部屋から出て行ってしまう。

 カイムも間違いなくハルスベルク家の人間なのだが……執事の態度には敬意の欠片もなかった。


「がうっ! 無礼ですわ。何様のつもりですの、あの執事はっ!」


「いいよ、ティー……気が重いけど、夕食くらいはごちそうになろうかな。あまり急いで帰るのも母様に申し訳ないし」


 溜息を吐いて、カイムは指示された通りにダイニングに向かった。

 ティーを引き連れてダイニングに着くと、すでにそこには身体を清め終えた父娘の姿がある。

 二人はカイムを待つことなく食事を始めていた。長テーブルの隅にはカイムの分の料理が用意されているが……父と妹からは随分と離れた位置である。


「……父上、お久しぶりです。母の弔いをさせていただき、感謝しています」


「無駄な挨拶などいらぬ……さっさと席について食え」


「はい……いただきます」


 カイムはこちらを見ることすらない父に表情を歪めながらも、席に座って食事を摂り始めた。


「このステーキ、美味しい! やっぱり運動の後のごはんは格別ね!」


「これ、アーネット。あまり急いで食べるんじゃない。はしたないぞ」


「はーい、ごめんなさい。お父様―」


「…………」


 元気よく食事をしている双子の妹――アーネットに対して、カイムの表情は重苦しいものである。

 同じ食卓について一年ぶりに顔を合わせた兄妹であったが、その扱いの違いに雲泥の差があることは誰の目にも明らかだった。


「アーネット、料理は逃げないからゆっくり食べなさい」


「お嬢様、お口が汚れていますわ」


「後ほどデザートもお持ちしましょう。今日はお嬢様の好きなパンケーキを用意いたしました」


「えへへへ、嬉しいな。デザート楽しみ!」


「…………」


 笑顔で食事をしているアーネットの隣には父がいて、使用人らが微笑ましく周りを囲んでいる。

 見せつけるように、自慢するようにアーネット達は幸せな家族として食事をしていた。


(僕は何を見せつけられているんだろうね。こんな物を見せるために、僕は呼ばれたのかな?)


 スプーンでスープを掬って口に運ぶが、ほとんど味がしなかった。

 使用人が嫌がらせで薄味にしたのか、あるいは気分が落ち込んでいるために味がわからなくなっているのかもしれない。


「カイム様……」


「……うん。大丈夫だよ」


 後ろに立っているティーの存在に励まされながら、カイムは作業的に料理を口に運び、早々に食事を済ませるのであった。

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