第3話 獣人メイド


「ん……?」


 カイムが森の奥にある小屋にたどり着くと、今にも崩れてしまいそうなボロボロの小屋の前に一人の女性が佇んでいるのが見えた。

 年齢は二十代前後。女性の使用人が着るようなエプロンドレスを身に着けている。銀色の長い髪が特徴的だったが、もっと特徴的なのは頭の上に乗っている三角の獣耳。さらにロングスカートの端から白くて長い尻尾が伸びている。


「ティー……」


「あ、カイム様ですわ! お帰りなさいませ!」


 その女性はカイムの帰宅に気づくや、表情をパアッと明るくさせて歩み寄ってきた。


 彼女の名前はティー。姓はない。

 カイムの生家であるハルスベルク伯爵家に仕えているメイドであり、『虎人』という獣人種族の女性だった。

 ティーは亡き母親に仕えていた専属メイドであり、幼少時にカイムの面倒をみていたのも彼女である。

『呪い子』として生まれたせいでハルスベルク伯爵家の人間はカイムを疎んでおり、屋敷から追い出して森の奥の小屋へと放逐した。

 そんな中で、ティーはカイムにとって好意的な唯一の使用人。時折、カイムのことを心配して小屋まで様子を見にくるのである。


「買い物に行ってたんですの? 今日は帰りが遅くて心配しちゃいま…………がう?」


「ッ……!」


 近づいてくるティーだったが……その表情が曇った。

 カイムが慌てて額を隠すが、ティーがその手を取って隠していたものを暴き出す。


「がうう……カイム様、この怪我はどうしたんですの?」


 村の子供に石をぶつけられ、カイムの額からは血が滲んでいた。

 カイムはバツが悪そうに顔を伏せ、ポツポツと言い訳の言葉を口にする。


「これは……さっき転んだんだよ。うっかり頭をぶつけちゃって……」


「嘘ばっかり。村の連中がやったんですね!? アイツら……伯爵家の人間であるカイムになんてことを……! ガウウウッ……すぐに私が行って、カイム様にケガをさせた奴を叩きのめしてやりますわ!」


「ちょ……やめてやめて! 大丈夫だから!」


 カイムは今にも走りだそうとするティーを慌てて止める。


 以前にも同じようなことがあり、ティーが怒って村に乗り込んだことがあった。

 村の子供を殴り、親を怒鳴り散らしてカイムに謝罪させたティーであったが……後日、カイムの父親であるハルスベルク伯爵から酷く叱られてしまったのだ。

 どうやら、村長がティーのしたことをハルスベルク伯爵に報告して抗議したらしい。抗議の中ではティーが一方的にわけのわからないことを喚き散らし、村人に暴力を振るったことになっていた。


『あの村は出来損ないの『呪い子』を置いてくれているのだ! つまらないことで騒ぎを起こすな!』


 ハルスベルク伯爵は一方的に虐げられたカイムのことも、カイムのために怒ったティーのことも、庇うことはなかった。それどころか、息子を虐げた村人を擁護したのである。


 自分が愛されていないことは十分に承知していたが……アレにはさすがのカイムも落ち込んだものだった。


「ただでさえ、ティーは父上から目を付けられているんだ。母上のお気に入りということもあって見逃されているけれど……これ以上、僕のために問題を起こしたりしたら伯爵家を追い出されてしまうよ」


「ですがカイム様……このまま放っておけば、連中はどんどん図に乗ってカイム様をイジメてきますわ!?」


「……仕方がないんだよ。僕が『呪い子』に生まれたことが悪いんだから。それにこの村を追い出されたら、本当に行く当てがなくなってしまうだろう?」


「がう……」


 表情を暗くさせたカイムに、ティーも泣きそうな顔になった。


 この土地から去って見知らぬ場所へと旅立つ――そんな選択肢をカイムが考えなかったわけではない。

 しかし、カイムは『呪い子』である。どこに行ったって歓迎されることはないだろう。

 おまけに、少し身体を動かしただけで咳き込んで血を吐くような病弱な少年が、どうやって旅をしろというのだろう。

 できるだけ目立たないように、ひっそりと森で生きていくほかに選択肢はなかった。


「がう……傷の手当てをしますの。こちらに来てください」


「いや、これは…………うん。手で触れないように気をつけてね」


 毒の血を触れさせないように断ろうとするカイムであったが……ティーの金色の瞳に有無を言わせぬ意思を感じ取り、渋々ながら一緒に小屋に入っていった。


 小屋の中には家具などは何もなく、地面の上に木の板を敷いただけの質素すぎる有様である。

 カイムは板の上に座らされ、ティーの手当てを受けることになった。


「…………」


「がう、それじゃあ傷口を洗いますの。ちょっと染みるかもしれませんけど、我慢してくださいね」


 ティーはカイムの血に触れないように注意しつつ、濡らした布で傷口を丁寧に洗う。その口ぶりは幼子でも相手にするようなものだった。

 年上のメイドはカイムのことを弟であるかのように接してくる。それが父親から見放されたカイムに嬉しく、同時に照れ臭いものである。


「うっ……」


 座ったカイムのすぐ目の前に膝立ちになったティーの胴体がある。

 ふくよかな胸元をすぐ眼前に突きつけられるような形になり、カイムはカッと顔を赤くした。


「と、ところでティー。今日は何の用事で来たのかな?」


 内心の羞恥を誤魔化すために、カイムはそんなことを口にした。

 特に用事がなくとも、ティーは週に一度は様子を見に来る。あえて聞く必要のない愚問である。


「がう……そうでした。忘れるところでしたわ」


 しかし、ティーはパチクリと瞬きをすると治療していた手を止めた。

 どうやら、今日は本当に用事があって来たようだ。カイムが怪訝に眉根を寄せると、ティーは言いづらそうに言葉を濁す。


「今日はその……旦那様から、カイム様を屋敷にお連れするように命じられてまして……がうううっ」


「父上からって……珍しいね。僕に用事だなんて」


「がう……もうじき、奥様の命日ですから。その前に一度、家に顔を見せるようにとのことで……」


「……ああ、そういうことか」


 カイムは父親の意図を悟り、表情を曇らせた。

 一週間後、母親が亡くなった日がやってくる。その前に家に帰ってきて、母のために祈りを済ませろということである。

 どうして命日その日ではなく、あらかじめ済ませておけと言っているのか……それは大切な妻の命日に、『呪い子』である不肖の息子の顔を見たくはないからだろう。


 一応は息子であるカイムへの一抹の義理。そして、薄情な父親らしい勝手な都合が合わさった要求である。


「……いいよ。帰ろう、あの屋敷に」


「がう? メッセンジャーである私が言うのもおかしいですけど……あそこにはカイム様を軽んじている人間しかいないですの」


「いいんだ。大恩ある母上をちゃんと弔いたいから。家に帰る許可がもらえなかったら、屋敷の門の前でお祈りだけさせてもらおうと思ってたんだけど……手間が省けたよ」


 カイムは暗い笑みを浮かべて、一年前まで暮らしていた屋敷に帰ることを決意した。

『拳聖』と呼ばれる父と、双子の妹が住んでいる家――ハルスベルク伯爵家に。

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