第5話 父子

「それでは、父上……僕はこれで失礼します」


「待て、カイムよ」


 食事を終えたカイムは足早に屋敷から立ち去ろうとする。

 しかし、そんな息子を父親であるケヴィン・ハルスベルクが呼び止めた。


「……最近、領民から陳情があった。お前は村の子供に石を投げたりして悪さをしているそうだな?」


「……していませんよ。石を投げられたのは僕のほうです」


「黙れ! 親切にも『呪い子』であるお前をおいてくれているというのに、罪もない子供を傷つけるとは何事だ! 俺はお前をそんなふうに育てた覚えはないぞ!」


「…………」


 育てられた覚えはない。そう言い返そうとして……すぐに無駄だと悟って、首を振る。

 代わりに溜息を一つ吐いて、ポツリと諦観の言葉を漏らす。


「……父上がそう言うのであれば、そうなのでしょうね。貴方はいつだって正しい」


「何だその言い草は! それが父親に向けての言葉か!」


「ッ……!」


 ケヴィンが拳を振るって殴りつけてきた。

 カイムは咄嗟に顔を横に傾け、放たれた打撃を避ける。


「貴様……!」


「カハッ!」


 一瞬、驚きに目を見開いていたケヴィンであったが、すぐにカイムの胴体を蹴りつけてきた。今度は避けることはできず、ダイニングのドアのところまで蹴り飛ばされてしまう。


「カイム様!」


 ティーが慌てて駆け寄ってきて、カイムの身体を抱き起こす。

 痛みに耐えながら身体を起こしたカイムに、ケヴィンが憎々しげに口を開く。


「どうして貴様のような『呪い子』が生まれてきたのだ。お前さえいなければ、サーシャだって長生きできただろうに……クソッ!」


「お父様!」


「旦那様……」


 ケヴィンは言葉を途中で切り、グッタリとした様子で椅子に腰かけた。

 疲れきったような屋敷の主人の姿に、アーネットと使用人らが駆け寄ってくる。


「グッ……!」


 使用人が、双子の妹が、まるでカイムが加害者であるかのように睨みつけてくる。

 蹴りつけられたのはカイムだというのに、あまりにも理不尽な状況だった。


「カイム様、しっかりするですの!」


「……うん、大丈夫だよ。そこまで痛くはないから」


 ここにいたら何をされるかわからない。

 カイムはティーに支えられながら立ち上がり、緩慢な動きでダイニングから逃げ出した。



     〇          〇          〇



「カイム様、大丈夫ですの? 酷いですわ、どうしてカイム様がこんな目に遭わなくちゃいけないんですの!?」


「……大丈夫だよ、早く帰ろう」


 心配して寄り添ってくるティーに微笑みながら、カイムは自分の身体を確認する。

 思いきり蹴り飛ばされたように見えるが……意外なほど、身体にダメージはなかった。おそらく、絶妙な手加減でカイムに怪我をさせないように調整したのだろう。


(さすがは『拳聖』というところなのかな? 才能の無駄遣いだと思うけど)


「……お待ちください、カイム様」


 屋敷から出て帰宅しようとするカイムだったが……後からやってきた執事が背中に声をかけてくる。


「そちらのティーには仕事がありますので、どうか一人でお帰り下さいませ。お送りできずに申し訳ありません」


「ガウッ! こんな状態のカイム様を一人で返すつもりですの!?」


 嫌がらせのようなことを言ってきた執事に、ティーが噛みつくように抗議する。


「私はカイム様のメイドですわ! 帰り道を一緒にして何が悪いというのですの!?」


「勘違いしないでください。貴女は伯爵家に雇われたメイドです。奥様に拾われたご恩を忘れたのですか?」


「その奥様からカイム様を頼まれたんですわ! どうしてカイム様をそんなに冷遇するんですの!? カイム様は伯爵家のご子息なのですよ!?」


「チッ……これだから獣人は。鬱陶しいな」


 食い下がるティーに、執事が大きく舌打ちして表情を歪めた。

 この国では獣人が差別されており、良い扱いを受けていない。『虎人』であるティーが伯爵家に雇われていることは非常に幸運なことだった。


(これ以上、ティーにまで迷惑をかけるわけにはいかないな)


「僕だったら大丈夫だ。ティー、君は自分の仕事に戻ってくれ」


「カイム様……!?」


「僕は一人で帰る……これで文句はないだろう?」


「……ええ、結構ですとも。お気を付けてどうぞ」


 執事は小馬鹿にするように冷笑しながら言い捨て、さっさと屋敷に戻っていった。


「そういうことだ。ティー、君は仕事に戻ってくれ」


「がうっ!? 無理ですの、無謀ですの、無茶ですのっ! そんな状態で御一人で返るなんて……!」


「大丈夫だよ。豪快に蹴られたように見えたけど、実際はそれほど痛くはない。ちゃんと歩いて帰れるから」


「でも……!」


「ティー」


 カイムは言い含めるように、泣きそうな表情をした年上のメイドに告げる。


「僕は大丈夫だ。母様が愛していた屋敷のことを頼むよ」


「がうう、カイム様……!」


 ティーは辛そうに唇を噛みしめるが、大きく頭を下げると屋敷の中に戻っていった。

 何度もこちらを振り返りながら……まるで飼い主の下を離れる子犬のように去っていく。


「犬じゃなくて虎だろう、君はさ」


 カイムは苦笑しつつ、そのまま伯爵家の敷地から出て家路につく。

 すでに日は落ちていたが、空には月が浮かんでおり煌々と夜道を照らしている。


(僕は夜目も利くし、問題なさそうだな)


 カイムは緩慢な足取りながら、しっかりと一歩ずつ地面を踏みしめて住処の森に帰っていった。

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