第25話 酒精


 寝床についての話し合いを終えて、カイムら三人は宿屋の一階にある食堂へと降りて行った。

 食堂にはすでに大勢に宿泊客が食事を摂っている。酒を飲んで騒いでいる一団もいて、ガヤガヤとした賑わいを見せている。


「お、アッチの席が空いているな」


 カイムは壁際にあるテーブルを指差した。

 ミリーシアとレンカが並んで座り、テーブルを挟んだ対面にカイムが座る。

 三人が席に着くや、すぐに先ほど部屋まで案内してくれた少女がテーブルに駆け寄ってきた。


「いらっしゃい、お客さん! お飲み物は水とエールとどっちが良いですか? エールは別料金になりますけど?」


「あ、私はお水で大丈夫です」


「私もお嬢様と一緒で」


「俺は……エールを頼んでみようかな」


「はい、お水を二つとエールが一つ。お水は無料で、お酒は銅貨三枚になりますねー」


「ああ、これで頼む」


 硬貨を受け取った少女がスカートをはためかせて食堂の向こうに消えていき、すぐに三つのコップを持って戻ってくる。


「お料理もすぐにお持ちしますね。もうしばらくお待ちくださーい」


 小動物のようにチョロチョロと動き回り、少女は見ているこっちが気持ちの良くなるように快活に働いている。

 ミリーシアが水の入った木製のコップを手に取り、ゆっくりと口をつけた。


「フウ……ようやく一息つけます。長旅で疲れてしまいました。ところで、カイムさんはお酒を嗜まれるのですね?」


「ああ……まあ、な」


 カイムは曖昧な返事をして、コップに入った粟立つ液体に視線を落とす。


 実のところ、酒を飲むのはこれが初めてである。

 興味本位で頼んでみたのだが……コップの中から独特の匂いが香ってきて、口をつけるのには少しだけ勇気が必要だ。


(『毒の王』になったおかげで、俺の身体はどんなに強力な毒にだって耐えられる。酒くらいでどうにかなるとは思わないが……何事も経験だな)


 カイムは意を決して、コップに注がれたエールを一気に飲み干した。

 麦の香ばしいほろ苦さと共に、生まれて初めて身体に取り込むアルコールの風味が喉の奥から鼻に抜けていく。

 苦々しくもそう快感のある味わい。これは何とも言えず……


「…………悪くない!」


「美味い」とハッキリ断言できるほど味が理解できたわけではないが、この爽やかな喉越しはなかなかに気持ちが良い。

 一気飲みで喉が潤ったというのに、すぐに二杯目が欲しくなってくる。気持ちが軽くなってきて不思議な感覚だった。


「すまん、追加で酒を頼む。三……いや、五杯ほど持ってきてくれ」


「あ、はーい。ただいまー」


 食堂の中を忙しなく走り回っている看板娘に追加注文をすると、それほど待つこともなく追加のエールが運ばれてきた。

 カイムはテーブルに並べられた酒を、グイグイと水でも飲むような軽さで飲み干していく。『酒豪』の二文字を絵に描いたような姿を見て、ミリーシアが唖然とした表情になる。


「わあ……すごい……」


「カイム殿は……随分と酒に強いのだな」


「ん……そうみたいだ。俺も今日、初めて知ったよ」


「初めてって……そんな馬鹿な」


 呆れたように頬を引きつらせるレンカの視線の先、カイムは追加で運ばれてきた酒をどんどん減らしていく。


「えっと……カイムさん、まだ飲みますよね? お酒、追加しましょうか?」


「ああ、頼む。金は後で払うから立て替えておいてくれ」


「いえ、構いませんよ。カイムさんに支払う報酬には足りませんけど、旅費と食事代、それにお酒を買うくらいのお金は持ち合わせがありますから。ここは私が支払わせてもらいますから、好きなだけ頼んでください」


 ミリーシアが包み込むような優しい笑みで言ってくる。

 アルコールが入っていることもあって、カイムにはそんな彼女の背後に天使の羽のようなものが見えた。


(それにしても……『酔う』というのは奇妙な感覚だな。俺に毒の類は効かないはずなんだが……)


 カイムは頭に疑問を浮かべながらも、ほとんど休みなく酒を飲み続けた。

『酒は百薬の長』という言葉あるように、適度な飲酒、適量なアルコールはストレスの軽減やリラックス効果をもたらすものである。

 無論、飲み過ぎれば肝の病をはじめとしたデメリットの方が多いのだが……カイムの場合、いくら酒を飲んでも『悪い効果』を発生させることはない。

『毒の王』たる力が酒が『薬』から『毒』に変わった瞬間に中和しているため、いくら多量の酒を飲んでもほろ酔い気分の心地良さを維持できるためである。


「フフッ、良い気分だ。やはり旅に出て正解だった。世界は今日も美しいじゃないか!」


「な、何だかすごく楽しそうですね、カイムさん……私も飲みたくなってきました」


 実に美味そうに酒を飲むカイムを見て、ミリーシアがテーブルに置かれたエールをちらりと見る。


「葡萄酒は何度か飲んだことがありますけど、麦から作ったお酒はないんですよね。そんなに美味しいのなら飲んでみましょうか?」


「お嬢様、今日はカイム殿一緒の部屋に泊まるんですよ? 酔ったところで何されるかわかったものではありませんから自重してください!」


「ムウ……少しくらいなら良いではありませんか。カイムさんだったら何をされても、私は気にしませんよ?」


「私は気にするのです! これまで蝶よ花よと育ててきたお嬢様が、こんなどこの馬の骨ともわからない男に汚されるなんて……耐えられません!」


 レンカがぶんぶんと首を振る。

 頑なな様子の女騎士に、カイムは呆れて眉をひそめる。


「おいおい、酒くらい良いじゃないか。それに抵抗できない女に乱暴を働くゲス呼ばわりは流石に傷つくぞ?」


「カイム殿の問題ではない。殿方と一緒の時に油断しないようにと私は説いているのだ」


「そんな警戒は無意味だと思うけどな。そもそも、俺がその気になればいつだって二人とも押し倒せるぞ?」


 レンカはカイムのことを警戒しているようだが……そもそも、カイムに悪意と度胸さえあれば、酒の力を借りずとも二人の美女を掌中に収めることくらい容易である。

 護衛のレンカが何をしたところで制圧するのに一分もかからない。あっさりと無力化されてベッドに引きずり込まれることだろう。


「会って日の浅い男を信用しろとは言わないが……あまり神経を張り詰めていたら保たないぜ?」


「それは……そうかもしれないが」


「そうですよ、レンカは気にしすぎですよ」


「あ!」


 ミリーシアがレンカの隙を見て、カイムの飲みかけのエールを奪い取った。

 レンカが止める隙もなくコクコクと喉を鳴らしてエールを飲み、「ふう」と息をついた。


「葡萄酒とは随分と風味が違いますね。それに……何だかとても身体が熱くなってきました。葡萄酒よりも酒精が強いのでしょうか?」


「おいおい……それは俺の酒だぞ? わざわざ人が口を付けたものを飲まずとも、新しく頼めばいいだろうが」


「良いではありませんか。お金を払うのは私ですよ? 足りなければ追加で注文しても構いませんよ?」


「……まあ、そっちが気にしないのであれば別に構わんが」


 どうして手つかずのエールがあるのに、わざわざ男が口をつけたものを取るのだろうか。カイムは不思議に思って首を傾げながら新しいエールに手を伸ばす。


「お嬢様……何というはしたないことを……」


「レンカも飲んでは如何ですか? 見た目よりも爽やかで美味しいですよ?」


「……いりません。私は真面目な護衛ですから」


 堂々と飲酒をしているカイムへの皮肉なのか『真面目』という部分を強調して言って、レンカは拗ねたような表情で水をチビチビ飲む。


 やがて宿屋の看板娘が料理を運んでくる。

 その頃には、カイムが飲み干して空になったコップが大量にテーブルに置かれていた。


「おい……あの男、見てみろよ」


「すげえザルだな……まるで鯨じゃねえか」


 樽一杯分にも届くであろう酒を飲んだカイムに他の客の視線も集まっていく。かつてないレベルの酒豪の登場に呆れと称賛の声が上がる。


「おいおい! 盛り上がってんじゃねえかよお!」


 しかし……変に目立ってしまったことで、よからぬ人間の目も引いてしまった。

 少し離れた場所に座って酒と食事を摂っていた三人組の男が、カイム達のテーブルまでやってきたのである。


「こんな美女を連れてるくせに酒に夢中かよ! いただけねえなあ!」


「ヒッヒッヒッ! こりゃあ、酔ってる隙に女を持ってかれても文句は言えねえよなあ!」


「……誰だ、貴様らは」


 ズカズカと不躾にやってきた男達をレンカが睨みつける。

 三人組の男達――その中でもっとも大柄なスキンヘッドの男が「バンッ!」と音を鳴らしてテーブルを叩く。


「ガキが二人も女を連れて生意気なんだよ! 酒じゃなくてママンの乳でもしゃぶってた方がお似合いだぜ! ギャハハハハハハハッ!」


「…………」


 気持ち良く酔っぱらっていたところに現れた闖入者。

 カイムはジロリと横目に男達を睨み付け、無言のまま怒気をにじませたのであった。







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