第174話 ガランク山決戦ー狼
「グオンッ!」
「ムウ……!」
リコスの拳が『不死蝶』にぶち込まれる。
黒い蝶が割って入って攻撃を防ぐが……防御しきれなかった衝撃により、『不死蝶』が大きく撥ね飛ばされる。
いったい、どれほどの腕力で殴られたのだろう。
地面を何度も何度もバウンドして、数十メートルも吹き飛ばされて地面を転がる。
「なるほどのう……凄まじい膂力。これは参るわい」
「その割には余裕な口ぶりですこと。自分が負けるだなんて思っていないのでしょう?」
「ム?」
身体を起こした『不死蝶』は流暢に話しかけてきたリコスに、パチクリと両目を瞬かせる。
「お主、口が利けたのか?」
「不思議と思いが言葉になりますわ……自分でも驚いています」
裸に服の残骸をわずかに付けただけのリコスが、胸に手を添えて言う。
普段は鳴き声のような声を漏らすだけだというのに、肉体の変化に伴って精神年齢まで上昇したというのだろうか。
「ほほう、やはりわっちと同じで見た目ほど幼くなかったか」
「
丁寧な口調で言いながら、リコスが『不死蝶』に向けて走り出す。
地面から起き上がったばかりの『不死蝶』をボールのように蹴り飛ばした。
「オオッ……これは痛いのうっ! やってくれるわい!」
吹き飛ばされた『不死蝶』であったが、翼もないのに空中に留まる。
風を操り、自らの肉体を浮かべているのだ。
「【地獄蝶の舞】」
『不死蝶』が掲げた手を振り下ろすと、地面に向けて刃となった風が嵐のように殺到する。
先ほどまでとは段違いの攻撃力と殺傷力。
やはり、これまでは少しも本気を出していなかったのだろう。
斬り裂くどころか、すり潰してジュースにするような勢いの斬撃である。
「さあ、どうする!? 大人しく引き裂かれるのかのう!」
「グオンッ!」
「オオッ!?」
だが……リコスが両手を振るった。
特別なことをしたわけではない。魔法も使っていない。
ただ、思い切り両手を振っただけのこと。
それだけのことで衝撃波が放たれて、『不死蝶』の攻撃を相殺した。
「お見事!」
「それはどうも!」
「ヌオッ……!」
リコスが地面を蹴り、『不死蝶』がいる高さまで跳躍した。
そのまま身体をひねって空中で縦に回転し、ギロチンのような蹴撃で『不死蝶』を地面に叩きつける。
「グオンッ!」
そして……空を蹴った。
カイムは圧縮魔力で固めた空を蹴って空中を移動することができるが、リコスがやったのはそれと似て非なるもの。
恐るべき速度で空中を蹴り、その風圧だけで加速して、地面に叩きつけられた『不死蝶』を追撃する。
「死になさい……グオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」
「ヌオオオオオオオオオオオオオオオッ!?」
地面に倒れた『不死蝶』を叩く、叩く、叩く、叩く、叩く、叩く、叩く、叩く……!
ひたすら、ひたすら殴りつけたことで地面にクレーターが生じる。
これまでのお返しだとばかりに一方的に打撃を繰り出していき、『不死蝶』をミンチに変えようとした。
「……参った。わっちの負けじゃよ」
「グオンッ!?」
だが……黒い蝶がリコスの視界を覆う。
構うことなく攻撃を続けようとするが……手応えがない。
地面にできたクレーターの中央に倒れていた『不死蝶』の姿が消えていた。
『もうよい、わかった……おぬしの好きにするが良い』
声はするが、『不死蝶』の姿はない。
リコスの周りには黒い蝶だけが舞っており、まるでその蝶が話しかけてきているようだ。
『それだけの力があれば、人に利用されて一方的に捨てられることもないじゃろう。もう、好きなようにするが良い』
「……よろしいですの。私のことを放置しておいて」
リコスがここにいない『不死蝶』に噛みつくように、言葉を向ける。
「『不死蝶』の刀自……貴女が私を隠れ里に連れて行こうとしているのは、同胞への情だけが理由ではないはずですわ。私の存在が人々に知られるのを恐れているのではありませんか?」
リコスがこのまま外の世界にいれば、いずれ多くの人間がその力を知ることだろう。
その力を恐れて、排除しようとする人間だって現れるはず。
「そうなれば……同胞である人魔の全てが危険視されることになるでしょう。その隠れ里とやらを見つけ出して滅ぼそうとする人間も現れるやもしれません」
『……それがわかっていながら、誘いを拒むのじゃな。酷い子じゃ』
「心配はいりませんわ。刀自が案じているようなことにはなりません」
声を低くさせた『不死蝶』にリコスが断言し、「何故なら……」と言葉を続ける。
「私よりも、マスターの方が人々の注目を集めるからです。母を討ったあの御方はいずれ覇者として世界に名を馳せるでしょう。私など、マスターの添え物にしかなりません」
『マスターというのは、あの紫髪の小僧か……おぬしがそこまでいうのであれば、よほどの人物なのじゃろうな』
黒蝶がリコスの周りから離れて、円を描きながら空に吸い込まれていく。
『わっちらは常命の人間とは違う……おぬしを勧誘するのは百年後にしておくとしよう』
「…………」
『それまで息災でな……可愛いやや子よ』
最後の一匹の蝶が消えうせた。
周囲の空間が弾けて、現れたのは岩山の景色。
「あ……」
「は……?」
そこにいたのは、リコスが信じたマスターと仲間達の姿。
リコスは一糸纏わぬ姿のまま、彼らのところに飛び込んでいった。
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