第32話 再会


「この下民が! 高貴な僕になんてことをするんだ!」


「ん……?」


 女性陣へのご機嫌取りのためにアクセサリーか何かを探していると、カイムの耳に男の怒声が聞こえてきた。

 声の方向に目を向けると、そこにはカイムと同じくらいの年齢の若い男性が道の真ん中で怒鳴り散らしている。


「ふえっ、ごめんなさい。ごめんなさい!」


「僕の脚に水をかけておいてタダで済むと思うなよ! 汚らわしい犬畜生め……手打ちにしてやる!」


 身なりの良い服を着た若い男が、十歳前後の少女に向かって怒鳴っている。

 ボロを着た少女は地面に額をつけて土下座しており、その傍らには木の桶が転がっていた。

 会話から状況を察するに、あの少女が運んでいた木桶の水を零してしまい、貴族風の男の脚を濡らしてしまったのだろう。


 大勢の人間が行き交う通りの真ん中でありながら、騒ぐ男の周囲だけは関わりたくないとばかりに人が避けて通っている。


「朝っぱらから不愉快な場面に遭遇しちまったな。それに……あれは獣人か?」


 カイムは眉をひそめた。

 土下座する少女の頭からはふさふさの獣耳が垂れ下がっており、臀部からは人間にはあり得ない尻尾が伸びている。

 外見からして……おそらく、狼人か犬人の奴隷だろう。

 ジェイド王国では亜人差別が激しく、獣人の奴隷が虐げられることは珍しい光景ではないが……見ていて気分の良いものではなかった。


「チッ……仕方がないな」


 カイムは舌打ちをして、騒ぎの方向へと足を向ける。

 別に助ける義理などないが……カイムは獣人差別があまり好きではなかった。

 身近に親しい獣人がいたこともあって、殺されそうになっている獣人の少女を見捨てることはできない。

 喚き散らしている貴族風の男に、後ろから声をかける。


「なあ、そこのアンタ。それくらいで良いんじゃないか?」


「ム……誰だ貴様は?」


「タダの通りすがりだよ……そんなことよりも、いくら獣人とはいえ相手は子供だ。マジになって怒るなんて大人げないぜ」


「その身なり……フンッ、冒険者か! 粗野で下賤な下民ごときが、帝国貴族である僕に意見をしようだなんて百年早い! さっさと失せるがいい!」


 どうやら、若い男は帝国の貴族のようである。

 何の用事で対岸の隣国に来たかは知らないが……他国の貴族が迷惑な話だ。


「とはいえ……奴隷ってのは立派な財産だぜ? 他国の人間が勝手に殺したりしたら、色々と面倒事になるんじゃないか?」


「貴様……まだ言うか! 口で言ってもわからぬとは痴れ者めが!」


 貴族男はよほど気が短いのか……腰の剣を抜いてカイムに斬りかかってきた。

 まさか、往来の真ん中で本当に剣を抜いてくるとは思わなかった。貴族というのはここまで腐った生き物なのだろうか?


(ミリーシアとは大違いだな……アイツも帝国貴族のはずなんだが)


「はあ……面倒だな」


 カイムはさりげなく身体を横に反らして斬撃を躱すと、すれ違いざまに貴族男の腹部を殴りつける。


「ガッ……!」


「もう満足しただろ? そっちこそ、そろそろ寝ておけ」


 貴族男が地面にくずれ落ちた。

 倒れた男はピクリとも動かないが、軽く腹を殴っただけである。命に別状はないだろう。


「まったく……騒がしい男だったな。君、怪我はないか?」


「わふっ……だ、旦那様……その、ありがとうございますっ!」


 地べたに座り込んでいた獣人の少女が弾かれたように立ち上がり、バッと頭を下げてくる。垂れ下がったロップイヤーが頭の動きに合わせて上下した。


「構わない……それよりも、仕事に戻った方がいい。遅くなると主人に叱られるぞ?」


「わふっ! そうでしたっ!」


 少女は慌てて地面に転がる木桶を持つと、ヨタヨタという足取りでどこかに歩いていってしまう。

 そんな小さな背中を眺めて……カイムは渋面になる。


「獣人奴隷か……哀れなものだな」


 彼らは大陸南方の亜人国から攫われてきて、無理やりに奴隷にされている。

 人を人とも思わぬ所業。実際、この国の大多数の人間は獣人や亜人を『人間』としてみなしていないのだろう。

 王族でも貴族でもないカイムにはどうしようもないが……それでも、痛ましい気持ちになるのは避けられなかった。


「ひょっとしたら……母様に拾われていなければ、ティーもあんな風になっていたのだろうか……」


「ガウッ、あんな風というのはどういうことですの? 私がどうかしましたか?」


「いや、メイドじゃなくて奴隷として酷使されてたのかなって…………あ?」


 聞き慣れた声に思わず返事をして……カイムは遅れて異変に気がつく。

 振り返ると、そこには銀色の髪を背中に流したメイド服の女性が立っていた。


「え……お前、ティー!?」


 いつの間にか背後に立っていたのは、故郷に残してきたはずの虎人のメイド――ティーだった。もう二度と会うことはないだろうと思っていたはずの女性が腕を組んで立っている。


「……ようやく追いつきましたわ、カイム様」


 ティーは笑顔。笑顔なのだが……不思議と心臓がバクバクと高鳴って危険信号を訴えてくる。


「さあ、説明していただきますの……どうして、私に挨拶もなしに旅に出ているですの? 説明次第では……ガウウウウウウッ」


 満面の笑顔とは裏腹。ティーは肉食の猛獣のように唸り声を上げた。

 地の底から響いてくるような唸り声。それは魔王と融合したカイムでさえ背筋が凍るような迫力がある。


「説明するのですわ。逃げたら……わかってるですの?」


「…………おおうっ」


 カイムは親しいはずのメイドとの再会に戦慄して、かつてない恐怖によって顔を引きつらせたのである。






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