第30話 泡沫の夢


「人間をはじめとしたあらゆる生物には共通して、自己を保存しようとする原始的な欲求――いわゆる『生存本能』と呼ばれるものがある」


 黒髪メガネの女性――ドクトル・ファウストは語る。

 男性物のスーツの上に白衣を纏ったファウストは、流暢な言葉を紡ぎながら右手の教鞭で背後の黒板を叩く。


「天敵となる相手を避けたり、食事や睡眠を求めたりするのが一般的だが……人間が自分の失敗やミスを執拗に隠蔽しようとするのも、生存本能の一種と言えるのかもしれないね。そして、ここでの自己保存の本能には『生殖行為』もまた含まれている」


 ファウストは悪戯っぽく笑い、教鞭を持っていない方の手で人差し指を立てる。


「生殖行為……すなわちセックス。若いカイム君には馴染みがないものかもしれないが、生き物には自分の分身となる子供を生み出そうという本能行動がある。誰しも永遠には生きられないから、己の『因子』を受け継いだ存在を残そうとするのさ。それは『欲望』や『下心』などと下卑た扱いを受けることが多いが……本来それ自体は悪いものではない。無論、性犯罪や不貞行為を肯定したいわけではないがね」


「…………」


 教鞭を手にして黒板にスラスラと文字を書くファウスト。

 その前方には、イスに座って机に着いたカイムの姿がある。教師に教えを乞う生徒という立場になったカイムは、どうして自分がこんな場所にいるのかと首を傾げる。


(どうしてファウストがここにいるんだよ……。俺はたしか宿屋にいて、床で眠ろうとしていてそれで……)


 その後に起こったとんでもない事態を思い出してしまい、カイムはカッと顔を赤くした。

 頭を抱えて悶絶しそうになるカイムに構うことなく、ファウストは授業を続けていく。


「さて……生存本能、そして『生殖本能』はあらゆる生き物に共通して存在する。もちろん、それは『魔王級』と呼ばれる存在だって例外ではない」


「ッ……!」


『魔王級』という言葉を耳にして、カイムは顔を上げた。

 ファウストは悪戯好きの猫のように唇を三日月型に吊り上げ、生徒にビシリと教鞭を突きつける。


「現在、地上において『魔王級』に指定されている魔物は七体。そのいずれも子供を作ったという話は聞かない。だが……これは彼らに生殖能力がないからか!? 否、そんなことはない!」


「…………」


「『魔王級』の魔物が生殖行動をとらないのは、彼らが不死の存在であるため。死にづらい肉体であるため、「子供」という分身を作る必要がないからである! つまり……『魔王級』から不死性を取り除いてしまえば、彼らも生殖行動をとる可能性があるのだ!」


「お、おおうっ……そうなのか」


 熱弁するファウストに押されて、カイムは搾りだすように返事をした。

 困惑に瞬きを繰り返す生徒にファウストは「ムンッ!」と大きな胸を張って笑う。


「そして……結論だ! 魔王級の災厄である『毒の女王』。自分を殺した人間の身体を乗っ取ることで数百年を生きてきた彼女だが、カイム・ハルスベルクという少年と一体化することでその不死性は失われた! 不死身の魔王から別の存在へと生まれ変わったのだ! 不死性を失ったことで『毒の女王』……いや、『毒の王』にもまた、他の動物と同じように生殖への欲求が生まれることになる。では、あらゆる毒を支配するこの魔人にとっての生殖行動とはどのようなものなのだろうか? 『毒の王』はどのような手段で異性を引き付け、生殖行為に及ぶのだろうか!?」


「まさか…………毒か?」


 カイムが思わず頭に浮かんだ答えを零すと、ファウストはバチンと黒板を叩いて音を鳴らす。


「その通り! 毒を操る力を手にしたカイム君の体液には、無意識のうちに異性を虜にする毒性――『フェロモン』が宿っている! ちなみに……この毒は本能行動によって生み出されているもののため、自分で意識して消し去ることはできない。人間が唾液や汗の分泌を意図的にコントロールできないように、体液に含まれるフェロモンもまた消すことはできないのだ!」


「えー……」


「心当たりがあるんじゃないのかな? 彼女達が正気を失う前、何を口にした?」


 ファウストに問われ……カイムはふと思い出す。


 ミリーシアとレンカは出会った直後から、カイムに対して妙に距離感が近かった。

 そして、カイムは彼女達が盗賊から飲まされた媚薬を打ち消すため、自分の唾液を飲ませているのだ。

 ミリーシアは最初から妙に好意的だった。

 レンカは逆に必要以上に敵意を向けてきたが、カイムのことを変に意識しているのは伝わってきていた。あるいは、好意の裏返し……俗に『ツンデレ』などと呼ばれるものだったのかもしれない。


 そして、就寝する少し前。

 彼女らは何をしていたか。食堂で何を口にしたか・・・・・・・・・・……。


「ミリーシアは俺の飲みかけの酒を飲んでいた。俺が口をつけたコップで、俺の唾液が入ったエールを飲んでいた……!」


 ミリーシアは食堂で、カイムが飲みかけていたエールを飲んでいた。おそらく、それが夜中にトチ狂って襲ってきた原因なのだろう。

 レンカまでもがおかしくなったのは、ミリーシアにキスされて彼女の体内にあった『フェロモン』を取り込んでしまったため。

 そう考えれば、昨晩の異常事態も説明がつくのではないか。少なくとも、ミリーシアとレンカがそろって男を襲う淫乱女であるというよりもよほど納得ができる。


「薬物というのは複数回摂取することで効果を増したり、逆に慣れて薄まったりするものだ。君のフェロモンの場合、複数回摂取することで抑えきれないほど効果が高まってしまったのだろう。ひょっとしたら、旅をしている間に気化していた汗を吸っていたこともあるのかもしれないね」


「そんな……それじゃあ、二人がおかしくなってしまったのは俺のせいなのか? 俺の毒が彼女達を狂わせてしまったのか?」


「そうとも言えるし、そうでないとも言えるだろうね。だが……勘違いしてはいけない」


 罪悪感に顔を蒼褪めさせるカイムに、ファウストが慰めるように微笑を浮かべる。


「『フェロモン』というのは誰にでも無条件で利くほど万能なものじゃない。自分と相性が良い相手にしか作用しないのさ。ある研究では相性の良い人間の汗は臭いと感じず、むしろ心地良い匂いに感じられるらしい。君のフェロモンに惹きつけられる人間は君にとって相性の良い相手。子供を作るのに適した相手。家族になりうる人物・・・・・・・・・であることを忘れてはいけない」


「家族……」


 自分を愛してくれる本当の家族を作るように――そんな母親の遺した言葉が思い出される。

 カイムの脳裏に三人の女性……身体を重ねたミリーシアとレンカ、そして、故郷に置いてきたとあるメイドの顔が思い出される。


「毒によって魅了してしまったことを申し訳なく思うのなら、その責任を取ることを考えるべきだ。間違っても、『自分は離れて行った方がいい』などと相手と相談もせずに結論付けることはしないように」


「…………」


「それでは、今日の授業はこれでお終い。また会える日を楽しみにしているよ。カイム君」


「あ……」


 ファウストがパチリと指を鳴らすと、途端に意識が遠くなる。


 カイムは激しい睡魔に抗うことができず……重い瞼を閉ざしたのであった。






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