第19話 乙女の秘密


 ミリーシアから帝国までの護衛を依頼されたカイムは、特に断る理由もなくその願いを了承することになった。

 カイムとて、護衛を殺されて頼るものを失った彼女らに同情する気持ちはあるのだ。二人のためにわざわざ遠回りはできないが、向かう先が一緒であれば同行を許す程度の許容力はあった。


 カイムが一行の先頭を歩き、その後ろをレンカが、最後尾を盗賊から奪った馬に跨ったミリーシアが続いている。

 ミリーシアだけが騎乗しているのだが、それは盗賊が馬を一頭しか所有していなかったため。ミリーシアの馬車を引いていた馬は盗賊に襲われた際に最中に逃げてしまっており、仕方がなしに他の二人は徒歩になったのである。


「お嬢様……本当によろしかったのでしょうか?」


 ジェイド王国東方の町。国境にある地方都市を目指しながら、レンカが表情を曇らせて主君に訊ねた。レンカは前方を歩いているカイムに聞こえないよう、声を潜めてミリーシアに話しかけている。


「レンカ……その話はもう済ませたでしょう? しつこいですよ」


「何度だって言わせてもらいます。わざわざ帝国に戻るなんて・・・・・・・・正気の沙汰ではありません。何のために、あの御方がお嬢様を逃がしてくださったと思っているのですか?」


「……逃げるべきではなかった、私は今もそう思っています。自分だけ果たすべき役割を放棄して安全な場所に逃げるなど許されないと。だからこそ、盗賊に捕まってしまうなどという罰を与えられたのだと」


 レンカの忠言を受けるも、ミリーシアが決然として首を振った。


「こうして、帝国に向かうカイムさんに助けられたのは天意に違いありません。帝国に戻って義務を果たせと運命が言っているのです。私はもう逃げるつもりはありません。たとえ命を落とすことになろうとも……己の果たすべき役割に立ち向かうつもりです」


「お嬢様……まさか、そのようにお考えとは……」


 主人の言葉に、レンカが感極まったように涙声になる。


「お嬢様がそこまで覚悟を決めているのでしたら、このレンカ、是非もございません。先日のような失態はいたしません。今度こそ命懸けでお嬢様をお守りすると誓います!」


「ありがとう、レンカ……これからも、私を支えてくださいね?」


「…………」


 道を歩きながら、カイムは背後で繰り広げられる主従の絆に溜息を吐く。

 内緒話で勝手に盛り上がっているようだが……その会話の大部分は聞こえてしまっていた。

 闘鬼神流を修めたカイムは圧縮魔力を纏っていなくとも、普段から五感が研ぎ澄まされているのだ。

 その気になって耳をすませば、数百メートル先で針を落とした音だって聞き取れる。数メートル後方の女性二人の会話を聞き逃すわけがない。


(厄介事の匂いがするぜ……それはもう、プンプンと妖しく匂っていやがる。この二人に同行を許したのは間違いだったかもしれないな)


 断片的な会話の内容だけでは、ミリーシアらが何を背負っているのかまではわからなかった。

 だが……間違いなく、それはカイムにとって望ましくないものに違いない。


(余計なトラブルに巻き込まれたくないから帝国に逃げようとしているんだが……どうして、そこで面倒に巻き込まれなくちゃいけないんだ? 今からでも、コイツらを捨ててしまおうか?)


 などと非情な考えが頭に浮かぶが……それを実行することはできない。カイムは二人の女性に情が移っていることを自覚していた。


(男という生き物は、どうしたって初めての女・・・・・を特別扱いしちゃうものなんだな……勉強になったよ)


 カイムはミリーシア達を洞窟で救い出したとき、成り行きでキスをしていた。舌と舌を絡め合うディープなものを。

 そこから先の行為はなかったし、彼女達もそのことは覚えていない。だが……その甘い衝撃はカイムの人生にとって初めての体験だった。

 それまでの人生を塗りつぶすような衝撃の体験。生まれて初めて感じさせられる『女』の味に、激しい高揚感と陶酔感を抱いたものである。


(しかも……その相手がかなりのレベルの美女ときたものだ。忘れたくたって忘れられるものじゃないだろ?)


 洞窟にいた時点で気がついていたが……明るい場所に来て改めて思う。ミリーシアとレンカはいずれもハイレベルの美女だった。


 ミリーシアは見るからに育ちの良い令嬢。

 滝のように背中を流れる金色の髪。大粒の宝石を埋め込んだがごとき青い瞳。上質な絹のように滑らかな白い肌。

 顔の造形は恐ろしく整っており、まるで神が創りたもうた芸術品である。宗教画に描かれている女神のような幻想的な美女だった。


 一方のレンカはまだ人間じみており、こちらは雌獅子のように健康的で力強い女性。

 程よい筋肉がついた手足。日焼けした健康的な肌。鎧で隠されているがスタイルはバツグンであり、露出の大きいドレスに着替えたらさぞや魅力的になることだろう。

 ミリーシアのような幻想的な美貌こそないものの、生命力にあふれた気の強そうな顔立ちは間違いなく多くの人間の目を奪うに違いない。


(こんな女と俺はキスしたんだな……ああ、畜生! あの時のことが忘れられないじゃないか! これじゃあ、どっちが薬で魅了されていたんだかわからない!)


「ところで……カイムさん? カイムさんはおいくつなのでしょう。私と同年代に見えますけど……」


「は……あ、ああ。俺の話か?」


 悶々と考え込んでいたところを後ろから声をかけられ、カイムは反応が遅くなってしまった。いくら五感が強化されていても、話を聞き流していれば意味がない。

 振り返ると……話を切り出してきたミリーシアが不思議そうな表情になっている。カイムは「コホン」と咳払いをして質問に答えた。


「俺は……十八だよ。すでに成人している」


 厳密に言うと、『カイム・ハルスベルク』として生きた年数は十三年である。

 しかし、数百の齢を重ねた『毒の女王」と融合したことで肉体は成長しており、精神的にも大きく変化していた。もはや『十三歳』とはとても言えまい。


「ああ、私と同い年なのですね! これは奇遇です!」


 何故か嬉しそうな表情で、ミリーシアが両手を合わせた。


「レンカは二十歳なんですよ? 私達、三人とも年が近いですね!」


「……そうだな」


「そういえば……私達、もう結婚して赤ちゃんがいてもおかしくない年齢ですよね。ついこの間まで子供だった気がするのに不思議なものですわ。そういえば……カイムさんは不思議な髪と眼をしていますね? 私達が子供を作ったら、どんな髪と瞳の子供が生まれるのでしょう?」


「どうして俺にそんな話をするんだよ!? リアクションに困るだろうが!?」


 カイムが思わず声を荒げると、ミリーシアは「あ!」と声を上げて口元を手で隠す。


「も、申し訳ありません。どうしてでしょうか……? カイムさんを見ていると不思議と高揚してしまい、何故かこんなことを……私ってば、どうしてしまったのでしょう?」


「…………」


 ミリーシアが照れて顔を赤くさせた。

 知らないふりをしているだけで、ひょっとしてカイムとのキスを覚えているのではないだろうか?

 カイムは前方に顔を向けて引きつった顔を見られないように隠すが……ちょうどそのタイミングで、背筋をピリッと刺すような感触が襲った。


「……どうやら、おしゃべりはここまでのようだ。敵襲だ」


「なっ……また盗賊か!?」


 レンカが腰の剣を握りながら周囲を見回す。

 まだ襲撃者の姿は肉眼で捉えられる位置にはいないが……カイムははっきりとその害意を感じ取っていた。


「いや……今度は魔物の襲撃らしい。ほら、じきに出てくるぞ」


 カイムが街道横に広がった森の方角を指差した。

 数秒後、生い茂った木々を掻き分けるようにして身長二メートルほどの大きな影が飛び出してきた。


「あれは……オークですか!?」


 森から現れたのは大量の脂肪をタプタプと揺らした人型の豚。

『オーク』と呼ばれている、ゴブリンと並んでメジャーなモンスターの姿だった。

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