第176話 宴の始末

「……生きているのか」


 ガランク山の中腹。

 崖下に転がりながら、『墓穴掘りのディード』が陰鬱そうにつぶやいた。

 ディードはカイムとの戦いで数百の打撃を喰らい、挙げ句に崖下まで転がり落ちてしまった。

 今度こそは死んだ……生を実感した直後にそう悟ったディードであったがまた生き残ってしまったらしい。

 手足は折れ、肋骨は砕け、首も百八十度曲がって裏側を向いているが……それでも、心臓は確かに鼓動を刻んでいる。


 やはり、尋常の生命力ではない。

 アンデッドでも人魔でもないディードであったが、やはり怪物には違いなかった。

 ディードは裏返った顔を空に向けて、ぼんやりと青空を見つめる。


「……悪くないな」


 悪くない。

 このまま死んだとしても、少しも悪くない。

 むしろ、心地良い余韻を抱いたまま、死ぬことができるだろう。


「良い戦いだった……そう、愉しかったのだ……」


 愉しかった。楽しかった。

 至福の時。カイムとの戦いは本当に心が躍った。

 できることならば、永遠に戦い続けていたいと思えるほどに。


「ならば……そうなさればよろしいのでは?」


「ヌ……?」


 恍惚とした表情で先ほどの戦闘を思い出すディードであったが、ふと横から水を差される。

 鬱陶しそうに目線だけを送ると……そこには、真っ赤なドレスを身に纏った少女が立っていた。


「……貴様は?」


「ああ、申し遅れました。殺し屋組織『カンパニー』の代表をしております。どうぞ『ミストレス』とお呼びください」


 小柄な少女が薄い胸に手を添えて、堂々と言いきった。


「嘘だな。『ミストレス』は知っている。貴様ではない」


「先代は殉職いたしました。跡を継いで私が新しい代表となりましたので、どうかお見知り置きください」


「…………そうか」


 死んだのか。

 知己の死を思って、ディードはわずかに悲しそうな顔をする。


「……殺しを生業とするのだ。いつ死んでも文句は言えまい」


「そうですね。同感です」


「だが……知人で同業者である我なれば、心の中で弔いの言葉を口にすることは許されよう。ああ、許されるはずだ……」


「ありがとうございます……先代に代わり、御礼を申し上げます」


 ディードから贈られた追悼の言葉に、新代の『ミストレス』が頭を下げた。


「それで……用は終わりか。なれば、去れ」


 ディードが『ミストレス』から目を逸らした。

 自分はこれから死の世界に旅立つのだ。

 最期の時くらい、一人でゆっくりと噛みしめさせて欲しい。


「残念ながら……貴方は死ぬことができません」


「ヌ……」


「御自覚がないようですが、これから死ぬ人間はそこまでしゃべれません。顔色も良いですし、呼吸や脈拍にも乱れはなさそうです。折れた手足も再生を始めているようですし……首を元通りにすれば、これまで通りに動くことができるでしょう」


「…………そうか」


 また、死に損なってしまったようだ。

 ディードは無念そうに目を細めた。

 できることなら、カイムの手に掛かって死にたかった。

 それなのに……またしても、ディードは生き残ってしまったようである。


「よいしょ……」


「……何をしている?」


「首を元の方向に戻しているんですよ……ううん、固い」


『ミストレス』がうんうんと唸りながら、反対方向を向いているディードの首を正しい方向に戻そうとしている。

 距離が近づいて改めてわかるが、本当に幼い。

 口調はしっかりしているものの、年齢は二十に届いてはいまい。


(あるいは、もっと……?)


「……我を助けて、どうするつもりだ」


「もちろん、恩を売るのですよ」


 ディードの疑問に、間髪入れずに『ミストレス』が答えた。


「今回の一件により、『カンパニー』は大きく戦力を落としました。依頼失敗により信用も失墜したでしょう。まあ、ライバルである他の殺し屋も命を落としたでしょうから、長期的に見ればプラマイゼロになりますが」


「…………」


「組織の建て直しのために、優秀な人材が必要なのです。新生『カンパニー』の大看板になるような人材が」


「我にそれになれというのか……一匹狼のこの我に」


「組織が落ち着くまでで構いません。私の騎士になってください」


「…………」


 騎士。

 それはもっとも、ディードから程遠い言葉だろう。

 墓穴から生を受けた、死肉の臭いが染み着いた男に何を言うのだ。

 固辞しようとするディードであったが……次の『ミストレス』の言葉により、拒絶を飲み込むことになった。


「私についてくれば、また望む相手と戦うことができるかもしれませんよ?」


「…………!」


 望む相手。それに該当する相手はただ一人しかいない。

 カイム……あの類まれな強者と、また戦えるというのだろうか。


「戦いの舞台はセッティングしてあげますわ。あの方々には、会社を無茶苦茶にされた報復をしなくてはいけませんもの」


「そうか……」


 ディードが短くつぶやいて、目を閉じた。


 このまま死んでも良いと思っている。それは偽りなき事実だ。

 けれど、ディードは生き残った。ならば、戦いは終わっていないという見方もできる。

 むしろ、それこそがこの世に残った意味といえるのではないか。


「……この命の意味を確かめるため、あの男ともう一度相まみえるのも悪くない……ああ、そうだ。悪いことがあろうか」


「決まりですね……それでは、この首を……!」


 ディードの独白を了承と受け取り、『ミストレス』が首を戻そうと力を込める。

 そんな彼女に向けて、ディードが目を開いて告げる。


「『ミストレス』よ」


「よいしょ、よいしょ……なんですか?」


「そっちじゃない。回している方向が反対だ」


「え…………ああっ!」


「ぐぎ……」


 百八十度回っていた首が、三百六十度になってしまった。

 見た目は元通りだが……捻れて一回転した頸部に、流石のディードも苦痛を訴えたのである。

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