第184話 リコスと蟹

「クウ」


「あ?」


 しばらく、水遊びを楽しんでいたカイム達であったが……そこで、海から一人の幼女が顔を出した。

 海水に濡れて藻のようになった緑色の髪。凹凸のない小さな全裸の体躯。表情は乏しいが瞳には強い活力が浮かんでいる。

 カイム達の最後の仲間……狼幼女のリコスだった。


「何だ、お前、どこに行ってたんだ?」


 そういえば、ずっと姿が見えなかった。

 いつも好き勝手に動き回っているので気にしていなかったが、どこで遊んでいたのだろう。


「ンウッ」


「それは……カニか?」


 カイムの問いに答えるように、リコスが海の中から何かを引っ張り出した。

 それは真っ赤なカニだった。大きさはリコスの頭部よりも一回り大きく、ワシャワシャと二本のハサミを動かしてリコスの手から逃れようとしている。


「食べ応えがありそうだな……わざわざ、獲ってきたのか?」


「クウ」


 リコスが小さく頷いた。

 色気より食い気。水遊びよりも魚介類。

 カイム達が海水浴を楽しんでいる間、リコスは海に潜って獲物を探していたようである。


「おや……それはもしかして、エンペラークラブじゃないか?」


 レンカが近寄ってきて、リコスが持っている大きなカニをまじまじと見やる。


「そんなに珍しいカニなのか?」


「ああ……浅瀬にいるようなものではない。本来であれば、深海にいる魔物の一種だ」


「魔物? このカニが?」


 確かに、カイムが知るそれよりもサイズは大きい。人間の顔面を超える大きさがある。

 だが……魔物というには、大げさではないだろうか。


「それは稚魚というか、エンペラークラブの子供だよ。成体であったのなら、ワイバーン並みに大きいからな」


「ワイバーン並みって……そんなカニがいるのか?」


 カイムが思わず、リコスの手に捕まったカニを見つめる。

 大きいカニかと思ったら……まさかの、子供であったらしい。

 本来であれば、深海にいるであろう巨大カニの子供が、どうしてこんな浅瀬にいるのだろうか。


(まさか、リコスが深海まで潜って……いや、いくら何でも、それはないか)


 リコスはただの子供ではない。リュカオンの親玉……魔狼王によって育てられた、狼幼女である。

 ガランク山で殺し屋を迎え撃った際、大人の姿に変身できることもわかっているが、深海まで潜ることは流石にできないはず。


「まあ、デカいといってもカニはカニか。晩飯に調理してもらうか」


「いや、それは逃がした方が良いな。どうして、こんな浅瀬にいるのかはわからないが……子供を捕まえていったら親が怒る。報復をされる恐れがあるぞ」


「仲間意識が強いのか? それはちょっと面倒だな」


 カイムはリコスに向き直り、静かな口調で言い聞かせる。


「せっかく捕まえてきたところを悪いが……それは逃がしてやれ」


「クウ……」


「そう不満そうな顔をするな。そんな物がなくても、今夜はごちそうだ……たぶん」


 ミリーシアとランス……二人の皇族が再会したのだから、お祝いに豪勢な食事が出てくるはず。

 熱心に言い含めると、リコスは渋々といった表情でエンペラークラブの幼生体をカイムに差し出した。


「よし。それじゃあ、コイツは沖にでも投げておいて……」


「キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!」


「…………遅かったみたいだな、うん」


 直後、沖の海面が弾けた。

 爆発するように海水を弾き飛ばして現れたのは、体長二十メートルを超えるであろう巨大なカニである。

 ワイバーン並みの大きさだと聞いていたが、それよりもさらに大きい。

 カイム達を認めると、グイグイと左右に膿を掻き分けてこちらに泳いでくる。


「デカい……海にはこんな大きな魔物がいるのか……!」


 カイムが目にした中でも、ダントツで巨大な魔物である。

 海には何十メートルもあるクジラや魚、イカがいると聞いたことがあるが……実際に目にすると度肝を抜かれる光景だった。


「海は未知の世界だな。興味深いじゃないか」


「カイム殿、言っている場合じゃないぞ!」


 感心した様子のカイムの腕をレンカが引っ張る。


「あんな物が人里に出てきたら、どれだけ被害が出るかわからないぞ!」


「ああ、倒すしかないな」


 子供を返したとしても、帰ってくれる保証はない。

 下手に近海に留まられ、船が襲われるようなことになっても厄介である。


「キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!」


「殺るか」


 カイムは現れた巨大な海魔を討つべく覚悟を決めて、魔力を練り上げた。

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