第27話 宿屋の夜


「フー、満足満足。あれが酒の味……溺れて人生を台無しにする人間が後を絶えないのも道理だ。堪らない旨さだったぜ」


「本当にお酒に強いのですね。そういうところも素敵ですよ」


「……呆れたものだな。明らかに飲んだ酒の量は胃袋の大きさを越えているだろう。どんな身体をしているのだ?」


 ご機嫌な様子のカイムに、ミリーシアが何故か嬉しそうに声を弾ませ、レンカは呆れたように肩を落とす。

 食事を済ませた三人は宿屋の二階にある部屋に戻ってきた。カイムはそのままゴロリと床に横になり、毛布を被って仰向けになる。


「さて……俺はこのまま寝るつもりだけど、その前に何か話しておくことはあるか?」


「あ、でしたら明日以降の計画について話をしましょう。明日にでも帝国に渡る船のチケットを取って、旅の荷物を整えたいと思うのですけど……構いませんよね?」


 ミリーシアの言葉に、カイムは寝転がったまま首肯する。


「問題ない。雇い主に任せるさ。ところで……船のチケットはすぐに取れるものなのか?」


「それは……ええっと……」


「チケット自体はすぐに取れるはず。しかし、行商人らで予約が埋まっているはずですから、実際に河の対岸に渡ることができるのは数日後になるはずです」


 ミリーシアの視線を受けて、レンカが代わりに説明する。


「貴族や王族であれば優先的に船を回してもらえますが……我々はあくまでも平民枠として船に乗るつもりなので時間がかかるかと」


「貴族として乗ればいいんじゃないか? 貴族なんだろ、たぶん帝国の?」


「それは……」


 カイムの問いに、レンカが言葉を濁らせた。

 明言はされていないものの、ミリーシアが貴族令嬢であることは気がついている。レンカの呼び方からして『お嬢様』なのだから、隠すつもりもないのだろう。


(とはいえ……たんなる令嬢というわけでもないんだろうな。どんな素性があるんだか)


「私は……できることなら、貴族としての身分を使うことなく帝国に行きたいと思っております。こちらの都合で迷惑をかけてしまい、カイム様には申し訳ないと思っているのですが……」


「ま……別に構わないけどな。こっちは雇われの身だ。そちらの都合に合わせるさ。ところで……」


 カイムは横目でミリーシアの顔を見て、ふと気が付いたことを口にする。


「お前……さっきから、顔が赤くないか?」


「え……?」


 指摘されたミリーシアが両手を頬にそえた。

 部屋に置かれたランプの明かりに照らされたミリーシアは、頬が紅潮して薔薇色に染まっている。

 元々の肌が白いだけに染まった肌の変化がはっきりとわかってしまう。明らかに食事前よりも肌が赤くなっていた。


「そういえば、さっきから身体が熱いような……ひょっとして、酔っぱらってしまったのでしょうか?」


「俺の飲みかけを少し飲んだだけだろう? 酔っぱらうほど酒を口にしてはいなかったと思うが……酒精アルコールに弱い体質なのか?」


「そんなことは……ないと思いますけど。お酒に強くはありませんが、パーティーなどの席では何度か飲んだことはありますし」


 ミリーシアがパタパタと手で顔を扇ぐ。

 カイムに指摘されたことで、身体の熱を自覚してしまったのだろう。部屋の窓を開いて外の空気を入れる。

 窓辺に立って風にあたるミリーシアに、気遣わしげにレンカが寄り添う。


「やはりエールが身体に合わなかったのではないでしょうか? お嬢様がこれまで飲んだお酒は上質な葡萄酒などでしたし、下々の酒を身体が受け入れなかったのでは?」


「その『下々の酒』をたらふく飲んだ俺の前で言ってくれるじゃないか。雑味もなかったし、肉体に害になるような成分はなかったと思うけどな」


 レンカの言い回しにムッとしながら、カイムが憮然として腕を組む。

 麦から造られたエールは、貴族が嗜んでいるワインなどと比べれば品性が劣るかもしれない。しかし、決して馬鹿にされるような味ではなかった。

 まるで「庶民の酒だ」とばかりに下に見るレンカの態度は少し気に入らない。


「慣れない酒で酔っ払ったというだけだろ? 気分が悪いのなら、さっさと横になったらどうだよ?」


「そうですね……お言葉に甘えて、そうさせてもらいます。えっと、その……」


「ん……?」


 ミリーシアがちらりとカイムに目を向ける。

 頬を紅潮させ、心なしか瞳が潤んだミリーシアの姿は驚くほどに色っぽい。

 それが体調不良によるものだとはわかっているが……カイムはドキリと心臓が跳ねるのがわかった。


「その……カイム様、できるば横になる前に寝間着に着替えたいのですが……」


「あ……悪い、そういうことか!」


 モジモジと恥ずかしそうに顔を伏せるミリーシアに、カイムはすぐさま床から起き上がる。

 気がつかなかった。

 普段着と寝間着を分けるだなんて発想は、生まれた屋敷を追い出されて久しいカイムが失っていたものである。


「私はカイム様でしたら見られても構わないし、むしろ見て欲しいと言いますか。いっそのことお互いの裸を見せ合って……あれ? 私ってば、なんてはしたないことを……!?」


「ど、どうされたのですか、お嬢様!? やはり体調が悪いのではっ!?」


 とんでもないことを口走るミリーシアに、レンカも慌てた様子でアワアワと両手を振る。

 混乱した様子の女騎士はカイムの方を「キッ!」と睨みつけ、口をパクパクと動かす。


『は・や・く・で・て・け!』


「……了解」


 唇の動きを正確に読み取ったカイムは、短く返事をして廊下に出て行くのであった。

 扉ごしにレンカがミリーシアに説教している声が聞こえてくる。先程のはしたない発言を咎めているのだろう。


「……やれやれ。騒々しい夜だな」


 カイムは廊下の壁にもたれかかって肩を落とし、説教が終わってミリーシアが寝間着に着替えるまで、たっぷり三十分以上も待たされるのであった。

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