第181話 ランスという男

 殺し屋との戦いを乗り越えて、カイム達一行は大陸東端の町であるベーウィックに到着した。

 他国との海洋貿易の拠点となっている港町は、第二皇子ランス・ガーネットの本拠地である。

 追い求めていたミリーシアの次兄から聞かされたのは、第一皇子であるアーサー・ガーネットが一週間後に攻めてくるという情報だった。

 大陸最大の軍事国家であるガーネット帝国の次期皇帝……新たなる覇王を決めるための決戦が、刻一刻と近づいてきていたのである。


「アーサー兄さんには大勢の部下がいるけれど……その中でも、特に厄介なのは大魔術師であるマーリン女史だね」


 ランスが穏やかな口調で、カイム達に告げる。


「マーリン女史は未来予知という能力を持っている。これはあらゆる情報を数学的計算によってまとめ上げ、将来的に起こりうる可能性を予見するというものだ。的中率は九十パーセント程度だと聞いている。百発百中ではないけれど……軍同士の戦いにおいて、これほど厄介な力はない」


 未来を予見しているのであれば、こちらがどんな攻撃を仕掛けるのか、どんな策謀を講じているのかを読むことができるということだ。

 的中率九十パーセントでも、十分すぎる脅威である。


「それじゃあ、マーリン女史の予知を乗り越えるためにはどうすればいいのだろう? 僕はね、それをずっと考えていたんだ……そして、答えは出た」


 ランスは自信満々に、その答えを口にする。


「答えは『カオス』だよ。盤上にカオスを大量に生じさせるのさ」


 カオス。

 その言葉の意味をカイムもミリーシアも知らない。

 説明を求めると……ランスは人差し指を立てて、得意げに語る。


「カオスというのは、つまり不確定要素のことさ。未来予知の数学的計算を狂わせる因子を外部から大量に流し込んで、情報過多にすることで予知をさせない。数学的な統計が不可能になるような、ジャンクな情報をこれでもかとぶち込んでやれば良いのさ」


「……それとこの状況と、どのような関係があるのでしょうか?」


 兄の説明をひとしきり聞いて……ミリーシアが硬い声で訊ねる。


 カイムとミリーシア、ランス、そして他の仲間達がいるのは、東の海岸にあるプライベートビーチだった。

 空は太陽が照り、青い海が波音を奏でている。

 カイム達一行とランスは下着のような服を着ていて、ビーチに集まっていた。

 下着のような服とは……つまり、水着のこと。

 要するに……あと一週間で戦争が始まるという大切な時期に、彼らは海水浴に来ていたのである。


「再会したばかりだというのに、急に海に行こうだなんて誘ってきて……周りに人がいては話せないことでもあるのかと思いきや、水着を着るように指示されて。まさか、こんな大切な時期に遊びに来ただけだなんて言いませんよね?」


 笑顔のミリーシアであったが……額にはピクピクと青筋が浮かんでいた。

 怒っている。この状況に、それを起こした兄に対して怒っている。


「もちろん、違うとも」


 男性用の水着にサングラスを付けたランスが「当然だ!」と言わんばかりに胸を張る。


「さっきも言っただろう。カオスなんだよ。カオスを生じさせてマーリンの未来予知を狂わせるんだ」


「…………」


「如何に彼女といえど、戦争直前に僕達が海辺で遊んでいるなんて思わないだろう? こういう予想外をいくつも盛り込むことによって、カオスを生じさせるためさ。決して、ミリーシアと大切な話があるというのを口実に、仕事を放り出して遊びたかったわけじゃない。戦争前の重苦しい空気に耐えられなくて、逃げたかったわけじゃないよ」


「いや、絶対に違いますよね!? 仕事を放り出して遊びたかったんですよね!? 重苦しい空気に耐えられなくて逃げたんですよねっ!?」


 ミリーシアがとうとう耐え切れなくなり、声を荒げた。


「ランスお兄様……貴方という人は、どうしてこういい加減なんですか! これからアーサーお兄様との戦いが始まるというのに、緊張感がないにもほどがありますよ!」


「いやいやいや、大丈夫だよ。仕事は優秀な部下に任せてあるからね」


「部下に仕事をさせて、主君が遊んでいるとは何事ですかっ!? もっとタチが悪いですよ!」


 ミリーシアがキャンキャンと吠えて、ランスに説教をする。

 怒る妹と、怒られる兄。そんな二人を眺めながら……ティーがそっとカイムの手を引いた。


「何といいますか……あの人って、大丈夫なんですの?」


「……それは俺も思っていた。アレを大将として戦わなくちゃと思うと、不安を通り越して悲しくなってくるよ」


 カイムとティーが溜息を吐く。

 ランス・ガーネットという男は、会ってからずっとあの調子だった。

 全体的にのほほんとしているというか、緊張感が無いというか……とにかく、行動も言葉も軽いのだ。

 ミリーシアから、ランスを兄にしたいという意思を受けてここまで旅をしてきたが……追い求めてきた皇子がアレとは、これまでの苦労は何だったのだろう。


「えっと……一応、優秀な御仁なのだ。ランス殿下は」


「レンカ……」


「許してあげて欲しい。すまない……」


 隣で話を聞いていたレンカが、申し訳なさそうに口を開いて会話に入ってくる。

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