第14話:修羅場①

 週が明けてまた月曜日がやってくる。

 できれば来て欲しくなかった月曜日。


『来週から私も同じ学校通うから』


 この言葉を思い出すたびに気が重くなる。胃がキリキリする。いつとは言ってなかったが、今日という可能性も大いにある。


「どうしたの、浮かない顔して? いつも以上にシケた面してるわ」

「朝一に彼氏に向かっていう言葉がそれってどうなのよ」

「あら、彼氏って響きいいわね。自覚出てきたってことかしら」

「うっ……」


 例によって、今日も同じように市川さんと登校をしている。

 俺はまだ婚約者の件を話せないでいる。

 早くしなくちゃいけないことは分かっているんだがどうも、ビビってしまう。腰抜けである。


 ちなみに腕ホールドは初週だけだったようで、今日はしていない。


 何か、あったんだろうか?

 先週まではベッタリだったのに。べ、別にしてほしいわけじゃないよ? されたらされたで動悸がすごくなるし、精神力がすり減るから。

 あの柔らかい感触が恋しいわけじゃないから。


「なんで今日は抱きついてこないのか、気になるのかしら」

「あの……ちょいちょい心の中読むのやめてもらっていいですか」

「ふふ。やっぱりこういうのは偶にするからいいんじゃない? 毎日していたら飽きるでしょう? 私は、いつまでもあなたがあたふたするのを見ていたいの」


 前々から思っていたけど市川さんてドエスだな。

 好きな子をいじめるタイプだ。


「い、いや、別にあたふたなんてしてないし」

「そう。じゃあ、次はもっと刺激的なのを考えなくちゃね」

「それ、どんどん市川さんのハードル上がってるけど大丈夫なの?」

「大丈夫よ。最終的には子作りなんだから」

「だから!! 朝っぱらからそんなこと言わない!!」


 マジでやめて。思わず大声出しちゃったわ。

 ああ、恥ずかしい。周りに誰もいなくても恥ずかしいわ。


「興奮してるのね。今日は学校休んでホテルでも行く?」

「行かない!!」


 全くもって市川さんの思考回路がわからん。

 もしかしてだけど、一人暮らししている部屋に市川さんと二人きりになるって貞操の危機なのでは?


「じゃあ、この辺で先に行って頂戴。私は静を待ってから行くわ」

「ああ、じゃあ、また」


 途中の道で市川さんと別れると俺は一人で学校へと向かう。

 基本的に市川さんと登校する時は、早めに家を出ている。

 その方が誰かに見られる可能性が減るからだ。

 そして市川さんは途中で崎野さんと待ち合わせしてから学校へ行く。


「ただ、これだと俺がだいぶ早く学校に着いちゃうんだよな〜」


 ふぁ、とあくびをしながらまだあまり生徒がいない廊下をひた歩く。


「教室についたら一眠りしようか……なっ!?」

「んっ」


 なんて考えていると曲がり角で誰かとぶつかった。

 その反動で俺はそのまま尻餅をつく。


「いたた」

「ごめん。大丈夫?」


 ぶつかった相手は俺とは違い、倒れることなく、手まで差し伸ばしてくる余裕があった。


「「あ」」


 そしてお互いを認識して、声が漏れる。


「昨日ぶり」

「そ、そうっすね」


 手を差し伸ばしているのは、満島さんだった。

 俺はお礼を言ってそのまま満島さんの手を借りて、立ち上がる。


 満島さんの姿を見ると汗を掻いていたようで髪の毛が少し濡れていた。

 それにも関わらず、甘くていい匂いがする。

 制汗剤だろうか。


「朝練してちょうど終わって教室に戻ってきたところなんだ」

「練習熱心なんだな」

「うん。走るのは気持ちいいからね。君もよかったら今度一緒にどう?」

「……遠慮しておく」

「はは、振られちゃった」


 ……あ、でもよく考えたら己を鍛えるのも悪くないかもしれない。

 別に極めるつもりはないけど、これも平凡からの脱却のため。


「やっぱり俺も朝走ろうかな」

「……どうしたの?」

「ちょっと思うところがあって。あ、でも土日だけかな。学校の日は流石に」

「ふっ、じゃあ、よかったら一緒に走らない? 土日も私は朝、走っているから」

「ああ、それだったら」

「じゃあ、連絡先交換してもらえるかな」


 そう言って満島さんはスマホを取り出す。俺もそれに合わせて取り出して、連絡先を交換した。


 なんか、この前まで全然女子となんか絡みなかったのに、ここ最近接点が多い気がする。

 しかも、こんな有名人とまで連絡先交換することになるとは。

 これも市川さんと付き合えたことによるいい変化かもしれない。


「小宮くん」

「……え?」


 ちょうど市川さんのことを考えていた時、俺は唐突に後ろから聞こえてきた彼女の声に固まった。

 そしてゆっくりと振り返る。


「何をしているのかしら?」

「い、市川さん……」


 そこには朝、別れたはずの市川さんが一人で立っていた。


「さ、崎野さんは?」

「私が先に質問しているの。一体、何をしていたのかしら?」

「い、いや、これは」

「君、市川さんだよね」


 何を思ったのか、満島さんは、なんとか言葉を絞り出そうとする俺を遮り、市川さんの前に出た。


「……そうよ。そういうあなたは、満島さんね」

「うん、そうだよ」

「どいてくれるかしら。私は、そちらの小宮くんに用があるの」

「ごめん、それはできない」

「どうしてかしら。あなたが私を邪魔する理由なんてこれっぽちもないはずだけれど」

「別に邪魔してるつもりないけど。今は、私が彼と話してるんだ。だから用があるならそれが終わってからが礼儀じゃないかな」


 二人はお互いに一歩も引かずに視線を交差させる。バチッと効果音が付きそうなほどだ。

 俺としては非常に気まずい空気である。これ不味いんじゃ……と思って止められません。入る隙がないんです。ビビってるとかじゃなく。


「彼と一体、何を話していたの?」

「別になんでもいいでしょ? 市川さんには関係のない話だよ」

「それは私が判断するわ。何を話していたのか言いなさい」


 ますますヒートアップする二人。

 市川さんも満島さんもお互い睨み合っている。


 このままでは本当に不味い。そろそろみんなも登校してくる時間帯だ。俺が原因でこの有名人二人がケンカしていることが広まるなんてことになれば……想像もしたくない。


 ここは、俺が仲裁に入らないと!!


「あ、あの!」

「小宮くんは黙って」

「はい……」


 無理でした。


「そんなに彼に執着してどうしたの? いつも一緒にいる仲良しグループに彼はいなかったと思うけど」

「それはあなたに関係ないわ」

「もしかしていじめてるとか?」

「……私がいじめ? 根も葉もないこと言わないでくれるかしら」

「でも彼は怯えてたよ?」

「ッ」


 誤解なんです。

 怯えてたけど、いじめられてるとかじゃないんです……。

 市川さんが怖くて……なんてこと言えません。

 ヘタレ極まる。


 そして一瞬、市川さんの表情が曇ったように見えた。

 まずい!


「満島さん、さっきのは──」

「ともかく、彼が怖がっているから、また後にしてくれるかな」


 俺が口を挟もうとしてすぐに満島さんの言葉が被さる。


「…………そう。ならいいわ」

「あ、市川さ……ひっ!?」


 市川さんは鋭くこちらを一瞥すると小さくため息をついて、教室に入っていった。


 こ、こええ…………。

 後で弁解をしないと……怖すぎるけど。


「大丈夫だった?」

「え? あ、はい」

「ごめんね。何か君が困ってそうな感じがしたから。迷惑だったかな」

「あーいや……」


 めちゃくちゃ拗れちゃったけど、こんなイケメンスマイルを出されるとそうだとは言いづらい。

 つまり、持ち前の正義感が発動して俺が困ってると思い、助けてくれたようだ。


「ご、誤解しないで欲しいんだけど、別に市川さんには虐められてるわけじゃないんだ」

「……そうなの? でもすごく怒っていたように感じたけど」

「これには深い事情がありまして……」

「事情?」

「と、とりあえずさっきのは誤解で市川さんとは本当に何もないから!! そ、それじゃあね!!」

「あっ」


 俺はその場で無理やり会話を終了させて市川さんを追いかけた。



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