第37話:女神様のお仕置き
紗が出て行った後、俺たちの間には独特な空気が広がっていた。
なんというか、この感じも久しぶりな気がする。
寝る時間までまだ時間があったので俺たちはソファに二人で座り、バラエティ番組を見ていた。
なんだか市川さんとバラエティ番組というのが、どうもミスマッチな気がした。
時々、市川さんはこちらに頭を預けてくる。
お風呂に入ったばかりでシャンプーの柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。
シャンプーはうちにあるものでなく、持ってきたものを使用したらしい。
うちのものとは違う甘い匂いだった。
それでも不思議に思う。どうして、女の子のお風呂上がりってこんなにもいい匂いがするのか。
「ふぁ」
そんなことを考えているともう時間もそこそこ経っていた。
市川さんも眠くなったのか、可愛らしくあくびををする。
「眠くなってきた?」
「ええ、ちょっと」
「そろそろ寝る?」
「そうしましょうか」
「じゃあ、お布団用意するよ」
一応、この家にも客用のお布団がある。
今まで使ったことはなかったけど、まさか初めて使う人が市川さんになるとは思わなかった。
「お布団なら結構よ」
「え?」
「私、そこで寝るもの」
そう言って、市川さんが指差したのは俺のいつも使っているベッド。
まぁ、市川さんが使いたいと言うなら別に構わないけど……なんだかいつも使っているベッドで異性が寝るというのは緊張するな。
「じゃあ、俺がお布団に」
「それも結構よ」
「……どういう意味?」
「だって今日は一つのベッドで寝るもの」
「……はい?」
市川さんと俺が一緒に?
というかこのベッドただのシングルベッドなので二人分も寝るスペースないと思うんだけど……いや、詰めればいけるけど。
そんなことしたら……。
「っ。いや無理無理無理!! そんなの無理だって!!」
「あら、失礼しちゃうわね。私と一緒に寝ることがそんなに不満かしら」
「じゃなくて!!」
いやいやいや、女の子と一緒に寝るとかハードル高すぎる!!
この前まで誰とも付き合ったことなかったのに、いきなり一緒に寝るとか……段階すっ飛ばし過ぎだって!!
「い、市川さん? よく考えて? 俺も男だよ?」
「ええ、知っているわ。でも私、信じてるもの。小宮くんがそんな人じゃないって」
「それってどういう意味!?」
「さぁ、歯を磨きましょう」
市川さんは取り乱す俺を置いて、自分のバックから歯磨きセットを取り出して洗面台へと向かっていく。
マイペースすぎる……。俺はこんなにも焦っていると言うのに市川さんは平気なのか?
今夜は俺の忍耐力が試されると言うわけか……寝かせないってそういうこと?
その後、俺も市川さんを追って、歯磨きをした。
「ああ、寝る前にいいかしら」
「どうしたの?」
いよいよベッドインって言うと言い方いやらしいけど、寝る頃になって市川さんは俺を呼び止める。
やっぱり、一緒に寝るのやめようとか?
市川さんは少し挙動不審にして手を後ろに回していた。
「これ……」
そして市川さんはこちらを見ない様にして回していた手を前に差し出した。
「誕生日おめでとう」
「ぉ」
思わず変な声が漏れそうになる。
まさかの不意打ちとそして恥じらう目の前の彼女の姿に一気に顔に熱が灯っていく。
そして我に返り、差し出されたプレゼントを受け取った。
「あ、ありがとう。開けていい?」
「ええ」
丁寧なラッピングされたその箱は少し小さなもの。
初めて義妹を除く女性からもらったプレゼントに胸がいっぱいになる。
リボンをほどき、箱の中から現れたのは、紺色の男性用ハンカチだった。
「お、おお!! あ、りがとう……。嬉しい」
「私も男の人に選ぶの初めてだったから……気に入ってもらえるか少し不安だったの。よかった」
珍しく弱々しさを見せたいた市川さんは胸を撫で下ろす。
そんな姿を見て、心臓の高鳴りが恐ろしいくらいに大きくなる。
ヤバイ。かわいい。抱きしめたい。
不意にそんな衝動に駆られそうになる。
「さぁ、寝ましょ」
「……え?」
そんな俺の中の葛藤と裏腹に市川さんはあっさりとベッドへ向かっていく。
そして横になって掛け布団を開け、こちらに笑いかけた。
イヤイヤイヤイヤ、無理無理無理無理!!!
このタイミングでそれは無理!!!
「どうしたのかしら? 早く寝ましょう」
市川さんはこの日、最大級にいじわるな顔をした。
──や、やられた……。
それから俺は電気を消して、無心になり一緒のお布団へと入る。
市川さんに背を向けている。振り向けば顔と顔がぶつかりそうな距離だと思う。
それを分かっていて、市川さんもこちらに密着する。
後ろから柔らかい感触が背中越しに伝わる。
た、助けてぇ……。
え、円周率だ。円周率を数えよう。
心を無にするには、それしかない。
い、いざ!
3.14159265………………だ、ダメだ! ここまでしかわからない!!!
「緊張しているの?」
「ふぇい!?」
「ふふ、変な声出してどうしたのかしら」
「イ、イエ……」
緊張で頭がおかしくなりそうである。
片言で返事してしまう。
「んっ……」
「ふぉぉぉぉっぉおぉぉ!?」
やめて!! 色っぽい声出して密着しないで!!!
こ、これでさっき言っていた、信じてるからってどういうこと!?
残酷すぎない?
「ふふ」
楽しんでいる。絶対俺の反応を見て楽しんでいやがる……っ!!
こうなれば俺もどうにかやり返したい。
俺ばかりがからかわれるのは癪だ。
何か市川さんを慌てさせる方法はないか、そんなことを考えていると市川さんが後ろから語りかける。
「そういえば、婚約者。だったわね」
「え゛?」
心臓がドキリと跳ねた。
これはさっきまでの高鳴りとは別ものである。
「紗ですって。呼び捨てにして。仲良いのかしら?」
「い、いや……なんとなく、そうなっちゃって……」
「ふ〜ん? 小宮くんはなんとなくで彼女でもない子を呼び捨てにするのね」
「い、いや……」
あ、ま、待てよ。これはもしかして。呼び捨てにするチャンスじゃ──
「だからと言って私のことも呼び捨てにしないでね」
「……」
なかったようです。
な、なんで?
「理由が他の子にしているから、なんてのはごめんよ」
おっしゃる通りで……。
俺って情けない。
「他にもう隠し事はない?」
「か、隠し事?」
「ええ。あなた最近、いろんな子と仲良いみたいだから」
「っ!」
「心当たりがあるようね」
これまた図星。
そう言われればなぜか最近やたらと女子と話す機会が増えた気がする。
「か、隠し事って例えば?」
「さぁ? 私以外の女の子と遊ぶ約束とかしてないわよね」
「ああ、そんなこと…………っ」
そ、そういえば、今度の土曜日、遠野さんに誕生日を祝ってもらう約束をしていた気がする。友達も呼ぶって言ってたけど……これもアウト?
い、言うしかないか……。
「じ、実は──」
俺は遠野さんとの約束を正直に話すことした。
話を聞いて、また市川さんの声色が変わるのがわかった。
自業自得だけど、また怒られる……そう怯えていると、
「いいわよ」
意外なことにOKをもらってしまった。
「え? いいの?」
「別に構わないわ。ただ誕生日を祝ってもらうだけでしょう?」
「そ、そのつもりだけど」
「じゃあ、別に構わないわ。その代わりあった出来事を全部話してね」
「……肝に銘じます」
報告は大事!!
「でもやっぱり……お仕置きが必要みたいね」
「っ!?」
市川さんはそう言って、俺を体をひっぱり、向きを反転させた。
暗闇の中でも市川さんが目の前にいるというのがわかる。
少しでも顔を前にすれば市川さんに触れてしまう。
今の俺ってどんな顔をしているだろうか?
市川さんの息遣いが聞こえてくる。
「え──」
そして唇に柔らかいものが押し当てられ、触れ合った音が小さくなる。
「ん……ふふ。やり返そうと思っていたみたいだけれど、あなたにはまだ早いわ。おやすみなさい」
「…………」
そう言って、俺の腕中に市川さんが収まった。
「……………………………………………………………………」
結局、目が冴えて朝まで一睡もできなかったのは言うまでもない。
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