第10話:小生意気な義妹がいる実家

 実家を出て約一年。

 仕送りはしてもらってはいるが、実家には一度も帰っていない。


 普通の親子関係であれば、親不孝者と言われるかもしれない。

 だけど、俺と父親は普通の関係ではない。


「実家に帰るだけだっていうのに気が重い」


 そう嘆いたって現実は変わらないし、一歩踏み出せば実家の敷居を跨ぐことになる。


「何してるの? お兄ちゃん」

「あ……ただいま。楓」


 そうして、しばらく門の前を動けずにいると後ろから買い物帰りの妹に声をかけられたのだった。


 ◆


「帰ってきたってことは、お父さんとの約束守れなかったんだね」


 ソファに座って開口一番。楓は、猫のケミさんを撫でながら残念そうに笑って言った。


「それでいつ実家に戻ってくるの?」

「あのな。なんで彼女できなかった前提で話を進めるんだ。彼女できたから報告に帰ってきたという可能性はないのか」

「ないない。絶対ないよ! わざわざお兄ちゃんみたいな普通な人選んでくれる物好きいないもん」

「それが兄に向ける言葉か、おい」


 あはは、と楽しそうに笑う楓は俺のことを完全にバカにしている。

 だけど、これは決して俺のことを嫌っているからバカにしているのではなく、仲のいい兄妹のコミュニケーションみたいなものなのだ。


 バカにされることもあれば、いいことがあれば喜んでくれることもある。至って普通の兄妹仲だろう。

 まぁ、舐められていることには間違いないけど。


「まぁ、落ち込まないで。彼女はできなくても婚約者はできたじゃん。おめで──」

「だが、残念だったな」


 俺は、チッチッチと指を振って楓の言葉を遮る。


「何?」

「俺は今日、彼女ができたっていう報告をしに帰ってきたんだ」


 俺は得意げに笑った。

 散々バカにしてくれたが、これからは俺のターンだ。


「……お兄ちゃん。いくら彼女できなかったからってそんな妄言吐かなくても。無理しなくてもいいんだよ。辛いことがあったら私が慰めてあげるから……」


 おい、頭撫でるな。後、泣くな。


「いや、本当だから」

「はいはい。どうせ証拠もないんでしょ? そんなんでお父さん騙されないと思うけど」

「証拠? 証拠ならあるぞ?」

「え?」


 俺はスマホを取り出して操作して、彼女である市川さんとのツーショット写真を表示させて楓に見せつけた。


「……は!? え、何これ!? なんでお兄ちゃんが女の人とツーショットなんて撮ってんの!? ありえなくない!?」


 女の人とツーショットを撮るという基準で言えば、ありえるだろ。俺を何だと思ってんだ。

 そして楓は俺からスマホを奪い取ると穴が開くように画面を見つめる。


「……お兄ちゃん。合成はダメだって。いくらなんでもお兄ちゃんがこのレベルの美人と恋人になれるわけないもん。焦って損した」

「損ってなんだ。合成なわけあるか。ほら、これ見てみろ」


 俺はスマホを奪い返すと今度はラインのトーク画面を表示して、見せつける。やりとりを見れば、恋人であるとわかるはずだ。

 市川さんの送ってくる内容はちょっと変わっているけど、日常会話もあるので大丈夫だろう。


「ほ、ホントだ……ちゃんと恋人っぽい会話してる……」

「やっと信じたか」

「でも……でも……これってあれじゃないの? 罰ゲームとか。だってそうでもないとお兄ちゃんがこんな人と……」

「まだ言うか。正真正銘、ちゃんと告白されたし、それも否定してくれたって」

「そりゃ、本当に罰ゲームだったら馬鹿正直に言わないでしょ」

「そうかもしれないけど……」


 あの目は至って真剣だった。

 彼女の告白を思い出して、自然と顔が熱くなる。


「わかった。美人局だ! お兄ちゃん、後で怖い人が出てきてお金請求され……あだっ!!」

「しつこい!」


 そんなに言われたら不安になってくるだろ!!

 釣り合っていないのは重々承知してるっての。


「うぅ……それにしても……身内の恋人とのライン見せられるのってなんかキツい」

「そういうこと言うな」


 気持ちわかるけども。


「えっ……しかも、彼女にこんなの送らせてるの?」


 写真フォルダをスクロールした楓が何かを発見し、こちらに見せてきた。

 そこには今朝送られてきたブラ紐をチラ見せした写真が表示されていた。


「ちょ、それは!?」

「うわぁ、引く」


 なんでこうなるの!?


 ◆


 その後、楓は俺にドン引きしつつまた出かけてしまった。

 最後に意味深なことを言い残して。


『でも本当に恋人だとしたら……あーあ……』


「あれは一体どういうことだったんだ」


 意味深ワード禁止。ただでさえ、市川さんからも告白される時、意味深なこと言われてその意味が分かってないのに。


「こういうのってフラグだよな……」


 そう呟くと客間である座敷の襖が開いて一人の男が入ってきた。

 和服を着ているその男はテーブルを挟んで俺の前に座った。


「よく帰ってきたな。洋太」

「あんたにそんな風に呼ばれたくないね」

「実の父親に向かってそんな口の聞き方はないだろう」

「今更、父親面すんな」

「母さんが悲しむぞ?」

「ケンカ売ってんのか」


 もう御察しの通り、俺と父親の関係は絶望的に良くない。

 俺と親父の間には確執がある。


 その原因は、親父が母さんが亡くなってすぐに再婚をしたことにあった。

 ただの再婚なら、まだよかった。


 だけどあの時……。

 母さんが無くなった時のことが許せなくてそれ以来ずっと事務的なこと以外は口を聞いていない。


 そして実は、妹の楓と俺は血がつながっていない。楓は継母の連れ子。

 それでも楓が俺に懐いてくれているのは幸いだった。


 後は、俺に兄が一人いるが、早くに家を出ており、しばらくは会っていない。


 家族構成は置いておいて、俺が今日、ここにきた目的は一つだ。


「それで話というのは例の件だろう?」

「ああ。約束通り、彼女を作った」

「……ん?」


 親父は俺が言った言葉が予想外だったのか、驚きの表情を見せた。

 俺はそれを見て、笑いを堪える。


 この男に一泡吹かすことができたのが何より気持ちよかったのだ。

 俺は初めてこの男に勝つことができた。それが嬉しくて堪らない。


「あ、疑ってるな? 証拠ならあるぞ。ほら、これ」


 俺はそう言って、先ほどの楓と同じようにスマホで市川さんとのツーショットを画面に映し出そうとする。


「いや、そこまでは必要ない」

「あれ……?」


 だけど、興味ないと言わんばかりに手で払い除けた。


 ……くそ。当てが外れた。こいつの悔しそうな顔が見れると思ったのに……!


「はぁ……」


 だけどため息をつかせることには成功した。まぁ、上出来だろう。

 そう思っていた。


「洋太。いくら私が嫌いだからといってなぜ早く言わない?」

「は? 何言って──」


 頭を抱える仕草をする親父の言葉の意味が分からなかったが、その意味を瞬く間に俺は理解することになる。


 俺が言葉を発したと同時に隣のふすまがカシャンと音を立てて開いたのだ。

 そこに立っていたのは金糸のような美しい髪を靡かせた少女。


「へぇ? アンタが私の婚約者?」

「へ?」


 そしてその一言で思い知らされるのだった。



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