第30話:修羅場④
「失礼します。紗ちゃん、ここに──ッ!?」
その一言で我に返った。
保健室の入り口の方を見れば、口に手を当てて信じられないものを見た顔で驚く遠野さんの姿があった。
「と、遠野さん?」
「ご、ごめんなさい……私……私……っ!!」
顔面蒼白。泣きそうになっている遠野さんを見て、俺は逆に冷静になっていた。
今の俺の状況を振り返ってみよう。
保健室で転校してきたばかりの女子生徒(美人)と二人きり。
しかも、その女子生徒、紗を俺はベッドに押し倒していた。
それを見た相手は、俺が元々片想いをしていた相手の遠野さん。
見られてはいけない場面を見られてしまった。
最悪である。
人ってどうしようもなくなると冷静になるんだというのが今日の発見。
「遠野さん。入り口で固まってどうしたのかしら? 小宮くんは中に──……!!!!!」
顔面蒼白。入り口に現れた、表情の無くなった市川さんを見て、俺は震えていた。
今の俺の状況を整理してみよう。
保健室で女子生徒(美人)を押し倒しています。
それを見た相手は、俺の彼女である市川さん。しかもかなり嫉妬深いタイプ。
人ってどうしようもなくなると自然と体が震えるんだな。それも発見だった。
あまりの恐怖にいい歳こいてちびりそうになっている。
後、汗も止まらなくなるみたい。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四者四様の面持ちで保健室にかつてない空気が生まれた瞬間だった。
終わった。来世の小宮洋太にご期待ください⭐︎
「それで。二人はいつまでそうしているのかしら。今から何かをおっぱじめようとしているの? ええ、どうぞ。私の目の前で始めて頂戴。私は、保健体育の実技の観察をさせていただくわ。さぁ、やって頂戴」
「あわわわわわわ……」
「い、市川さん、これは……」
「さ、さっさと退きなさいよ!!」
「あぐっ!?」
市川さんに声をかけた途端、俺は目の前にいる紗から蹴り飛ばされ、ベッドから転げ落ちる。
「このケダモノ!!!」
「待って!! その言い方やめて!?」
「へぇ」
「嘘だ……小宮くんが……そんなこと……」
顔を真っ赤にした紗の発言により、より誤解が深まった気がする。
もう俺は入り口にいる二人の顔を見るのすら怖い。
しかし、黙っていてはこの状況を打破できない!
「い、市川さん。落ち着こう」
「何かしら、ケダモノくん。私は落ち着いているわよ」
ケダモノくん……。
虚無な瞳で俺にそう言い放った市川さん。それが俺の心を抉る。
「市川さんも遠野さんも誤解している。俺は、本当に何もしていない!!」
「これからするところだったのでしょう? 邪魔してごめんなさい」
「それも違うから!! ね、遠野さん。話を聞いてくれる?」
「ひぅ……」
ああ、ヤバイ。なんで泣きそうになってるの、遠野さん……。
泣きたいのは俺の方なんだけど……。
「まぁ、あなたの言い分もあるでしょう。とりあえず、早くしないと次の授業が始まるから私たちは行くわ。遠野さん、大丈夫? ゆっくり行きましょう」
遠野さんは市川さんの言葉にコクリと頷くと鼻を啜り、市川さんに肩を抱かれながら行ってしまった。
「……」
え、何? なんで市川さんあんな冷静だったの?
それが逆に怖い。
「どうすんだよ、これ」
俺は頭を抱える。
震えが止まらん。いや、とりあえず深呼吸だ。
「すぅー……はぁー……」
よし、落ち着け。やるべきことを頭で整理するんだ。
俺だって、伊達に今まで市川さんに謝ってない。その経験を生かすんだ!
俺一人だけでは、話を聞いてもらえないかもしれない。だからまずは、紗だ。彼女と協力して、二人にさっきのは事故だったことを説明してもらうんだ。
さっきは頭が真っ白になってたけど、今度こそ懇切丁寧に説明すれば……退路は開ける!!
ん、そう言えば、紗は? 俺を蹴飛ばしてから随分静かだった気がする。
一番ギャンギャン騒ぎそうなのに。どうした?
振り返るとベッドの上には未だに体を抱きしめながら顔を赤くしてうずくまっていた。
「なぁ」
「…………」
茫然自失。なんでこんなことなってんの?
俺は心配になり、もう一度声をかける。
「なぁってば」
「……はっ!? な、何よ!?」
「急に固まってどうしたんだよ? できればさっきの誤解解くの手伝って欲しいんだけど」
「は、はぁ!? なんで私がっ! あんなことしておいて、責任も取らないつもり!?」
「責任? そりゃ、押し倒したのは悪かったけど……事故だろ。そんなことより、どうやって誤解を解くか──」
「そんなことですって!? よくそんなことが言えるわね!!」
めちゃくちゃ顔を赤くしてキレてる。なぜ……。庇っただけなのに。
「ど、ど、どうしよう……子どもできてたら……私……まだ母親になんて……」
「いや、ちょっと待て」
子ども? え、さっきので? さっきので子どもできたと思っているのか、こいつは。アホなのか?
「子どもなんてできてるわけねぇだろ」
「はぁ!? なんでそんなことわかるのよ!!」
「なんでって……むしろ、なんでしてると思ってんだよ!?」
「か、体を重ねたじゃない!!」
「……は?」
いや、確かにね。重ねたけど。物理的に。
物理的意外な重ね方はないけど、そういうことじゃなくて。
後、言い方生々しいな。
「あのな。紗。さっきのくらいじゃ子どもなんてできないぞ」
「う、嘘よ! 私、教えてもらったんだもん!! 体重ねたら子供できるって!!」
おーい、誰かこいつに正しい性教育してやってくれ。一体誰に教えてもらったんだそれ!
そう言えば、引きこもりって言ってた? ずっと引きこもっていたらなら分からなくもないが……。こいつが引きこもってるのは想像しづらい。
どこから説明すればいいんだ、これ。
「と、ともかく。さっきのじゃ子供はできないから安心してくれ。後、絶対に他のやつにそういうこと言うなよ?」
「じゃ、じゃあどうやったらできるのよ?」
いや、そんなこと聞かないで?
なんでこいつこんなに純情なんだよ。
子どもじゃないんだからさ……。
どうやって、誤魔化す?
「……コウノトリ」
「は?」
「コウノトリが運んでくる……」
く、苦しい!
流石に子どもに使う言い訳が通用──
「それ聞いたことあるわ!!」
した。よかった。
もしかしてこいつって結構、馬鹿なんじゃないだろうか。
「……でもじゃあ、なんで体重ねるなんて言ったのかしら?」
……すんません、篠塚家の人。変なこと吹きこんでしまったかも知れん。
確かに間違ってなかったからな。
「ま、まぁ、その辺はよく分からないけどさ、いろいろあったんじゃないか?」
超適当に誤魔化した。
今だったらなんでも誤魔化せそうな気がする。
「……そうね。まぁ、あの人たちはたまになに考えてるか分からないことあるから」
……勝った。危ない。
それにしてもなんとか誤解が解けてよかった。
……というか、こんな誤解を解いてる場合じゃねぇ!!
「とりあえず、さっきの市川さんと遠野さんに誤解だったこと紗の口から説明してくれよ!」
「なんで私がそんなことしなくちゃいけないのよ」
「むしろなんで断るのか聞きたいわ! お前のせいでああなったんだろ!」
「私は、別に勘違いされたままでも問題ないもん。むしろその方が都合いいかもしれないわね。婚約者になるんだし」
思い出したかのようにニヤリと紗は笑う。
ぐっ。こいつの性格を考えれば確かにそうだったか。
「それに……」
「それに?」
「なんでもないわ。ちょっと確かめたいことがあるだけ。それじゃ、私は先行くわ。アンタも遅れないようにしなさいよ。あ、後それも片付けといてね」
そう言って、紗は足を痛めていた素振りすら見せず、すっと立ち上がり保健室を出て行った。
「……」
周りを見ればカーテンは落ちっぱなしで散らかっていた。
「あの、性悪がぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
俺の修羅場はまだ続きそうです。
◆
「困ったわね」
「うぅ……」
私、市川蒼は、保健室を後にして教室まで戻っているところだった。
横には同じクラスの遠野瞳さんがいる。
その遠野さん本人は涙を流している。
正直言って、なぜ泣いているのかはわからない。
さっきの場面を見たから?
確かに学校で同級生のあんな淫らな行為を目撃してしまったらショックは受けるかもしれない。
でもそれだけで泣く?
それほどまでにショックだったということかしら。
一方の私は……思い出しただけで腹が立ってきた。
どうせ、小宮くんのことだから足がもつれたとかで偶然あんなことになってしまったのだろうと想像がつく。
だから彼のことに怒っているわけではない。
問題はその相手だ。今日、私にやたらと突っかかてきたあの転校生。
私にちょっかいを出す程度なら見逃してやったものの、私の小宮くんに色目を使うなんて……どう料理してくれましょうか。
「ふふ……ふふふ」
後、やっぱり小宮くんもお仕置きしなくちゃ。
「ぐすん……」
それよりもまずは彼女ね。
隣で鼻を啜る遠野さんに私は声をかけることにした。
「大丈夫よ。きっとさっきのは事故だと思うから」
「……え?」
「カーテンが落ちていたでしょう。どうせ足を痛めた彼女をおんぶしている時にバランスでも崩してああなったのでしょう」
それであんな体勢になるなんて随分器用だと思うけれど。
「それに小宮くんに学校で白昼堂々、そういうことをするような度胸はないと思うわ。相手だって昨日転校してきたばかりの子よ。昨日の今日でそういった関係になるとは考え辛いわ」
「……た、確かに」
気がつけば、遠野さんは涙を止めていた。目は赤く腫れてはいるけれど、もう大丈夫でしょう。
「そ、そうだよね! うん!!」
急に元気になったわね。まぁ、泣き止んでくれてよかったわ。
「よかったぁ。私てっきり小宮くんが……」
だけど、なにかしら。このモヤモヤする感じは。
遠野さんが元気になったというのに胸の中には蟠りがあった。
気になる。一体これが何なのか。
心臓がいつもより、鼓動が早い気がする。
「遠野さん。聞いてもいいかしら」
「え、何、市川さん」
「遠野さんは、どうして泣いていたのかしら?」
「え、えっと……」
遠野さんは言葉に詰まり、顔をリンゴのように赤らめた。
「じ、実は私……小宮くんのこと……!」
「……!!」
ああ、もう。どうしてよ。
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