第31話:女神様との約束

 教室へ戻るとそこにはいつもの様子の遠野さんがいた。

 目元は少し赤くはなっているが、すっかり涙も引き、元気だった。

 泣いてお腹が空いたのか、パンをかじっている。


 ……一体何があった?


「と、遠野さん?」

「あ、小宮くん……」


 パンを頬張っていたところを見られたのが恥ずかしかったのか、遠野さんは俺に気がつくとパンを慌てて口元から下ろした。


 可愛い。パンカスが口元についている。

 並の女子ならあざといで終わっていたが、遠野さんがやると可愛さしかない。


「えっとさっきの件だけど……」

「ご、ごめんね! さっきは取り乱しちゃって……」

「い、いや、こちらこそごめん。変なところ見せて」


 変なってなんだ、と心の中で自分でツッコミを入れつつ、遠野さんの様子を窺う。

 泣いていたにしてはえらく上機嫌だ。

 よし、今なら言える。チャンスだ。


「さっきのは、誤解なんだ。紗が足を怪我して動けないって言うからおんぶしていこうと思ったらバランス崩して……」

「……! やっぱりそうだったんだね。すごい! 市川さんの言った通り!」

「……え?」


 それってどういうこと? 市川さんはあの状況を見抜いていた?


「い、市川さんはなんて?」

「えっと……『小宮くんのことだから学校でそんなことする度胸はないでしょう』だったかな」

「ははは……」


 これは信頼されていると言っていいのだろうか。

 悲しき信頼関係。


「まぁ、誤解が解けたんなら何より」

「えへへ。だから安心したらお腹空いちゃって」


 遠野さんはジャムパンの続きを食べ始める。

 よっぽどお腹が空いていたのだろう。


「ほんとあの程度で泣くとは瞳もまだまだね」

「うぅ……紗ちゃん、勘違いしてごめんね」

「別に私に謝らなくてもいいわ」


 そして誤解解くのを手伝いもしなかった紗がここぞとばかりに話に入ってきた。

 さっきまで子どもができたとか騒いでたくせに調子のいい奴である。


 ……あれ? そう言えば、なんで泣いてたんだろうか。


 まぁ、誤解も解けたことだし、いいか。


 ◆


 お昼休み。

 いつも通り、俺は約束場所の階段へと赴く。


 遠野さんの話によれば、市川さんはあの件が誤解であったことに気がついていたようだ。

 だからといっていつものように接するということはできない。

 まずは先手必勝で謝ることが先決である。


 ……あれ? 俺、付き合ってから謝ってばかりじゃない?

 しかも決まってこの階段。


 自分の不甲斐なさに呆れながらも階段を上り切るとそこにはいつも通り、市川さんが先に鎮座していた。


 ほっとした。もしかしたらまた、怒って来てくれていないかと思った。

 もう、怒ってないかな?


「あら、ケダモノくん。遅かったわね」


 訂正。まだ怒ってるようです。


「い、市川さん」

「謝らなくていいわよ。どうせあなたのことだろうから、偶然あんな風になっただけでしょう」

「……っ」


 これはもしかして突き放されている?

 もしかして俺はもう、呆れられた……?


 そんなが胸を過ぎる。


「そんなところで突っ立ってないで座ったらどう?」

「あ、ああ……」


 促されるままに俺はいつもの定位置へと座る。

 市川さんの表情を盗み見るとそこにはいつもの穏やかな表情があった。


「何安心した顔をしているの? 彼女じゃない女を押し倒しておいて」

「ごほっ!?」


 むせた。やっぱり気にしてるよな……。


「ご、ごめん」

「……別に構わないわ。と言いたいところだけれど」

「っ!?」


 急に抱きつかれ、体が硬直する。

 いい匂いがする。顔が熱い……。


「少しだけこうさせて」

「……」


 やっぱり傷つけてしまったんだろう。

 昨日の今日で彼女の精神はやや不安定になっている気がする。


 そうさせてしまったのは他でもない、俺。

 市川さんへの申し訳なさで頭が一杯になる。

 少しでも市川さんを安心させられれば。


 そうしてしばらくの間、お互い無言のまま市川さんの抱擁を受け続けていた。



「50点ね」

「……え?」


 そして終わりは唐突だった。点数をつけられたかと思うと市川さんはケロッとした顔で抱擁を解く。


「彼女が不安な気持ちになって抱きついてきたのなら、そこは抱きしめ返して、頭を撫でるのが礼儀というものじゃないかしら」


 ダメ出しだった。


「あ、もういいわよ。小宮くん成分を十分に吸収できたから」

「せ、成分って……」


 えらく可愛い表現だな。

 だけどやり直しのチャンスまで与えてくれないらしい。


「さぁ、お昼にしましょう」


 そう言って、市川さんはお弁当箱を開ける。


 きっとこれでさっきの件は、流してくれたのだろう。

 ……だけどこれじゃだめな気がした。

 いつまでも市川さんの許しを乞うだけじゃ……!


「い、市川さん! お詫びさせてよ!」

「お詫び?」


 ミートボールを口に含んだままキョトンとした顔をする市川さん。

 可愛い。……じゃなくて。


「そ、そう! 不安にさせたお詫び」

「……何をしてくれるかしら」

「なんでも! 市川さんがして欲しいことならなんでもいいよ!」

「なんでも……そうね」


 口に入っているものを呑み込んでから、何がいいかしら、と呟いてまたしばらく考えた格好をする。


「じゃあ──」


 さて、何がくる? また、あーんか? それとも……


「今日、あなたの家に泊まりに行ってもいい?」

「……え? ええ!?」


 そ、それってつまりそういうこと!?

 え、ちょっと待って! まだ付き合って浅いし、心の準備も何も……。


 今までの発言からついそういうことを考えてしまった。


「今日は、あなたと一緒に居たいみたい」


 だけど切なさそうに言う市川さんを見て、一気に浮かれた気持ちが静まり返る。

 居たいみたいって……なんだか他人事みたいに言う市川さんに違和感を覚えた。


「……ダメかしら?」


 ダメじゃない。彼女に一緒に居たいと言われて理由もなく、断れるほど俺は図太くはない。


 先ほど、抱きしめた時、いつもの市川さんと違うように感じた。今もそうだ。

 

「安心して。あなたが想像しているようなこと、今日は何もしないから」

「…………」

「今日は、ただ一緒に居たいだけ」

「分かった」

「ふふ、決まりね」


 俺が頷くとようやく市川さんに笑顔が戻った気がした。


「(本当は元々泊まるつもりだったのだけれど、これはこれで)」

「え?」


小さい声でボソリと市川さんが呟く。

何を言ったのだろうか。


「いいえ、なんでもないわ。それに今日、あなたの誕生日でしょう?」

「……そうだった」


 忘れていた。お祝いの言葉は朝かけてもらったがそれ以上のことは何もなかったから、もう普通の一日として過ごしていた。


「本当は昨日からが良かったのだけれど」


 市川さんは一呼吸おき、


「好きな人の誕生日は、ずっと一緒に居たいの」

「〜〜〜っっ!!」


 ストレートに想いをぶつけられて顔を赤くならない人間なんているのだろうか。

 少なくとも俺は顔に出さないなんて器用な芸当をできる人間ではなかった。


「顔真っ赤ね」

「……市川さんが恥ずかしいことばかり言うから」


 最近、どんどん彼女のペースに引き込まれていく気がする。

 でも元気になってくれてよかった。


「そういえば、さっきのは何を想像してたのかしら? いやらしいこと?」

「…………」


 元気すぎるというのも考えものだった。


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