第29話:元婚約者は感謝する

「最悪……」


 私、篠塚紗は、保健室に向かっていた。

 体育の五〇メートル走如きでムキになりすぎた。


 勝負を挑んでおいて二回とも負けることなんて思ってもいなかった。

 それに二回目はスタートが良かっただけに負けてしまったのが悔しくて仕方なかった。


 あの時。ゴール直前。


横に並ばされそうになった私は、必死に振り切ろうとして足をもつれさせ、派手に転倒した。

そのせいで横にいた二人も巻き添え。

二人とも転びはしなかったものの、減速を余儀なくされた。


その間に、無我夢中で走っていた瞳がゴール。

彼女が勝負に勝った瞬間だった。


結果、私だけ記録なし。

みんなが注目する中で悪目立ちしてしまったのだ。


「あー、もう私のバカ!! なんであんなところで足をからませるの!? ありえないでしょ!!!」


 瞳には失礼だが、市川蒼以外は眼中になかった。しかし、よくよく聞けば、あのイケメン女子も陸上部だったらしい。

 だとしても負けは負け。

 今日一日だけで合わせて四度も敗北をしたことになる。

 一回目は、確かに油断したというのもあったが、今回は言い訳しない。


 これも含めて、自分の実力。私の完敗だった。


「でもあの女の複雑そうな顔を見れただけマシね」


 結局、市川蒼とイケメン女子は体勢を崩しながらも走り切った。

 私が転んだことにより勝負が台無しになってしまい、本人たちも納得はできていない顔だった。


 そしてこちらに心配の声をかけにきたが手を払い除けてやった。その時の間抜けな顔を思い出しても笑える。

 変な形で一矢報いる形となってしまったが、まぁいいだろう。


「というか、保健室どこよ?」


 一人で出てきたはいいものの昨日転校してきたはずの私に分かるはずもない。


「こんなことなら瞳にお願いすればよかった」


 付き添うと言ってくれた瞳であったが、握力測定も控えていたので私は一人で行くと言って出てきたのだ。

 何よりこの私が転けて、さらには負けた後の無様な姿を誰かに見られたくなかったというのもある。

 醜態はあの場だけで十分だ。


「いたた……」

「大丈夫か?」


 廊下を足を引きずりながら彷徨っていると後ろから声をかけてきたのは、あいつだった。


「……何よ、キモい」

「おまっ……人が心配して来てやったのに第一声がそれかよ」

「来てやったって恩着せがましすぎでしょ。誰も頼んでないんだけど」


 あいつ──洋太は、私の言葉に「来なけりゃよかった」と悪態をついた。


「保健室」

「何?」

「分からないだろ? それに今の時間、先生いないらしいから。保健委員だし、俺」

「女子は?」

「俺に投げられた」

「……はぁ、そういうこと。じゃあ、案内するのはアンタの仕事じゃん。早く案内してよね」

「お前はもう少し、丁寧に頼めんのか」


 他の知らない奴が来るよりはマシかと思い、私は洋太に命令して保健室に向かった。


 保健室に入り、適当な椅子に座らされる。

 そして手慣れた手つきで洋太は、棚から薬品やガーゼを取り出して消毒する準備を始めた。


「ほら、脚出せよ」

「いやらしい。変態」

「ちげぇわ! 消毒できねぇだろが!」


 私はジャージをたくし上げて、血が出ている脚を仕方なく見せた。


「うわ、痛そう。消毒しみそうだな」

「痛くしたら怒るから」

「無茶言うな」

「いいからさっさとしなさい」


 洋太は、軽く舌打ちをしてから消毒液を染み込ませたガーゼをピンセットを使って私の傷口に近づける。


「しみるぞ」

「!」


 私は思わず目を閉じ、顔を逸らす。

 この行為にどれほどの意味があるのかわからないけど、直接は見れない。


「〜〜〜っっ!!?」


 そして予想通り、傷口に容赦のない痛みが襲う。


「痛い痛い痛い!!!」

「いた!? ちょ、蹴るな! 暴れんな! 我慢しろ!!」

「ムリムリムリムリ!!!」

「このっ!!」

「ぎゃああああああああああああ!!!!!」


 乙女の悲鳴とは思えぬ、声を出して精一杯私は抵抗した。



「はぁ……はぁ……はぁ……」

「……何か言うことは?」

「痛かった……許さない」

「お前な……」


 無事私の消毒が終わったが私が必死の抵抗をしたためか、洋太は満身創痍だった。

 蹴り飛ばされて棚に頭をぶつけたり、ピンセットが刺さったりしてボロボロだった。


「しょうがないじゃない。痛すぎてそれどころじゃなかったんだってば」

「それにしたって言うことあるだろ」

「わかったわよ。……ありがと。後ごめん」


 自分がお礼を言うなんて変な気分だった。謝罪も。

 保健室まできて応急処置をしてくれたことが嬉しかったのかも知れない。


「……!」

 

 そんなわけない! ほんの気まぐれだ。


「何よ、その顔」

「いや、お礼言えるんだなって」

「……別にそれくらい言えるわよ」

「可愛くねぇ反応」

「うっさい」

「いたっ!?」


 私は洋太の頭を軽く叩いた。


 ああもう。せっかく私がお礼言ってあげたのに、一々腹立つわね!

 でも相手を気にせず、好き勝手言えるのも悪くはない。


「ふふっ」

「何笑ってんだよ。もういいわ。俺は帰るからな」


 呆れたように洋太はそう言い残して教室を出ようとする。


「待ちなさい!!」


 しかし、私はそれをまた呼び止める。


「んだよ」

「足痛いからおぶって」

「アホか。自分で歩いて帰れ」

「無理よ。足痛いもん。それとも何? 貧弱なアンタでは女一人背負うことできないの?」

「チッ。やってやらぁ!」


 私がバカにするようにそう言うと洋太はため息をついて仕方なさそうに私の元までやってくる。

 そして背中を向けた手を広げた。


 ふふん、作戦通りね。やっぱり単純で助かったわ。


「早くしろ」

「変なところ触ったらぶん殴るから」

「いい加減怒るぞ」


 そう言えば男子におぶられるのって初めてかも?

 ちょっと恥ずかしい気もするけど、教室にはまだ誰も戻ってないだろうし大丈夫でしょ。


 軽口を叩いたのち、私はようやく洋太の背中に体を預ける。

「ふっ」という掛け声とともに洋太はその場に立ち上がった。


 ふーん? 意外に力あるのね。

 でも若干腕がプルプルしてない? これだとそれだと私が重いみたいじゃない!!


「ほら、もうちょっと頑張りなさいよ!」

「うるせぇ! 意外にも重──痛っ!?」

「失礼ね!!! 私は重くないわよ」


 つい反射的に私は、洋太の頭を叩いた。しかし、それがよくなかった。


「ちょっ、手を離すなって!?」

「キャッ!」


 まだ保健室も出ていないところで、洋太はバランスを崩してしまい、私ごとそのまま倒れる。


 カーテンが引っ張られる音がする。

 咄嗟に目を閉じて衝撃に供えようとするとも、待っていたのはボフッという柔らかな感触だった。


「ん……」

「いつつ……」


 ゆっくりと目を開けると眼前にはあいつの顔が。


「ッ!?」

「ぁ……」


 近っ!? な、なんで!?


「失礼します」


 そしてそのタイミングでガラガラと保健室の扉の開く音がしたのだった。





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