第23話:親友の苦悩

 私、崎野静は、今日のあの出来事について後悔していた。

 今日のあの出来事……私にとって大切な親友である、蒼が教室で怒りを露わにしたのだ。


 あんな姿を見たのは、彼女と友達になってから初めてのことだった。

 何が彼女の逆鱗に触れてしまったのか。

 考えれば、すぐにその理由は分かった。


 小宮洋太。

 クラスでも目立たない存在だった彼が、蒼と一緒に登校した。

 それだけで周りが騒然となるのは当然のことだった。


 私は、彼が蒼との関係を勘違いしないように、または今後そういう状況を作りにくいようにしようとした。


 蒼は、かなりモテる。その見た目だけで良からぬ輩が寄ってくることはこれまでもあった。

 彼女が過去にそういった勘違いした男性に苦労したということは聞いたことがある。

 それに彼女の好きだったと聞いていたあの人は、明らかに小宮くんのような影の薄いタイプとは違っていた。

 どちらかといえば、神宮寺連くんのようなハイスペックな人だったはずだ。


 そういったことから、蒼も彼に好意があるのだと思っていた。

 周りの人たちが言うように連くんとお似合いだと、付き合えばいいのにと思っていた。


 だけど、それは思い違いだった?

 分からないけど、確かに彼女は小宮くんへの向けられた悪意に怒りを見せた。


 彼女が怒鳴り声を上げて出ていったあの時。


 私は自身の過ちに初めて気がついた。

 そう、私はやりすぎてしまったのだ。


 クラスメイトが、引いては翔があそこまで過剰に攻撃的な反応するとまで思っていなかった。


 私のしたことは蒼にとって何一つ、彼女のためになっていなかったのだ。

 失敗した。


 小宮くんまで教室を出ていった後、再び彼に悪意が向きそうになっていた翔を何とか宥めた。

 今すべきは、蒼を心配することだと。


 私にできることはそれくらいだった。


 そして午後からようやく教室に戻ってきた蒼は、いつものように戻っていた。

 だけど私は顔を合わせることも声をかけることもできなかった。



「なんて声をかけよう……い、いや、まず小宮くんに話を聞いてみる? じゃない……まず謝らないと……」


 数学の授業中、聞こえてくる公式を聞き流し、何をすべきか整理する。


 あの時、出ていった小宮くんは間違いなく蒼を探しに行ったのだろう。

 教室に別々に帰ってきたが、きっと二人の間に何かがあったと直感した。


「どうやって……そ、そうだ。ラインだ。ライン……ライン……」


 私はスマホを取り出して、文字を打とうとする。

 しかし、中々指先は動いてくれない。


『話があるんだけど』


「なんか違う……」


 私は一度、打った文字を消していく。


『ごめん』


「こ、これもいきなり過ぎだし、意味不明だよね」


 ええと……。


「……きの」


『今日のことについて、』


「ああ、これも違う! やっぱ、ラインじゃなくて直接の方が」

「おい、崎野!!」

「え!?」

「出せ。触ってたスマホ」

「え? あ、いやぁ……」


 私は頭を掻いて誤魔化そうとするが時既に遅し。

 先生は怒りの形相でこちらに近づいてきて、手を差し出した。


 先生にバレてしまった。私が授業中にスマホを触っていたことを。


 私は諦めて渋々その手のひらに自分のスマホを置いた。


「彼氏にラインもいいけど、ちゃんと先生の授業も聞いてくれないと泣くからな」


 周りからは笑いが起こる。

 私は顔を真っ赤にしてその場に座った。


「崎野は授業終わったらすぐに職員室来るように」


 先生の容赦ない宣告にうなだれた。



 結局、授業が終わってからも蒼に話しかけられずにいた。

 気まずさが勝ってしまい、どうしても踏み出せなかった。


 だから、小宮くんからでも……。

 逃げかもしれないけど、私にはその選択しか取れなかった。


 授業が終わってすぐ。

 私はダッシュで職員室へ向かう。


 このままでは小宮くんに謝るタイミングも逃してしまう。

 早めに行ってすぐに返してもらえば、間に合うかもしれない!


 だけどその考えは甘かった。





「失礼しました」


 先生から解放された私は、安堵のため息をつく。


 …………結構、ガチ目の説教をされた。

 教室で没収した時は、そうでもなかったのに職員室だとやたらと先生は怒りが強くなる気がする。


 教室に戻ったときには、もう誰もいなかった。

 時間が経ちすぎていたのだ。


「ああ……このままじゃ、蒼に嫌われてしまう……」


 出来れば、小宮くんも蒼も直接声をかけたかった。だけど、そのタイミングを逃してしまった。


 ラインで連絡を……あ、でも無視されたらどうしよう……。

 でも明日に先送りしたくない……。


「うぅ……どうしよ……」


 涙が溢れてくる。

 一番の親友に嫌われてしまったかもしれない。その恐怖に胸が痛くなる。

 自業自得と言われてしまえば、それだけだけど……それでも。


「ぐす……ぐす……」

「あー、崎野さん?」


 そんな私に誰かが声をかけた。


 ◆


 市川さんを帰りに送ろうとしたら断られた。

 今日は、一人で帰りたいそうだ。


 色々思うところがあったのだろうと察して、俺はそれに頷いた。


 俺って察せる男!!

 冗談です。


 教室に戻ったとき、また痛い視線が向けられるかと思ったがそうでもなかった。

 長野は相変わらずだったけど。まぁ、睨むだけで何もしてこないのは幸いだった。

 隣の遠野さんは心配してくれた。

 紗からはなぜかディスられた。


 どうやらクラスメイトを崎野さんが宥めてくれたらしい。

 意外だった。

 というか、元はといえば崎野さんのせいだとも思わなくもない。

 まぁ、明らかに一部の男子(主に長野)が暴走しかけていたのは事実ではあるけど。


 俺、あいつに恨まれるようなこと何かしたっけ?


 そんなこんなで俺は自宅に帰って来てから気がつく。

 スマホを忘れてしまったことに。


 めんどくさいながらも現代社会において、スマホなしで生活をすると言うのは耐えきれない所業である。

 思い至った俺は、仕方なく学校まで取りに戻ることにしたのだった。


 すると何だろうか。

 教室から啜り泣きのようなものが聞こえてくるではないか。


 怖いんですけど。時刻は午後六時前。

 黄昏時ってやつ? この世ならざるものが出ると言われる時間帯に誰もいない教室から泣き声。


 え、怖い。


 それでも俺は深呼吸をしてから教室の扉を開ける。

 そして中にいたのは──


「崎野さん?」


 市川さんの親友である彼女だった。


 俺が声をかけたことにより、崎野さんは顔を上げる。

 その顔は涙で濡れており、目が赤くなっていた。


「え、ちょ、み、見ないで!!」

「ごごご、ごめんなさい!!」


 まるで着替えの現場でも覗いてしまったかのような背徳感。

 いや、泣いてるところ見ただけだから。


 崎野さんは必死で涙を拭う。

 しかし、涙の跡はくっきりと残っていた。


「どうしたの?」

「いや、スマホ忘れて……」


 何事もなかったかのように取り繕ってはいるが、それは俺のセリフである。

 聞くか聞かないか迷ったが、ここまで見ておいて聞かないのも不自然すぎると思い、結局聞くことにした。


「崎野さんこそどうしたの?」

「わ、私は……」


 崎野さんは言葉に詰まり、俯く。元気な彼女が見せる珍しい姿。


 なんとなくは予想は付いている。きっと市川さんのことだろう。

 彼女が教室を出て行って戻ってきてから二人が話しているところは見ていない。

 きっと市川さんも崎野さんのことを察していたに違いない。


「市川さんのこと?」

「……っ。それは……そう……」


 やはり正解。崎野さんは市川さんが怒った根本的な原因が自分のせいだと思っているようだ。まさしくその通りではあるけど。


「……意外と鋭いんだね」

「意外は余計だ」

「ご、ごめ……」


 あ、やめて。また涙溜めないで?

 俺が泣かせたみたいになってる!!


「私……ひぅ……小宮くんにも……謝らないといけないって思ってて」


 鼻水を啜りながら、崎野さんは必死に言葉を絞り出す。


 俺に謝る? 何を?


「ご、ご、ごめんなさい! 私のせいで嫌な思い……させてしまって」


 崎野さんは涙に濡れた顔で頭を下げた。


 市川さんをきっと良からぬ輩(俺)から守りたかったのだろう。

 分かるよ。俺みたいな何の変哲もない奴って怪しいから。

 何か犯罪犯して、インタビューされたら、大体俺みたいな生徒像を思い浮かべられるから。

『いや〜、あんなことするような子には見えなかったんですけどねぇ』

『影は薄かったですね』

『特に悪いこともしてなかったと思います』

 はい、こんな感じ。誰が犯罪者だ、コラ。


 だけど彼女のその独善的な思考はとても危険だと思う。

 市川さんのためだと思い行動したのかもしれけど、それは市川さんにとって本当に必要なことだったのか。


 市川さんと崎野さんの関係性を深くまで知っているわけではないし、結果論になるけど、今回の行動は軽率だった。そう思わざるを得ない。俺も被害を被ったからね。


 もしかしたら、今回のことで二人の仲に亀裂が入ってしまったかもしれない。

 だけど、俺はそのままで居て欲しくないと思った。

 何より、市川さんが崎野さんのことを嬉しそうに話すのを知っているから。


「許さない」

「……だ、だよね……ごめん……」

「だから、崎野さんには罰を与えようと思う」

「ば、罰……?」


 えっちなやつじゃないぞ?


「今から市川さんに会いに行こう!」

「…………え?」


 涙でくしゃくしゃになった崎野さんの顔は化粧が取れてちょっと間抜けだった。


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