第57話

 ゴールデンウィークが明けて、登校日。

 とは言っても今年のゴールデンウィークは、間の三日が休みだったので、今日行ったらまた明日は土曜日だ。


 結局、俺はこの連休中も遠野さんと遊ぶことはなかった。

 今のこの複雑な感情を抱えたまま遊ぶというのはなんとなく違う気がしたのだ。


 今一度電話で断った時の遠野さんの悲痛な声と言ったら……胸が痛くなった。



 学校に着いてから下駄箱の前で靴を履き替える。

 考え事をしていたせいか、靴を脱いでから顔を上げるまで他の生徒がいることに気が付かなかった。


「「あっ……」」


 顔を上げてからすぐに視線と視線がぶつかる。

 向こうも俺がすぐ後ろにいたことを気が付かなかったようで驚きの声を発した。

 そこにいたのは、俺の元恋人である市川さんだった。


「お、おはよう」

「…………」


 市川さんは俺の挨拶をフル無視すると慌てて何かを隠すようにして行こうとする。


 ……やっぱりおかしいよな。

 市川さんらしくない。そりゃ元彼に優しくする道理はないのかもしれないけど。

 それにしたって彼女らしくない。


 時間が経っていくらか冷静になれたからなのか、兄貴たちから市川さんの過去を聞いたからなのか。

 振られた時は頭が真っ白になって気が付かなかった違和感を今ははっきりと感じ取ることができた。


 兄貴たちから聞いた市川さんの話は寝耳に水で俺にとってはショッキングなものだった。


 ***


「い、虐められてた?」

「そう。蒼ちゃんはそう言ってたね」

「うん」


 兄貴の話によれば、市川さんとは深夜の公園で一人ポツンといるところに出会ったらしい。

 流石に女子中学生がそんな時間に一人で、尋常でない様子でいるものだから堪らず声を掛けたとのことだ。


 そこで市川さんは、兄貴に事情を話した。

 市川さんによると学校で虐められていて何もかもが辛くなって無我夢中で飛び出してきたのだという。そして気が付けば隣町の知らない公園に着いていたそうだ。


 そんな彼女を保護し、家まで送り届けた兄貴。

 そこから市川さんは、兄貴や彩さんと関わるようになっていった。


「そう。それで彩や他の大学の友達に頼んでさ。蒼ちゃんを連れ出して元気付けてたんだ」

「蒼ちゃん、最初は、かなり警戒してたけどね。酷いいじめにあったんだから仕方ないと思う。それでもどうにかしてあげたいって何度も蒼ちゃんに会いに行ってようやく心開いてくれたんだっけ」

「確か親御さんが海外出張とかで家にほとんどいないって言ってたもんな。きっと一人で心細かったのもあったんだと思う」


 俺はそんな話を聞いて、開いた口が塞がらなかった。

 まさかあの完璧女子である市川さんにそんな過去があったことが衝撃的だった。

 それに兄貴と知り合いだったことも。


 そして何より、俺自身そんなことを全く知らずに一緒にいたことに酷く腹が立った。


「でも蒼ちゃん。結局、半年くらいで私たちの前に姿を現さなくなったんだよね」

「え?」

「ああ、かなり心配したけど……」

「それで兄貴たちはどうしたんだ?」

「何もしなかった」

「な、なんで!?」


 俺はまた市川さんに何か辛いことがあったんじゃないかと思い、兄貴に詰め寄った。それが過去のことであり、今更考えても仕方のないことなのかもしれないが、無意識だった。


「洋太くん!」

「落ち着けって。それは……まぁ、あれだな。いなくなる前に俺宛てにちゃんとメッセージくれてたんだ」

「メッセージ?」

「そう。お礼と決意表明みたいなものかな。それを見て、俺たちもこれ以上のお節介をかくのをやめたんだ」

「……そう」


 それを聞いて安堵した俺は、先ほどまで一気に膨れ上がっていた熱量が急激に冷めていくのがわかった。


「まぁ、でも安心したよ。まさか蒼ちゃんが洋太の彼女になってるとは思わなかったけど」

「うんうん! びっくりした」


 ……言えない。つい最近、振られたなんて。


「ちゃんと守ってやれよ?」

「うん! いい子だから絶対だよ?」

「は、はは……」


 ……言えない。期待に満ちた眼差しを向けてくる兄夫婦に本当のことなんて。


「それにしてもいい笑顔だな」

「…………!」


 写真を見て、兄貴がそう言った。

 俺もそう思った。


 ***


 兄貴からそう言われて、今の市川さんは何かかなり無理をしているように思った。


 過去にいじめられていたという話を関係があるのだろうか。


 彼女に何かあるならば。

 振られた身ではあるけれど何かできることをしてあげたいと思うのは、やっぱりお節介だろうか。


 俺も兄貴のようにやれるだろうか。

 気になった俺は、後ろからもう一度市川さんに声をかける。


「い、市川しゃん!」

「……!」


 噛んだ。

 あ、恥ずかしい。やっぱり普通に素通りしてほしいかも。


 なんて俺の心の葛藤とは裏腹に市川さんはその場に立ち止まる。


 ……まぁ、結果オーライ。

 普通に呼んでも無視されてたかもだし?


 立ち止まった市川さんは振り返らない。

 俺はそんな市川さんに近づいてもう一度、声をかける。


「市川さん。俺に何か隠してない?」

「──ッ。いいえ。あなたに隠すようなことは何もないわ」


 やや遅れての反応だった。

 それは俺の質問を肯定しているようなものだった。


「確かに、俺は何の取り柄もないし、頼りないかもしれない。……だけど俺は市川さんが困ってるなら助けたい。力になりたいんだ」


 市川さんの過去を知って、俺はますますそう思ったのだ。

 兄貴でも……誰の手でもない、俺自身の力で。困っているなら、市川さんを助けたい。


 市川さんは、俺の言葉にわずかばかりに肩を震わせた気がした。

 俺の言葉が効いてくれたのだろうか。

 今からでも──


「……ごめんなさい。小宮くん。本当になんでもないの。これ以上、私に関わらないで」

「っ」

「中途半端なお節介は迷惑よ」


 またもや、去りゆく市川さんの背中を見つめたまま、俺はその場から動くことができなかった。


 ◆


 昼休みになって、俺はいつもの場所で一人寂しく昼ごはんを食べる。

 例によって、ナカには『またか!?』なんて言われたが気にせずに出てきた。


 なんとなくだが、教室の女子たちの空気がギスギスしているようにも感じる。


 ゆっくりと階段に腰を下ろして、パンの袋を取り出す。

 開けてからそれを口に頬張った。


「迷惑って……くそ……」


 意気込んだものの見事撃沈。

 悩みがあるのは間違い無いのだが、俺如きに心配などされたくない。そういうことだろうか。


 だけど、このまま放っておくという選択肢は俺にの中にはない。


「ないんだけど……はぁ……」


 結構、拒絶されると心にくるものがある。

 本当に俺が何かをすることで彼女のためになるのだろうか。


 彼女は、それを望んでいない?


「わかんねぇ。こういう時、兄貴ならどうするんだ?」


 行動力の塊たる兄貴のことを思い浮かべる。

 市川さんが苦しんでいた中学時代を助けた兄貴。


「決まってるな。何回でも話を聞きに行くに決まってる」


 だけどやっぱりそこが俺と兄貴の違うところ。現に俺はたった一度の拒絶でメンタルがやられている。

 もう一回、行ったところで次こそ本気で拒絶されてしまえば、俺もどうすればいいかわからなくなるかもしれない。


「どうっすかな……」


 つくづく俺は兄貴とは違うようだ。


「こ、小宮くん!」


 そんな頭を抱えた俺を呼ぶ、声が聞こえた。



 ────


 ひぃ。投稿遅くなり、すみません!

 なんか蒼の過去どこまで書こうかと考えていたら時間かかってしまいました。

 自分で考えててなんですけど、過去重くしすぎました。


 重くしすぎきて練り直しを繰り返してしまったのです。

 すみませぬ。


 後の流れは決まってますが、最後のちょっとした部分だけまだ考え中です。

 どうなるか、最後までお楽しみくださいませ。

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