第56話

 実家に帰ると楓が玄関で神妙な面持ちで待ち構えていた。

 乗る電車の時間を伝えていたので、逆算して待っていたのだろうが、何かあったのだろうか。


「おかえり。……例のものは?」


 それを聞いて、そんな顔をしている理由がすぐにわかった。


「はいはい、これな」


 俺は袋に入った大量のアイスやお菓子を妹である、楓に渡す。

 楓はそれを受け取ると一転して、顔が綻ぶ。現金な奴。


 ……だけどそれにしてはやたらニヤニヤしている気がしなくもない。

 一体何を企んでる?


「なんだ? なんでそんなにニヤついてるんだ?」

「いっひひひ、それは秘密!」


 なんだか嫌な予感がした。

 楓は、そのまま体を翻すと玄関のドアをスライドさせて大声で家の中に叫んだ。


「お兄ちゃん帰ってきたよー!」


 一々親父に知らせなくてもいいのに。


 そんなことを考えながら、俺も続いて家の中に入る。


「……ん?」


 しかし、家に上がろうとした時、見慣れない革靴と上品なヒールがきちんと並べられていることに気が付いた。


「誰かお客さんでもきてるのか?」


 だとしたら客人の前で楓が俺が帰ったことを知らせるのに叫んだなんて恥ずかしいんだけど。


 若干気後れしつつも俺は楓の後を追った。

 そしてすぐに玄関に並んでいた靴に対する疑問が解けた。


 リビングに入ってすぐにその人物たちを見て、納得した。


「帰ってたのか」

「おう、久しぶり」


 爽やかな笑顔をこちらに向け、手を挙げたのは、俺の年の離れた兄である、小宮誠太こみやせいただった。


「あっ、洋太くん!! 久しぶり!!」


 そして兄に続いて後ろから、一人の女性が現れる。

 その女性を見てから思わず、息を呑んだ。自分の頬が熱くなる。


「お、お久しぶりです」


 思わぬ再開に緊張して、声が震える。


「あー!? お兄ちゃん、顔赤くなってる!」

「うっさい」

「あだっ!?」


 横でニヤニヤと俺のからかってきた妹の頭を軽く叩くと悲鳴を上げた。


 それから俺は荷物を自分の部屋に下ろした後、またみんなの集まるリビングへと戻った。


 ◆


 槇村彩まきむらさやか。およそ一年ぶりに会う彼女の美貌はより磨きがかかり、この世のものとは思えないほどに美しい。


 ……………とまぁ、兄貴の婚約者……もう奥さんか。そんな女性を実弟である俺があーだこーだと評価するのは痴がましいのでやめておこう。

 まぁ、美人とだけ。


 テーブルを挟んで目の前で兄と彼女が楽しそうイチャついているのを見せらると俺としても若干…………いや、かなりゲンナリとする。


「嫉妬の視線」

「さっきからうるさい。そんなんじゃねぇ」

「あぅ!?」


 隣に座る妹の額を小突くと恨めしそうに睨まれた。

 いらんことばっかり言うから。


 彩さんは俺と兄の幼なじみである。年齢は兄と同い年。

 年は、7つ離れており、俺も幼い頃から年上のお姉さんとして慕っていた。


 美人で面倒見が良くて、凛としていて優しい。

 そんな身近にいた超絶完璧お姉さんを好きにならないはずがない。


 そう、俺は彩さんのことが好きだった。

 結局、同じくして完璧超人の兄貴と彼女が婚約して、失恋したわけだが。


 それが中三になってからちょっと経ってだったか。

 付き合ってたのは知ってたからその時点で負けは負けだったんだけど。……往生際が悪かったのは認めよう。


「そういえば、洋太くんは今、どこの高校に行ってるの?」

「……江南っす」


 一瞬、間ができたがすぐに答える。


「あ、そうなんだ。……てっきり洋太くんは北江に行くのかと思っていた!」

「まぁまぁ、洋太もいろいろ悩んでたみたいだから」

「え? そうなの?」


 北江高校というのは、兄貴と彩さんの母校である。

 偏差値がおそろしく高くスポーツも強豪揃いの超名門。

 俺も途中まではそこを目指しており、判定も問題はなかった。


 だけど、俺はその高校には行かなかった。


 その理由は……あれだ。思春期である。


 ああそうだよ!!

 俺は、失恋したショックと完璧超人な兄貴との劣等感に苛まれ、何もかもにやる気を失ったのだ。


 完璧な存在である二人を知っている分、そこにたどり着けないと悟ってしまった。努力の意義を見出せなくなった。


 今にして思えば、若かったと思う。今でも十分に若いけど。


 ともあれ、あれから何にも対してもイマイチやる気が出ずにダラダラとできるだけ普通に過ごしてきて今に至る訳だ。


「…………」


 見れば見るほど、お似合いの二人だな。

 今の俺は別に彩さんのことはもうどうも思ってはいない。

 やはり、目の前にすれば緊張はしてしまうけど。


 そんな二人を仲睦まじい様子を微笑ましく見守る。


 兄貴と話すときのくしゃっと笑う優しげな表情や天然な感じは、どこか遠野さんに似ている。いや、遠野さんが彼女に似た雰囲気なのか。


「…………」

「じぇらしー──いったー!?」


 あれ? もしかして俺って……。


 俺の中に引っかかっていた違和感の正体。それがすぐそこまで来ていた。


 ◆


 あの後、親父が帰ってきて、そのまま夕飯になった。

 あれ以上、二人のイチャつきを見せられたら胸焼けしそうだったので助かった。久しぶりに親父に感謝した。

 ……二人曰く、イチャついている意識はないようだが。


 そしてご飯を食べた後、また自分の部屋と戻ってきたのだった。


 ベッドに寝転んで先ほど感じ取った違和感についてもう一度、考える。

 先ほど、彩さんと遠野さんを似ていると表現したが、それは内向的な部分だ。


 外向的な部分でいえば、彩さんに似ている人物がもう一人いる。

 できる大人の女性といった凛とした姿、大人の色香。

 これらはどこか市川さんを思い出させた。


「……はぁ」


 また図らずしてため息がこぼれた。

 市川さんのことを思い出して、気持ちが沈む。


 スマホを取り出して、以前撮ったツーショットの写真の眺めた。


 あ、ダメだ。思い出したら泣きそうになってきた。

 視界が少しだけ滲む。


「洋太、入るぞ」

「ッ」


 ノックとほぼ同時のタイミングで返事がするよりも早く、兄貴が部屋に入ってきた。

 俺は慌てて目元を拭う。


 ノックの意味!!


「あれってどこにあった? あの──……って、どうした?」

「い、いやなんでも!!」

「……ん? スマホ落としてるぞ」

「あっ!?」

「お?」


 どうにかごまかした俺であったが、兄貴が落としたスマホを拾ったとき、画面に表示されているものを思い出した。


 ……見られた。


「この子どこかで──」

「誠太! ここにいた!」


 何かを言いかけたとき、後ろから彩さんが入ってきた。


「あ、洋太くん、お邪魔するね。で何見てるの?」


 そしてそのまま俺のスマホを覗き込む。


 や、やめてほしい。

 なんだか、とっても恥ずかしい。


「うわ〜、すごい美人な子。え? 洋太君の彼女?」


 ……元、ですけど。

 恥ずかしすぎるんだが。


「なぁ、彩。この子どこかで見たことない?」

「え? う〜ん……」


 同じように彩さんも市川さんの写真を見て、頭を悩ませた。

 そしてすぐに答えを出す。


「あっ、あの子じゃない!? 蒼ちゃん!!」

「……そうだ。蒼ちゃんだ!」

「え?」


 まさか、兄貴たちが市川さんを知っているとは思わず、素っ頓狂な声が出てしまった。


 そこで俺は初めて、俺の知らない市川さんの過去の出来事を二人から聞くことになるのだった。


 ──────


 昨日更新できず、すみません。


 はい、ここで漸くですが小宮くんがザ・普通だった理由が出てきた訳ですね。

 誰しも挫折は経験するものですが、彼は乗り越えられずに逃げました。


 さて、そろそろ主人公らしくしてもらおうかしら。





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