第35話:女神様の色

「市川さん、話があるんだ」


 目の前の小宮くんがそう口を開いた時、ドキリとした。

 ドクンドクンと心臓が早鐘を打ち、今食べた物が迫り上がってきたような気がした。


「話って?」

「あ〜、えっと何から言えばいいか……」


 言いづらいのか小宮くんは口籠る。


 いいえ、落ち着くのよ。

 もし、別れを切り出すにしてもこのタイミングは不自然だわ。

 別れたいと思っているなら、そもそも今日のお泊まりは断るはずだし、こんなに形で食卓を囲まないはず。


「……」


 ああ、なによ。そう考えたら少し、落ち着いてきたわね。

 ……じゃあ、話って何かしら?


 何か話さないといけないことなんて……


「ッ!?」


 ま、まさか、今日は寝かせないぜってこと!?

 そ、そんなまさか。いいえ、それはありえないわ。彼はヘタレを地で行く小宮くん。

 私に手を出すなんてことありえ……いや、でもっ!!

 もしかしたら!!

 ああ、どうしましょう。今日どんな下着持ってきたかしら。

 赤、青? 黒だったかしら。

 後でちょっと確認しておきましょう。


「い、市川さん?」

「っ。何かしら」

「いや、なんかいきなりボーッとしてたから……」

「そうね。ちなみに小宮くんは何色が好き?」

「え? 色?」

「ええ」

「えーっと、青かな」

「青ね。分かったわ」

「……何が?」


 最悪取りに帰るのもアリね。


「それで話いいかな?」

「話?」

「うん。話したいことがあるんだ」

「……そういえばそうだったわね」


 危ない。危うく自分の世界に入るところだったわ。


「俺たちの関係についていつ話すかってこと」


 直前まで考えていたものとは全く違う角度の話に私は口をつぐんだ。


「前にそうしようかって言ったけど具体的になことって何も決まってなかっただろ? そりゃ、俺がいつまでも頼りないっていうのはあるかもしれないけど……そのせいで市川さんが嫌な思いし続けるのも嫌だなって思って」

「……」


 でも驚いていた。彼が……小宮くんがこんなにも真剣に考えてくれているなんて思ってもみなかった。

 彼はきっと本当はあまり目立ちたくないはずなのだ。

 それなのにも関わらず、私を思って自分からそのことについて話してくれるのが嬉しかった。


「できれば、来週とかから? まぁ、公に付き合ってます宣言をするわけじゃないけど、徐々に学校でも二人でいる時間増やせたらなって思って。それで聞かれたら答えればいいかなって思うんだけど……どうかな?」

「……ふふっ」

「って何笑ってるの、市川さん。俺結構真剣なのに……」


 小宮くんは、私が笑ったことに顔をしかめた。

 私がなんで笑っているのかわからないでしょうね。


「ごめんなさい、なんでもないわ。そうね、私もそれがいいと思うわ。その辺りは小宮くんに任せようかしら?」

「本当に考えてる?」

「ふふ、考えてるわ」


 私はそう言って椅子を引き、立った。

 そして小宮くんの方へゆっくりと近づいていく。


「……市川さ……っ」

「(ありがとう)」

「っっっ!!」


 そして後ろから小宮くんを抱きしめて、耳元で囁いた。


 小宮くんはわかりやすくを真っ赤に染め上げる。それを見て、またなんだか楽しくなってしまい笑った。


「さて、私もお風呂いただこうかしら」

「うぅ〜、お、お風呂廊下出て右の扉だから」

「ありがとう。それじゃあ、行ってくるわね」

「い、行ってらっしゃい」


 恥ずかしいのか、こちらから顔逸らして素っ気なく言い放った小宮くんは耳まで赤かった。






 ちゃぽん。

 裸になって、シャワーを浴びた後、お風呂にゆっくりと浸かる。


「はぁ……」


 思わずため息が溢れた。

 ブクブクブクと顔を湯船に沈める。


「さっきのはちょっとやりすぎたかしら」


 先ほどのことを思い出して、顔が火照る。


 いつもいつも行動した後に思い出して、恥ずかしくなってくる。

 小宮くんの顔を見ているとついからかいたくなってくるのだけれど、その時はよくても後で一人になった時、気恥ずかしさのようなものが込み上げてくるのだ。


 自分がこんなにも大胆に行動してしまうだなんてどうしたのかしら。

 それはやっぱり……。


「いいえ、お風呂の熱さのせいね。きっとそうに違いないわ」


 自分に言い聞かせる様にそう呟いた。


「で、でもこの後、もしかしたら……もしかしたらがあるのかもしれないのよね……?」


 そのことを想像じて、一層体が熱くなる。


「……ダメね。ちょっと冷水でも浴びようかしら」


 浴槽から上がり、再びシャワーのレバーを上げる。

 設定は冷た過ぎず、だけれど少しの火照りを覚ましてくれるちょうどいい温度。


 もう少ししてから上がることにしましょう。


 ◆


 あー、さっきのはちょっとヤバかった。

 耳元で囁かれるのってあんなに……。


「ッ」


 思い出して、また熱くなる。

 いかんいかん。変な癖に目覚めてしまいそうだ。


 ……そういえば、もう一つ言おうと思ってたことがあったんだった。いや、二つか。

 それいつ言おうかな。


 俺はキッチンへと向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに注いだ。

 そしてそれを一気に飲み干す。


「ぷはぁ。よし!」


 もう一度、自分に気合いを入れた。

 一度緩んだ緊張を締め直す。


「……その前にトイレ行っておこ」




 トイレから出ると手を洗いに洗面所に向かう。

 そして洗面所に入ってから気がついた。


「……」


 ゴクリと喉を音が鳴る。

 このすりガラスの向こうに見えるシルエットにいい知れぬ緊迫感が生まれた。


「いや、こんなところにいつまでも立ってたらまた『覗きにきたのかしら』なんてからかわれる!」


 俺は急いで手を洗う。

 幸いなことに市川さんはシャワーを浴びている様でこちらに気がついていない。


 市川さんが出てくる前に早くでなければ。


「──ッ!」


 が俺は地面に置いていた市川さんの着替えが入った籠に足を引っ掛けてしまう。

 スネにぶつかってしまい地味に痛い。


「〜〜〜っ!!!」


 声にならない声を押さえ込み、籠から溢れた服を戻していく。

 そしてその中で見つけてしまう。赤い布を。


「……え?」


 思わず手に取ったそれを見て硬直する。


 こ、こんな……。


 その時、シャワーが止む音がした。

 ま、まずい! 俺は慌てて市川さんが出る前に洗面所から飛び出した。


「はぁ……はぁ……」


 心臓がバクバクと音を立ててうるさい。

 バレてない? バレてないよな。よし、後はソッとリビングに……しまった!?

 慌て過ぎて、市川さんの下着を戻していない!!


 ヤバイ。これはどうすれば。どう処理すれば……。


「小宮くん」

「っ」


 ギィっと洗面所の扉が開く。

 振り返ると火照った顔をした市川さんがタオル一枚の姿でこちらを睨み付けている。


「下着」

「ぇ」

「私の下着取ったでしょう?」


 バレていた。ダメだ。何も思い浮かばない。

 このままじゃ、俺は単なる下着泥棒になってしまう……!


「こ、これは……ち、違うんだ! これは決して……」

「言い訳は後にして頂戴。この格好も……こほん。さぁ、渡して。もちろん、こっちを見ないで」

「は、はい!」


 俺は手に持ったそれと目の前のタオル姿の市川さんを見ない様に玄関の方へと顔を背ける。

 すると玄関の扉が開いたのだった。


「洋太! 来てあげたわ……ぁ」


 玄関を見つめていた俺は、扉を開けた張本人である紗と目が合う。


「あっ……」


 ああ、神様。なんでだ……。

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