第34話:女神様の夜ご飯

 家に帰ってから掃除を済ませた俺は市川さんが来るのを待った。

 

 市川さんが家に泊まると聞いた時は、流石の俺も焦った。

 ちょっとこの数日は掃除をさぼっていたせいで人を泊められるほどの家の綺麗さではなかったのだ。


 だから市川さんには申し訳なかったけど、俺の掃除が終わるまで適当に時間を潰してもらうことにした。

 聞けば、ちょうど崎野さんに誘われたらしい。

 そして俺も掃除が終わったのでいつ来てもいいよ、と連絡を入れたのだった。


「お昼の市川さんちょっと様子変だったな」


 何が、とははっきり分からないが、あんな風に甘えてくるなんて珍しいと思った。最終的にからかわれたのはいつも通りだったけど、やっぱりなんとも拭いきれない違和感があった。


 遠野さんと何かあった? ……まさかな。


「にしても緊張するな……」


 家で女の子をただ待つというのも落ち着かない。そわそわして仕方ない。


「もうちょっと、掃除しとこ」


 念入りに掃除したはずだけど、やっぱり変なものとか落ちてないかなどを何回も確認してしまった。


 コロコロを使って、部屋の絨毯を何度もころころーころころーしているとチャイムが鳴った。


 それと同時に一気に緊張が増す。

 俺は玄関に行って、扉を開けるとそこには、大きな荷物とスーパーの袋を持った市川さんがいた。


「お待たせ。ごめんなさい、遅くなって」

「ううん、どうぞ。上がって」

「お邪魔します」




 部屋に入るとそこにはいつもの様子の市川さんではないように感じた。

 前に来た時は余裕綽々といったところだったが、流石の彼女も緊張しているのだろうか。


「荷物はそこに置いて」

「え、ええ。ありがとう」


 取り繕っては見せるもののどこかぎこちない。

 いつもなら俺を手玉に取るのに、こんな感じだと更に緊張感が増すからやめてほしい。


「夜ご飯ってどうする? お腹空いてる?」

「ふふ、今日は私が夜ご飯作ろうと思うの。いいかしら?」

「お、おおお!! お願いします!!」


 スーパーの袋を持ってきたあたりからちょっと期待はしてしまっていたが、やっぱり嬉しい。


 初めての彼女の手料理……。

 これで俺も人間としてレベルが一つ上がったか……!


「ふぅ、よし。キッチン借りるわね!」


 気合が入ったのか、深呼吸の後、彼女はカバンからエプロンを取り出して着けると長い黒髪を括る。


「…………」


 露わになったうなじがなんとも……。


 それから彼女は食材を取り出してテキパキと動き始める。


「俺も手伝うよ。何したらいい? って言ってもあんまり役に立たないかもしれないけど」


 普段から料理のしない俺が横にいても邪魔にしかならないかもしれないが、自分の家で任せっぱなしというのも、と思い手伝いを申し出た。


 ちなみにキッチンは、一人暮らしにしては十分すぎるほどの大きさで俺も持て余している。


「いいえ、あなたは寛いでおいて頂戴。あなたの誕生日なのだからこれくらいは私がやるわ」


 ……断られてしまった。


「その間、お風呂でも入ってきたらどうかしら? まだ今から作るから時間もかかると思うわ」

「お、おう」


 確かにそうだと思い、俺は風呂をボタン一つで沸かし始める。

 十五分くらいあれば、風呂も沸くだろう。

 それまでどうしようか。


 トントントンと野菜をリズム良く切るその音に引っ張られ、俺は市川さんの後ろ姿を眺めていた。


「そんなに見られると緊張してしまうのだけれど」

「ぇ!?」


 後ろに目でも付いてんの!?


「あなたのことならなんでもお見通しよ」

「はは……」


 それはそれで怖い様な。

 そうしているうちにすぐに風呂が沸いたことを知らせる電子音が鳴る。


「ほら、早く行ってらっしゃい。私の方もまだかかるからゆっくりくつろいでくるといいわ」

「あ、ああ」


 なんだかやりとりが新婚夫婦みたいだった。

 呼び方もさっき、あなただったしな。まぁ、これはそういう意味のあなたじゃないんだろうけど。単なる口調である。


「今新婚夫婦みたいと思ったでしょう? お背中流してあげようかしら」

「い、いや。いい!」

「恥ずかしがらなくてもいいのよ」

「い、行ってくるっ」


 俺は慌てて着替えを持って脱衣所へと逃げるのだった。

 市川さんなら本当に突撃してきかねない気がした。





 お風呂から上がるといい匂いが漂ってきた。

 キッチンからはジュウジュウと美味しそうな音までしており、腹が一気に減った感覚になる。


「お帰りなさい」


 部屋に入るとエプロン姿で髪を結んだ市川さんが俺を出迎える。

 その姿を見て、なんだかいいなって思ってしまう自分がいた。


「た、ただいま」

「もう直ぐできるわ。先に座って待ってて頂戴」

「ありがとう」


 机の上には白ごはんと味噌汁、ほうれん草のお浸しが並べられており、後真ん中に開いたスペースは今焼いてくれているメインのものだと予想ができた。


 そしてそれが焼き上がると市川さんはキャベツの千切りと一緒に皿を持ってきてくれた。


「おお、うまそ……」


 思わずお腹がギュルルと鳴った。

 市川さんが作ってくれた料理はハンバーグだった。


 かなり定番ではあるかもしれないが、これには何の問題もない。

 男はハンバーグが大好きなのである。


「それじゃあ、頂きましょう」


 市川さんは、エプロンを解くと椅子にかけて座る。

 それを待ってから俺は合掌した。


「いただきます」


 俺は早速、箸を伸ばしてハンバーグを割る。すると中から肉汁が一気に溢れ出す。

 それをそのまま口へと運んだ。


「……うまっ」

「よかったわ」


 少し緊張した面持ちでこちらを見ていた市川さんから安堵の表情が見てとれた。

 それがなんだか珍しくて聞いてしまった。


「緊張してたの?」

「おかしいわね」

「え?」

「前までは何ともなかったのに」

「それって…………」

「そう言ったら、少しはドキッとしてくれたかしら?」


 ニヤッと笑う市川さんはいつもの彼女だった。


「……」


 俺はまた騙されたと思ってハンバーグと一緒に白米を駆け込んだ。


「ふふ。いただきます」


 それを見て満足した彼女もようやく手を伸ばし、料理を食べ始めたのだった。




 市川さんが作ってくれた晩ご飯を堪能して、腹は満足感でいっぱいだった。

 一人暮らしはしているものの自炊と呼べる自炊などあまりしていなかった。


 せいぜい、カレーとかシチューとかくらいか。

 とりあえず、鍋にぶち込んで煮込めばどうにかなるので一人暮らしには欠かせないレシピだ。


「どうだったかしら?」

「すっげーうまかったよ。ありがとう」

「ふふ、よかったわ。お粗末様」

「俺、お茶入れるよ」

「ええ、ありがとう」


 俺は席を立ち、キッチンでお湯を沸かしてから緑茶を入れる。

 そして湯呑みを彼女の元へと持っていき、もう一度座った。


「……ふぅ」

「……?」


 俺が深呼吸をした理由がわからない市川さんは首を傾げた。


「市川さん、話があるんだ」


 ◆


 私、篠塚紗は迷っていた。

 洋太のアパートにあの女が消えて行ってから私は駅前からこのアパートまで何度も往復していた。


 別に健康のためじゃない。

 一体全体なぜこんなことをしているのか。


「凸するべきか。いや、するべきね。いや、でも……」


 そう私が迷っているのは、洋太の家に突撃するか否かだ。

 元々、少し時間が経ってから突撃はする予定でいた。


 しかし、もし。もしもの情事のタイミングで突撃してしまったらと考えたら顔が熱くなってそれどころではなかったのだ。


『私、教えてもらったんだもん!! 体重ねたら子供できるって!!』


 昼間の自分を殴りたい。

 後でこの意味を瞳に聞いたところ、顔を真っ赤にして教えてくれた。


 スマホを使って調べれば、そこには見せられないサイトが大量に表示されており、そのサイトはなんとか避け、Wikiで内容をしっかりと確認したのだった。


 ま、まさか……子どもを作るのにあんなことをしないといけないなんて……っ。

 聞いてないわ!!


 私は今まで騙されていたのだ。家の人に。


「それにアイツも……」


 何がコウノトリよ!!!

 それも嘘じゃない!!!


 おかげ様であの時、あんなことを言ったことを思い出して顔から火が出るように熱くなる。


 そして一度意識してしまったら最後、もしかしたらを考えてしまっている。


「いやいや、流石にないわ。ないない。……いやでも、最近の高校生は割合で言えば五〇パーセントは初体験を済ませていると書いてあったわね」


 私はもう一度、スマホを取り出して検索欄に同じワードを入れて再度、復習した。


「ふっ。さすがに洋太はそんなことできないでしょ。私でもまだし、したことないんだから」


 ようやく決心が付いた私は洋太の部屋の前まできた。


「いいわ。私が婚約者なんだし。別に家にアポ無しで行くぐらい構わないはずよ!! よし……」


 そしてチャイムも鳴らさずに部屋の扉を開け放った。

 鍵はかかっていなかった。


「洋太! 来てあげたわ……ぁ」


 そこにいたのは、洋太とタオル一枚でじゃれ合うあの女、市川蒼だった。



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