第28話

 愚民、と彼は罵った。へぇ、と僕は相槌を打った。


「愚民、愚民か……」


 呼んで字の如く、愚かな人民。愚かな人間。愚かで、つまらなくて、馬鹿で、知性のかけらもない、そんな人間。


 少し、カチンときた。


「そうだ愚民だ。お前は愚民なんだよ」

「たとえば、どこのどういうところが愚民なのか、詳しく教えてほしい物だけれど……」

「はぁ? んなことも自分で理解できねぇのか? 本当に愚民だなぁ、お前は!」

「教えてくれないならいいよ。僕もそこまで追求する人間じゃないからさ。愚民っていうのも、君の勝手な思い込みなのかもしれないし……」

「あぁ?」


 少しキレ気味な様子だった。僕の言葉が気に障ったのだろう。


「思い込みなんかじゃねぇよ! 俺の言ったことは全部正しいんだ!」

「そうかい、ならその正しいと思い込んでいる愚民呼ばわりを、どこがどんなふうに愚民なのか詳しく教えてほしいね」

「てめっ……!」

「どうしたんだい? 何か気に障ったかい?」

「ぐっ……! いいぜ、教えてやるよ! てめぇの愚かな部分をよぉ!」


 ピリピリしていて声が大きい。放課後の時間帯でなきゃ、この光景は学校中で有名になるはずだ。僕は嫌だけど。放課後でよかった。


「とりあえず、凝りもせずに俺の綾に近づいていることだ! 綾とお前は月とスッポンなんだよ! もちろんお前がスッポンの方だ!」

「スッポンはコラーゲン豊富で美容にいいから、まあ嬉しいかな」

「話を逸らしてんじゃねぇ! お前ムカつくんだよ、今もさっきもところどころで俺をイライラさせてきやがって……!」

「それで、僕が小鳥遊さんに近づいていることがどうしてそんなに愚かなのかな?」

「てめぇ……!」


 またも僕が話を逸らしたり、戻したりを繰り返したため、ついに剣崎くんが動いてしまう。怒った動物ほど凶暴な存在はいない。目の前に来て、彼は腕を伸ばした。すごい勢いだった。


 だがこんな解説ができてる時点で見切っている。瞬時に僕はその腕を右手で掴み、どうにも動かさないように静止させた。確保完了。


「なっ……!」

「暴力は良くないなぁ……。学校で問題になりそうだし……それに、痛いのは嫌いだ……」


 平気な顔をして防御したのに驚いたのだろう。彼は自らその腕の力を弱め、自分のポケットの中に先端についている手を隠した。


「月とスッポン……釣り合わないんだよ、綾とお前じゃ!」

「へぇ」


 また相槌を打った。


「いい加減気づけよ……。いい加減諦めたらどうなんだよ? お前なんかじゃ、綾と絶対に釣り合わねぇ……。いや、気づいておきながら、あえて近づいてんのかもなぁ……」

「はて?」

「釣り合わねぇんだからよ、お前がやってるその下心だらけの親切は愚かだって言ってんだよ。どうせ相手にされねぇんだからな!」

「ふむ」


 口に手を添える。


「そんな愚かなお前に比べて、俺はどうだ?」


 バッ、と両手を広げて見せる剣崎くん。どうと聞かれても、僕のあんまり君のこと知らないから評価のしようがないんだよな。


「お前と違って背も高く、顔だってイケてる。この学校でもかなりモテてんだよ、俺はな!」


 自分で言うか? まあいいや、言わせておけばいい。


「毎日毎日言い寄ってくる女たちが鬱陶しいくらいだぜ。俺がモテてるってのは立証済みなんだよ!」

「……」

「さて、そこで質問だぜ? 俺とお前、どっちが綾に釣り合う?」

「……」

「あの超絶美女と釣り合うのは、どっちだ?」


 発声したかったけどやめた。沈黙を貫いておこう。こんなに自分を棚に上げて、調子に乗っている人間の方が釣り合っている、なんて口にしようものなら、僕のプライドが許さない。絶対に言わないと誓う。


 沈黙の僕を見て、返答がないことを察する剣崎くん。小さく『チッ』と舌打ちをして、仕方なくそのあとに自信げに言った。


「まっ! 当然俺の方だよな! お前みたいな根暗なヤツと俺なら、十中八九俺を選ぶだろうぜ!」

「……」

「俺は綾と釣り合うんだよ。対してお前じゃどこも釣り合ってねぇ。俺はクラスでも中心的で、そしてモテてる。お前はどうだ?」

「……」

「何かお前は持ってるのか? クラスでも浮いてて、ましてやモテるなんて要素あるわけねぇ」

「……」


 高らかに笑う彼。笑い声はうるさくて、廊下で響いていた。


「……ってか、そもそもな? 普通のイケメンでも綾には釣り合わねぇんだよ」

「それは、どうしてだい?」

「俺は『剣崎』。綾は『小鳥遊』。意味が分かるか?」

「名字が関係あるのかい? ごめん、全然分からないよ」

「マジで馬鹿で愚かだな、お前……」


 イラッ。


 そんな常識みたいに言われても……。他人が知っている前提で話をされても……。知らないものは知らないし、分からないことは分からないんだよ。


「俺はこの学校の理事長の息子。その名字が剣崎だ。なら綾は、日本国内でも有数の富豪の娘。それが小鳥遊という名字だ。つまりだな……」

「財力、権力、地位、それらを持っている、お家柄も併せて、釣り合う……」

「やっと分かったか、愚か者め。ま、そういうことだ!」


 釣り合う。容姿、人気度、お家柄。本当に釣り合うというのは、それらが全て釣り合うということ。……と、彼は言いたいのだ。


 たしかに彼はイケメンなのかもしれない(ムカつくヤツなので認めたくない)、それに人気なのはなんとなく分かる。傲慢で口が悪いけど、カリスマ性があってリーダーになるような素質。しかしムカつくヤツだ。


 お家柄に関しても申し分ない。理事長の息子、となると、たしかに財力も権力もありそうで、地位もそれくらいには高そうだ。


「……」


 彼を真っ直ぐに見てみる。見るというか、睨む。


「……とにかく、最終的に、君は僕に何が言いたいんだい?」

「綾から離れろ。アレは俺の女だ」

「ほう。小鳥遊さんは自分のものだ、邪魔だから消えろ、と?」

「ああ、そうだ。だから金輪際綾には近づくな」

「嫉妬かい?」


 剣崎くんの体が、ピクっと震える。


「は、はぁ?」

「嫉妬心から、そんな考えが出てくるんだろ? 小鳥遊さんと距離を縮めるために、いつも近くにいるお前は邪魔だ。だから消えろ。……こんなの、ただの嫉妬だろ?」

「嫉妬、だと? んなわけっ!」

「なら羨望かい?」


 途端、彼の腕が再起動する。僕の胸ぐらを掴み、そして鬼の形相で僕を睨みつける。おお、怖っ。


「てめぇ、マジで喧嘩売ってんのか? 俺がてめぇに嫉妬なんてすることも、羨ましいと思うこともありえねぇんだよ!」

「ああ、はいはい。分かった分かった。暴力はよくないから、その手をどかそうか」


 強く僕の襟を握って、メリメリという音がしていた彼の手は、ゆっくりとゆっくりと力を弱めていった。


「分かったよ、じゃあ? それならいいかな?」

「それでいい。一生近づくな、綾にはな!」

「はいはい。ああ、あと、君のクラスは何組だい?」

「二年D組だ」


 通りで知らない名前なわけだ。いや、僕だけが知らないのかもしれないけど。


 そうして、傲慢な生徒は来た方向に戻っていった。また時間が遅くなってしまった。早く帰らなければな。


 廊下を走った。

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