第42話

 あの後、黒い服の女の人に連れられて、お父さんに会えた。ボクがいなくなってすぐに探していたらしかった。


「よかった……! 本当によかった……!」

「苦しいよ、お父さん……!」

「ごめんな、お父さんが目を離したのがいけないんだ。どこで迷子になってたんだ? 誰に案内してもらったんだ?」

「うん! えっとねー! 本を持った……」

「私がご案内しました」


 お父さんはすぐに目の色を変え、頭を下げた。


「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます……!」

「違うー! 違うよー! 綾を助けてくれたのは……」

「私ですよ。お父様」

「ありがとうございます……。本当にありがとうございます……」


 納得がいかなかった。どうにかしてお父さんに、ヒーローの男の子がボクを助けてくれたことを教えたかった。


「いえいえ……。失礼ですが、お名前の方は……」

「た、小鳥遊です」

「小鳥遊さん、ですか。少しだけ緊急事態ですので、お話しでもできますでしょうか?」

「で、できますけど……」


 黒い服の女の人は、耳元でお父さんに話していた。


 お父さんはボクの方を見て、驚愕と、困惑が入り乱れたような表情になっていた。


「……ということですので、早めに娘さんを家に連れ帰った方がよろしいかと」

「そ、そのようですね……」


 お父さんの顔は真っ青だった。



 ****



「綾……ちょっと、お父さんのところにおいで……」

「うん!」


 お家に帰ってから、ボクはお父さんに呼ばれた。


「綾、今日は色々とあったね……」

「あったー! 綾、迷子になったのー!」

「ああ、迷子になってた。その迷子になってた時に、誰かに助けてもらったんだろ?」

「うん! 本を持った男の子がねー、綾を助けてくれたんだよー! 本当のヒーローみたいだったー!」

「そうか……。ちゃんと覚えてるんだね……」

「もちろん! でもー、黒い服の女の人はお父さんに『自分がやりました』って言ってて、少し不満だったー……」

「ああ、あれか……。あれには事情があるんだ……」

「事情ー?」

「そうだよ。ほら、ここに座りなさい」


 お父さんは自分の部屋にあるソファへと、ボクを座らせる。


「あのな、綾……。今日会った男の子についてなんだがな……」

「えっ! もしかして彼のこと知ってるのー?」

「知ってるよ。知っているからこそ、綾に話しておくべきなんだ」

「んー?」


 そこで彼についてを色々と知った。


 彼……三司曇くんは、あの施設にいた子たちの中で最も知恵があり、知識があり、運動の才能がある。そんな彼は、施設で行われている教育課程で、これまでの記録を塗り替えるほどの成績を次々と叩き出し、天才と呼ばれる少年だった。


 かつて神童と崇められた、現在の施設長及び教育者である曇くんのお父さん。ボクのお父さんが先生と呼んでいる人は、自らの記録を超える我が子をもっと成長させるために、隔離棟という場所に短時間だが隔離する計画を進めていたのだという。


 そして、そんな隔離棟に侵入したボク。そして、そんなすごい男の子に接触したボク。会話を交わし、手も繋ぎ、好きになったボク。


 そんな彼に、干渉してしまったボク。


 そのことがバレれば、確実にボクの家が狙われてしまう。施設長でありながら、国際組織にて中心的な人物である三司先生と、その家系である三司家。強大な力を持っているのは至極当然のこと。ボクの家系よりもはるかにすごく、お父さんよりも遥かに偉く、富豪よりもはるかに富を築き上げている。


 三司高等教育施設を敵に回すことは、それはつまり、三司家を、そして国際組織を敵に回しているのと同じ。


 計画を小鳥遊家がぶち壊したと知れば、終わる。お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、メイドさんも、執事さんも。


 ボクも……全員終わる。


 なんてことを……なんてことを……。してしまったんだろう……。


 少年に出会った……ただそれだけで……。会話を交わした……ただそれだけで……。道案内をしてくれた……ただそれだけで……。


 家のことなんて分からない。社会の権力なんて知らない。地位も、力も、富も、ボクには何も理解できないことだ。


「うぅ……。綾……そんなつもりじゃ……」

「だからね、このことはずっとお父さんと二人だけの秘密だよ? 絶対に誰にも話しちゃいけないからね?」

「うん……うん……」

「それならよかった……」


 本当なら、忘れた方が身のためなのかも知れない。忘れれば、全てを無かったことにさえすれば、ボクや家族が危険にさらされることもない。


 でも、忘れないよ。記憶に残し続けるよ。だって、だって初恋だもん。初めて人を好きになったんだもん。


 彼の顔を、彼の温もりを、彼の声を、彼の優しさを、彼の名前を、忘れるなんてそんなの嫌だよ。


 だから……だから……。絶対に忘れないために、絶対に覚えておくために……。初恋である彼の一人称を……。『僕』を……。


「分かった……。……誰にも話さない……。お父さんの言う通りに、する……」

「ああ。頼むよ、綾……」

「うん……」


 そうしてボクの初恋物語は一旦終了。


 ここまで聞いて、オタクくんはどんな反応を見せるのか気になるなぁー……。



 ****



「……と、言うわけなのさー!」

「小鳥遊さん……」

「ま、まぁー、オタクくんはほとんど覚えてなかったけどね……。そこは少しというか、だいぶだけど、悲しかったなぁー……」

「いや。いいや、覚えてる。覚えてるよ。今、君の話を全部聞いて、完全に思い出したよ」

「ほ、本当に……?」


 ああ、思い出した。全部、全部。全て、全て。


「あの時の子が……小鳥遊さんだったんだね……」

「そうだよ……! ボクだよ……! ボクなんだよ……! オタクくん、綾だよ……!」


 大きな眼は涙ぐんでいる。小鳥遊さんは僕を思いっきり、ぎゅーっと抱きしめた。


 ところで……。


 僕が初恋ってどういうこと……?

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