第31話

 翌日、小鳥遊さん本人に聞いてみた。


「小鳥遊さんって、剣崎くんと幼なじみなんだってね」

「知ってるのー?」

「うん、昨日、蝶番さんから教えてもらったのさ」

「そうなんだー。だけどどうしてそんなことを瑠璃奈ちゃんから聞くことがあるんだーい? 何か彼について知らなければならないことでもあるのー?」

「彼にいちゃもんをつけられてね。撃退するためには、まずは情報収集しておこうと思って」

「オタクくんは怖いねぇー……。撃退なんて考えなくてもいいのにー……」

「喧嘩気味になっちゃったから」

「えっ……」


 絶句。蝶番さんと、全く同じ反応だった。


「ホントに……?」

「ホントに。勉強会が終わって、帰る時に偶然会って、そこで色々と文句を言われたよ。小鳥遊さんに近づくなー、だとか、お前じゃ釣り合わないー、だとかね」

「蓮くん、本当にボクのことが好きなんだねー……。困る人だよー。オタクくんにそんな酷いことを言うなんて。やっぱりボクは彼のこと、あんまり好きじゃないなー」

「そうなんだ。悲しいことに、彼は君にゾッコンのようだったよ」

「うん。ずっと前からボクに何度も告白してくるから、知ってるよ」


 頬杖をついて、優しく僕を見つめてくる。可愛らしくて、綺麗で、何もかもを許してくれそうな、そんなくらいに優しい表情。母性が感じられて、なんだか抱きつきたくなりそうだ。


 当然やらないんだけどね。


「それで、蓮くんのどんなことが知りたいのー?」

「……名前呼びなんだ」

「うん? うん、そりゃあ幼なじみだから、それくらいは当たり前じゃないー?」

「そうだね、たしかにそうだ。いいね、幼なじみって」

「そうでもないよー。そんなことよりオタクくん、今、名前呼びに反応したねー」

「したけど。何か?」

「嫉妬しちゃったー?」

「してないよ」

「むぅ……」


 頬を膨らませる小鳥遊さん。ぷくーっと、これでもかというくらいに主張してきている。しかも近いし……。僕に何を求めているんだよ……。全く……。


「そこはー『嫉妬しちゃったー』でいいんだよー。素直じゃないと、頑固で嫌な人って思われちゃうよー」

「……。じゃあ小鳥遊さんは僕のことを頑固で嫌な人って思ってるの?」

「頑固だけどー、嫌な人ではないよー。オタクくんは優しいからねー!」

「そうかい、ありがとね……。それで剣崎くんのことなんだけど……」


 言いかけて、そこで声が出なくなる。胸にきた衝撃に驚いてしまい、一瞬何が起こったのかが分からなかった。驚き、困惑し、声が出なくなる。なんてよくある展開なんだろう。ベタの中のベタだな。


 その胸にきた衝撃というのが、小鳥遊さんによる頭突きである。痛くはないものの、それなりにドスンと胸全体に衝撃がきた。その後、優しく手を添えてきた。


 にこやかな笑顔。気持ちよさそうにしているのを見て、本当に可愛い子だな、と思った。可愛すぎて頭を撫でたくなる。しかしどうして、こんなことをしてくるかは分からない。


「ふふーん……!」

「可愛すぎでしょ……」

「へ?」

「いや、何でもないよ……」


 顔が赤い。僕がな。顔の表面の熱さが違うのだ。体よりも、高い温度である。


 そっと、僕は小鳥遊さんを抱きしめてみる。


「……」

「ふぇ……」

「あったかい……。小鳥遊さんはあったかいね……」

「ちょ……! オタクくん……!?」

「よしよし……」

「ッ……!?」


 なでなで。優しく優しく。可愛がるように。


 自分でも何でこんなことしてるのか分かんない。なんかあれだな。分からないことだらけだな、今思うと。他人の情報以前に、自分のことでも分からないことがあるなんて、一から自分というものを考えろよ、僕。


「ん、んぅ……」


 可愛い声が出ている。そこで我に帰った。


「何してんだ、僕……。小鳥遊さんから話を聞くんだろうが……」

「むぅ……。やめないでよー……!」


 額に手を当てる僕。


「うーん。幼なじみということ以外では、何かあるかな?」

「知ってるよー? でもなー……」

「え、そんな出し惜しむことなの?」

「でもー、ボクにメリットがないというかー、なんというかー」

「なるほど。メリット、メリットか……。何か僕にして欲しいこととかは?」

「頭撫で撫でしてー! そしてボクを存分にあやしてー、甘やかしてー!」

「うぐ……」


 僕に撫でられて嬉しいものなのか? 周りには人がいるし、あんまりこういうことはしたくないのだが。……先ほど自分からやってたやつが、一丁前に言ってんじゃねぇ、と自分に対して思った。


 ええい。こうなればもうやるしかない。


 手を伸ばしたその時だった。


「おいこらゴミカスー。お前昨日、俺が言ったこと忘れたのか?」


 聞いたことのある声だ。僕に向かって、愚かだ、と言い放った人間の声だった。


「綾に近づくな、って言ったよなぁ! 俺の言ったことに従えよ! 綾は俺の女なんだよぉ!」

「へぇ……。で?」

「ちょ、ちょっと蓮くん! ここは教室だよ? あんまりうるさくしたら他の人に迷惑だよー!」

「お、おう。まあ、綾が言うなら少し静かにしてもいいけどよ……」


 小鳥遊さんを特別扱いしすぎだろ、コイツ。どんだけ好きなんだよ。


「とりあえず、俺の言ったことは絶対なんだよ!」

「へぇ……。なんで?」

「俺は理事長の息子、お前はただの愚民。大人しくしておいた方が、退学しなくて済むんだぜ? お前だって退学はしたくないだろう?」

「へぇ……。その退学って、誰が決めるの?」

「あぁ? んなもん俺が親父に話せばすぐだぜ? なんなら今からでも……」

「結局、親の力なんだな。結局は、親の力を頼ってしまうんだな」

「なんだと?」

「ハッ! 君の方が、僕よりも遥かに『愚か』だよ!」


 また胸ぐらを掴んできた。引き寄せるようにして、僕に圧をかけてくる。ものすごい眼力。僕のことを殺そうとでも考えているのかな。それなら、僕の方も色々とやらないといけなくなってくるな……。さて、どうしてやろうか……。


 胸ぐらを掴んだままの剣崎くんを小鳥遊さんが止めに入る。


「二人ともやめなよー! どうしてこんなことになるのー? 蓮くんがボクのことを好きなのは分かるけど、不満をオタクくんにぶつけるのは良くないよー! ボク、怒っちゃうからねー!」

「あ、ああ。悪い、綾」

「ボクにじゃなくてオタクくんにでしょー!」

「……」


 チッ、と舌打ちが聞こえた。聞き逃すことなんてないほどに、それはハッキリと、しっかりと僕に聞こえる舌打ちだった。


 ……意外と仲が良く見えることに、少しイラッときた。


「勝負だ……」

「え?」

「俺と勝負しろ、陰キャ野郎。俺が勝ったら自主退学しろ。親父の力は使わねぇ。お前が勝手に学校を去ればいい」

「それ、僕にメリットあるの?」


 僕は小鳥遊さんと同じ口調でそう言った。


「あるぜ? お前が勝ったら、一つだけなんでも言うこと聞いてやるよ。それなら文句はねぇだろ?」

「うん、文句はないね。たしかに文句はない。それで? 具体的にどのような勝負を?」

「今度の期末テストだ。どの教科でもいい。最高点数で競うんだ。単純明快だろ?」

「うん。いいね。とても簡単だ」

「それまで頑張って対策しておくんだな。それと、テスト期間だけは綾に近づいてもいいぞ? どうせ勝つのは俺だからな、タイムリミットまで悔いが残らないようにしとけよー!」


 颯爽と歩いて、帰っていった。なんなんだ、アイツ。


 とにかく、僕は勝負をすることになったのだ。期末テスト、ちょうど来週から始まるな。はぁ……めんどくさい……。


「ね、ねぇー!」

「ん? どうしたの、小鳥遊さん?」

「どうしたのー、じゃないでしょー! 勝負に負けたら退学なんだよー? オタクくんと別れるなんて嫌だよー!」

「退学なんてしないよ。だって僕、多分負けないから」

「その補償はあるのー? たしかにオタクくんは『三司みつかさ高等教育施設』で一番の成績だったけど……」

「それは以前の話だよ……」

「そうだけど……」

「ところで、どうして小鳥遊さんが、僕のについて知ってるのかな?」

「ヒッ……!」


 おそらく、僕は今、とてつもなく怖い顔をしているだろう。小鳥遊さんが怖がるということは、そういうこと。自覚は少しある。


「あ、あの……ごめ、ごめんなさい……。ボクが、悪かったです……」

「どこまで知ってるのか気になるなぁー? 全部教えてくれる?」

「は、はい……。えっと……」

「いや、やっぱりいいや。はテストが終わってからにしようか」

「う、うん……」

「担任が来たね。今日も一日頑張ろうね、小鳥遊さん」

「うん……」

「それと小鳥遊さん?」


 ビクッと、驚く彼女。さっきからずっと僕を怖がっている様子で、なんだか慣れない。まあいいか。これくらいならば、僕の言うことを全部聞いてくれそうだし。利用させてもらうかな。


「な、に……?」

「僕がを色々としてたっていう情報を、絶対誰にも言ったらダメだよ?」

「ど、どうして……?」

「分かった?」


 力のない『はい……』が聞こえた。

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