第23話

 近い、近すぎる。いつもじゃここまで、肌と肌が触れ合うほどにまで、僕と蝶番さんは距離が近くて、接触することなんて、高校二年生になってからじゃ一度もなかった。そんなことをすれば、僕の理由や経緯なんて聞かず、問答無用でビンタを食らっていることだろう。しかししてこない。


 なんだ? 彼女はどうして、何もしてこないんだ?


 それ以前に疑問だったことがある。最近になって、徐々に蝶番さんの罵倒が減ったのだ。まさか人を思いやる気持ちがしたり、悪い気がしたりでもしたのか? ……と、僕は思っていたが、罵倒の代わりにどつかれることが増えたため、それは絶対にないと確信した。


 だがここにも疑問があった。罵倒は以前からやられてきたことであるが、どつかれるのはあまりされてこなかった。


 いや、ビンタとかは全然されてきたけれど、なんというか、肘で小突いたり(結構威力があって痛い)、背中を殴られたり(完全な暴力だ)と色々とされてきた。以前はそこまでだったのだが、小鳥遊さんや金城さんが僕をからかおうとしているのと同様に、段々とエスカレートしている。


 もはやいじめなのでは、と考えるが、蝶番さんは良好に話しかけてくれながらそんな感じでやってくるため、いじめと決めつけるのは難しいところである。もし本当に彼女にそのような目的があれば、早急にそれ相応の対処をとるつもりだ。少し痛いことをするかもしれない。


 僕としては、あんまり彼女を傷つけたくないし、そもそも彼女の性格上、人が本当に嫌がることはしてこないはずだ。それに意外と真面目だし、こうやって塾に来て勉強をしているわけだから、根は本当はいい子なのだろう。


 横目で彼女を見る。


「……」


 綺麗な横顔。やはり美人だ。きめ細かい肌、サラサラな黒髪。整ったお顔。うむ、美しい女性だ。


 だけど何故か不満そう。横顔だけど、それくらいは分かる。


「ここの問題難しい……。うん、分からん。オタク、教え……」

「あ……」


 僕が彼女の横顔を見ているのを、完全に知られてしまった。やばい。気持ち悪がられる。顔が引きつりながら、僕は罵倒を覚悟する。そして同じくビンタを覚悟する。痛いのはごめんだけど、こればっかりはどうしようもない。僕が気持ち悪がられるの確定なことをしているからだ。しかもそれをどう妥当としているのが悪い。


 もはや自分を責める始末。そうじゃないと、誰を、何を他に……そうだ、蝶番さんの顔が綺麗すぎるからいけな……いや、ダメだな。慌ててそんなことを言えば、もっと気持ち悪がられて、もっと酷い目に遭いそうだ。


「何よ? 何見てんのよ?」

「え、えっと……あの、はい……。蝶番さんの顔を見てました……。すみません。どうぞ、ビンタしてください」

「はぁ? なんでビンタしなきゃならないのよ? もしかしてアンタってドMなんですかー?」

「いえ、ドMではないですけど……。って、え? 何もしてこないの?」

「はぁ? 何かするとでも?」

「うん。だっていつもなら『キモいっ!』とか言いながら、大体ビンタしてきて……」

「ふーん」


 考えるような素振りを見せる蝶番さん。どこか知的でカッコいい。


「アンタがしてほしいならいつでもするけど?」

「いえ、してほしくないです……! しなくて結構ですので、その右手をお納めください……!」

「あははっ! 焦りすぎでしょ、アンタ! ウケる」


 うーん。読めない。何故だ? 何故してこない? 何も言わず、何も手を上げず。


 分からない。何故なのかは分からない。



 ****



「それでぇ? どうしてアタシの顔、見てたの?」

「え……」

「自分で言ってたじゃん。アタシの顔、見てたんでしょ? なんでか聞いてるんだけど?」

「……。絶対に『キモい』とか罵倒しないでよ? あと蝶番さんが、僕の理由に拒絶反応を起こしても、暴力はしないでね?」

「しないしない。しないから言ってよ」


 少々恥ずかしいが、僕は正直に言った。ここで嘘をつくのも一つの手だが、彼女が何もしてこないことを信じて、ありのままの理由を話した。


「蝶番さんの顔って、綺麗だなーって思ってさ……。ついつい見入っちゃってた……」

「ふーん、キモ……」

「はい言った。もう一生蝶番さんのこと信じません」

「言ってない。『キモい』とは言ってない。短縮して『キモ』って言っただけ」

「言ってるんだよ、それ。短縮はつまり元の形に直せばそれになるんだから。屁理屈でしかないよ」

「言ってないもーん」


 子供かよ。得意そうにそういう彼女。どこか女の子らしさというのが垣間見れた。小悪魔っぽい、生意気な感じが可愛かった。


「はぁ……。それで、どこが分からないの?」

「あっ、話逸らしたー。恥ずかしいんだろー? ウケるー!」

「……」


 盤面を支配しているのは、紛れもなく蝶番さんだ。完全にコントロールされている僕。何もできない。


「アタシの顔、綺麗って思って見てたんだ……?」

「う、うん……」

「ま、悪い気はしないわね」


 普通悪い気しかしないだろ。なんで僕に言われて少し嬉しそうなんだよ。


「さてと……。ここの問題なんだけど……その前に、メガネ外してくれるかしら?」

「いや、なんで? 急だなぁ、何か意味あるの?」

「いいからいいから」

「また何かするんでしょ?」

「しないしない」

「絶対するじゃん……」

「隙アリッ!」

「あっ!」


 簡単に強奪された僕のメガネ。高くもなく安くもない、ただのメガネだ。ああ……またこの状況。多分数分は返してくれないな、これは。


「返し……」

「はいその状態でー?」


 スマホを上にかざす蝶番さん。僕と彼女のツーショットが画面に映り込む。自撮りというものをしているのだ。


 パシャリ、と音が鳴る。写真が撮られた合図だ。


「うん、このツーショット、音葉が見たらなんて言うのかなー?」


 は? いや、は?


 本当に読めない子だと、改めて思った。

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