第22話

 蝶番さんが去ってから、すぐに僕も教室に戻った。


 流石に授業に遅れたり、休んでしまうことは避けたかった。もうかなり、ものすごく頑張って走って教室には入ったが、焦りすぎていたし、それを先生は分かっていたし、まず僕の汗を見て『あ、コイツ廊下走ってんな』って即座に察したことだろう。当然怒られてしまった。


 クラスで自分は浮いているやつだと分かっている。しかしこうみんなの前で注意を受けたり、怒られたりすると、僕の評価が異常に落ちていきそうだ。それは僕が元々浮いているやつだからこそ、相乗効果で悪い印象となってしまうのだ。真面目だと思ってたのに……とか、結構注意とかされるんだー……と、遠い目で見られてしまうのだ。


 ……誰のせいだろう? 一体誰のせいにしてしまえばいいのだろう? ここで考えられるのが先ほどの休憩時間での出来事だ。さて、思考しよう。こうなってしまったのは、僕が授業に遅れてしまいそうになったのは、誰が何をしたからなのか……。


 うん。僕だな。僕が時間もないのに、逃げて図書室行ったからだな。はい、思考終了。結論、僕のせいである。


「プッ、ふふ……」


 横から笑い声が聞こえた。横から……つまり隣から、笑い声が。僕の隣にいる人は、彼女しかいない。


 その彼女を注視する僕。


「……」

「ん? ん〜? なに見てるの〜?」


 小鳥遊さんは周りに配慮して、静かな声で話しかけてくる。


「別に……。ずっと笑ってたから、ちょっと気になって……」

「わ、笑ってた〜? そ、そんなわけないじゃ〜ん……。オタクくんの勘違いなんじゃないのー?」

「勘違いじゃないと思うよ。だって隣から聞こえてきたし」

「あ、あはは……」

「笑ってたよね?」

「……」


 無言は肯定である。笑っていたのは確定してるけど、その笑いの種が僕だと思うと、なんだか意地悪をしてみたくなった。


「な、何かな、オタクくん……?」

「笑ってたんだ……。なんで?」

「え、えーっと……」

「僕が席に着く前から笑ってたよね? それってなんで? 僕が席についても笑ってたしさ」

「だ、だからそれは……」

「そんなに難しい質問かな? それとも答えにくい、あるいは答えられないことなのかな?」

「ち、違うけど……」


 小鳥遊さんが一向に白状してくれないから、トドメというのか分からないけど、彼女が苦手とする『接近』をやってみた。


「ちょっ……オタクくん……」

「何か隠してない?」

「ち、近いよぉ……」

「質問に答えてよ。なんで笑ってたの? 今の反応や、さっきの質問の返答から、何か隠してることが窺えるけど……。もしかして僕が怒られるのを見て、面白がってたの?」

「うぅ……」

「白状しなよ」


 小鳥遊さんは観念したのか、顔を赤くしながら答えてくれた。


「する……。白状する……。白状するから、一旦離れよ……? お願い……」

「うん」

「そ、そう……オタクくん見て、笑ってました……。き、気を悪くしたなら謝るよ……。ごめん……」

「小鳥遊さんって圧に弱いんだね。すぐに折れてくれたし」

「え?」

「別に怒ったり、気を悪くしたりなんて思わないよ。ちゃんと謝ってくれたし、それに小鳥遊さんの怯えるような感じが見れて、逆に悪い気がしたし」

「……」


 小鳥遊さんは察する。自分がただ相手にいいようにされたことを。


 僕の胸を、彼女はコツンと優しく拳を当ててきた。パンチのつもりか何かなのだろうか。


「な、なに?」

「制裁のパンチ……」

「やっぱりパンチなんだ」

「違う、普通のパンチじゃない……。これはオタクくんに対する制裁を下すためのパンチ……」

「制裁? 僕、そんな物騒なことをされるようなこと……」

「した……。ボクをからかった……! 許さないぞ……!」


 彼女は僕にラッシュをやってきた。別に痛くはない。痒いくらいだ。


「この……! この……! この……! この……!」

「はいはい、やめましょうねー……」

「フンッ! オタクくんのことなんて嫌いになっちゃうもん……!」

「最初から僕のことなんて嫌いでしょ?」

「そんなこと、ないよ……」

「え?」


 優しい声だった。僕は彼女のその言葉の意味を理解するのに数秒かかり、理解してからは少し顔を赤くした。


 やがてうるさいところを先生に注意されたのだった。



 ****



 数日経った日。もうすでにいつも通りと化している小鳥遊さんのちょっかいや、金城さんの明らかにからかうためにベタベタと触れてくるのは、今日も朝から何度もされた。やめてほしいけど、やはり辞める気配などなく、恥ずかしがっている僕をもっと赤面させるべく、それはエスカレートしていった。


 小鳥遊さんと金城さんは面白がる目的なのだろうが、そんな目的もない蝶番さんは二人のやり過ぎを止めに入る係になっている。


 やっと学校が終わり、すぐに帰宅した僕。少し休憩してから、また外に出た。向かう先は学習塾。蝶番さんが通っている塾である。保護者的な役割だ。でもなんだろう。最近は罵倒がピタッとなくなり、僕としても心が抉られることがなくなって良かった。たのむ。この状態が続いてほしい。いや、二人を除いてだけど。


 徒歩で数分。家から近いところに位置するため、僕にとってこれほどまでに立地条件が素晴らしい塾はない。一番いいのは家から出なくてもいいことなのだろうが、それは選択肢的に家庭教師ぐらいしか思い当たらなくなる。自分の家に人を招き入れるのは悪い気はしないが、しかし生活感が丸出しな僕の家には、上がってほしくないとも思う。


 一度だけ、家庭教師を雇ったことがあるが、もうこれからは雇わないと思う。もう家庭教師は懲り懲りだ。うんざりだ。散々だ。絶対に嫌だ。


 アンチカテキョーの心が動いてしまったところで、塾に到着した。相変わらず僕の定位置の隣には蝶番さんが……って、あれ? いない? 今日は遅いのだろうか?


「オタクー?」


 と思いきや、やはりちゃんといる。いつも時間を守ってて偉いな、この子。実は真面目なのでは? と思わせてくるほどだ。


「いつも蝶番さんは早いね。僕も見習わないと」

「ありがと。んじゃ、まあアンタも来たわけだし、早速ここんところの問題教えて?」

「うん、ここはね……」


 蝶番さんは身を寄せながら、僕の説明をしっかりときちんと聞いていた。


「……」


 肩が当たっているのが気になったが、とにかく僕は説明をしなければならなかったのだった。

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