第20話

 前にもまして金城さんは僕との距離を詰めてくるようになった。バイト先で色々とあった昨日からこんな感じだ。僕が恥ずかしくなるようなことを言ったり、顔を近づけたりと、もうめちゃくちゃだしやりたい放題である。迷惑に思うけど、僕が彼女に直接そんなことを伝えても、何も改善されることはない。実際に小鳥遊さんに『ちょっかいかけないでくれる?』と迷惑そうに伝えたが、今の現状、それが意味を成していないことが分かるだろう。金城さんもその類だ。


 逃げるように図書室に来たが、不自然ではなかっただろうか。いや、不自然すぎるか。何も言わずに彼女らの元を離れたのだからな。でもそうしないと僕についてくると思った。


 教室は好きだ。誰にも話しかけられず、誰も相手にせず、誰にも相手にされずにいるのは、心地が良かった。元々静かな人間であるため、人と関わることがあまりない。そのせいで静かな性格なんだろうけれど。


 そんな心地の良い教室から追い出されてしまいそうな視線を感じた。かなり圧をかけてくるような視線、眼光。周りの人にはあの状況を見られていて恥ずかしかったし、クラスの男子は僕に殺意を向けているようだった、


 だから逃げるように図書室に来たのだ。


 ……でも、なんかアレだな。誰にも相手にされないのは、いささか悲しいものだな。そうだな。僕は人と関わらないから、それも当然か。つまり僕は悲しい人間で、悲しい学校生活を送っていることになるのだ。


 しかしそれは以前までの話。性格は変わらなくても、環境は少しずつ変化していっている。小鳥遊さんや蝶番さん、そして金城さん。彼女らの登場で、僕は悲しい人間からおもちゃへと昇格した。いや、この場合は降格といった方がいいのかな。


 とにかく、そもそも僕は一人で静かに学校生活を送り続けるはずだったのだ。それがどうしてあんな風にベタベタと触られるようになったのだろう。訳がわからない。僕自身が直接的に傷つくことはめったにやってはこないが(蝶番さんの罵倒はある)、やはり間接的に傷つくことはあるのだ。風評被害というものをしっかりと理解してほしいものだ。


 だからこそ、無駄に風評被害などを考えなくてよくて、読書のできる図書室は好きだ。いや、教室も好きだけど、それは先ほどの誰にも絡まれないという条件下であって、絡まれることがあるのなら心地良くもないし、好きでもない。なら他の教室に成り代わる場所を探した結果がこの図書室である。


 もう休憩時間も終わりそうなのに、なんでここに来たんだろうな。いくら彼女らに絡まれるのが迷惑でも、授業の時間に遅れるのはやはり避けたいことだ。


 本当に、どうしてここに来たんだよ。どうせすぐに戻るのに……。マジで僕ってこんなに先を読めない野郎だったかな。昔は先を見据えていつも行動していたのに、無駄を極力省いて最小限の力で与えられた課題をこなしていたはずなのに……。先を見据えすぎて、最終的な終着点まで全て悟って、だから、だから嫌になって、ここにいるんだろうが。




———やはり素晴らしいですね。流石は、三司みつかさ家のご子息です……———




 また嫌なことを思い出した。


 戻ろう。もう授業が始まりそうだった。戻って、大人しく彼女らに……いや、授業が始まれば小鳥遊さんが独占的に僕で遊ぶのか。


 図書室から出るために、扉のところに振り向いた時だった。


「あ、いた、オタク」

「げっ、蝶番さん……」

「げっ、てなんだよ。アタシがいちゃ何かまずいことでもあんの?」

「うん。だって僕、蝶番さんのことちょっと苦手だし……」

「えっ……。にが、て……?」

「あ……」


 スパァンッ、と自分の顔をビンタしてやった。


「な、何言ってんだよ僕……」

「ねぇ、オタク? アタシのこと苦手なんだ……」

「違うんです、勝手にこの口が言いやがったんです。……ほ、ほら! もう授業始まっちゃうから僕はこれで……!」

「おい、逃げんな」


 急ブレーキをかける僕。あ、もうこれ確定演出だわ。そして主導権、もう僕にねぇわ。あとから取り返すのもできないわ。終わったな。


「はい……。あの、ビンタだけはやめてください……。さっき自分でもやったんで……」

「は? いや、理由になってないし。それだとさっき自分でやってなかったら、アタシのビンタやってもいいって解釈になるけど?」

「いいえ、いつでもどこでも蝶番さんのビンタは喰らいたくないです。痛いんで」

「あっそ。てか、敬語になってんじゃん。ビビってんの? ウケるー」

「……。いや、あのごめんなさい」

「別に謝罪なんて要求してないわよ。そうね、謝罪はいらないから、ちょっとここで跪いてよ」


 こわ。何されるんだろう僕。


 とりあえずしてみたけど、これ完全にビンタの姿勢じゃない? 蝶番さんもスタンばってるし、僕は何かをされるような感じだし。結局ビンタじゃねーか。


「よーし、せーの!」


 来るのわかってるから、もうビビることもない。自分の口が滑ったことも後悔はしていない。しかし反省は大いにしているし、蝶番さんに悪いとも思っている。償いたいと感じているほどだ。ああ、この感情はなんていうのだろうな。そうか、圧倒的無力感か。何をしても、何があってもこうなることは確実だったのだ。


 ああもうヤダヤダ。好きにしてくれよ、もう……。に比べれば、こんなものはただの一発。それに苦しくもない、痛いだけだ、


 ビンタされて、過去の記憶とか全部消えたら良いのになぁ……。そういう装置とかが目の前にあったら、僕は速攻で使用すると思う。


 蝶番さんの振り下ろす手のひらが確認できる。平手打ち。直撃する面積が広いため、広範囲に均等にダメージがくるもの。しかし面積が広い分、そのせいで衝撃が一点に集中しないことが欠点として挙げられる。なんの解説だよ、これ。


 僕の顔に当たる瞬間だった。ぼーっとしている僕は驚いた。


 いきなり蝶番さんは振り下ろしていた手を止め、頬から少し上のところに手を動かした。目の前に手のひらがあったため戸惑った。


「えっ?」

「ふふーん! 正体を表しなよ、店員さん!」

「ちょっ、あっ!」


 彼女にメガネを、ヒョイッと取られてしまった。

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