第47話

 実家にいても抜け出したいと思うことがあるのか。それほど僕は、施設の関係者である父さんが苦手だ。よほど施設に戻ってほしいのだろう。でも嫌だ。何がなんでも。何がどうなっても。


 ……疲れた。めんどくさい。もう考えるのはやめよう。貴重な夏休みが、嫌な思い出で終わるのは避けたい。静かにしておこう。父さんも母さんも、晴はまだいいけど、あの二人にはあんまり関わりたくはない。


 寝室は綺麗だった。白色が基調になっている部屋であり、シーツもクッションも、全て新品。僕が帰ってくることを見越しての用意なのかもしれないけれど。


「もういいや。もう……いい……」


 クッションに顔を埋めた。そのまま力が抜けていく。



 ****



 目を覚ましたのは十時ごろ。寝室でベルが鳴っていた。


「な、何……?」


 寝ぼけている僕は最初、緊急事態でも起こったのかと驚きつつあったが、しかし別にそういうわけではなく、部屋に常備されている固定電話が鳴っていただけであった。これまた白色の電話。父さん、白色好きだなぁ……。


 ベルがうるさくてすぐに出た。


「はい。この電話にかけてくるってことは、おそらく施設の関係者ですよね? 何か用でも?」

「……」

「あれ? 聞こえてますか? もしもし?」

「……」

「あ、あの、何か喋ってもらわないと……」


 声が聞こえないのか、逆に声を出していないのか。この電話のせいなのか、電話をかけてきた人のせいなのか。どちらだろう。


 この電話にかけてくるのは施設の関係者のみである。そのため、この人が施設の関係者だということは確定している。だが待てよ? どうして僕のところはかけてくる? 僕ではなく父さんにかけるべきだろ? なぜ、僕に?


 少し警戒した。関係者であれば父さんにかけるはず、それが僕に……。間違い電話という線は無い。ありえない。施設の人間がそんなことをするはずがないし、そもそも父さんの元と間違えるか? しかも僕にかけてくるあたり、意図的にも思える。なんだ? この人は、なんなんだ?


 不気味だ。何も喋らない。何も言わない。何も声に出さない。こちらを伺っているのか? 何が目的なんだ?


 怪しい……。だけど僕が喋らなくなれば、あちら側も不自然と思うだろう。あくまで気づいていないふうに装うべきだな。声は出すように、しかし個人情報は出さないように。警戒していることも悟られないように。


「あ、あのぉ……」

「ふっ……」

「ん?」


 息の音が聞こえた。吹きかける音が、電話越しに。


「……」

「どなたですか? なぜ電話をかけてきたの出すか? ご用件はなんですか?」

「ふっ、流石は三司曇だな。まあ、自分の名前は出さずに相手の情報を探ろうとするのは、基本中の基本だからな。当然といえば当然か」


 女性の声だった。


「誰だ?」

「誰、と言われてもなぁ……。私はお前に会ったこともないし、話したこともないからなぁ……。ああでも、私は一方的にお前のことを知ってはいるのだがな?」

「ほう……。僕のことを?」

「そうだ」

「ふーん。施設で管理されるのはどうだ? あんまりいい気はしないと思わないか?」

「ッ!?」

「ん? どうした?」


 僕の言葉に、電話の向こうにいる女性はうろたえる。


 ふむ……。関係者ではなく、管理されている子どもか……。ボロが出たな。


「な、なぜ私が施設の管理下に置かれていると分かった! 答えろ!」

「へぇ、あ、施設で教育を受けてるんだね。そうなんだそうなんだ」

「なぜ分かったのか聞いてるんだ! 答えろ!」

「え? いや、まあ、勘?」

「勘だと? お前、まさかカマをかけたのか!」

「は? カマ? 君がボロを出すのがいけないんだろ? もう少し考えてから言葉を選びなよ。すぐに確認しようとするんじゃなくてさ」

「ぐ、くぅ……!」


 悔しそうな音を喉で鳴らしている。


「それで? 誰なの?」

「チッ……!」

「どうして電話をかけたの? 何か用があるんじゃないの?」

「……」

「あれ?」

灰原はいばらひなだ! お前は絶対に私が連れ戻してみせる! 無駄な抵抗、反抗はやめてとっとと施設に帰ってこい!」

「へぇ……。それで? そのほかには?」

「え、えーっと、そう! こ、このことは絶対に姉さんには言うなよ! まんまと言いくるめられたなんて知ったら、絶対に馬鹿にされるから!」

「ん? ああ、そうか。君のお姉さんは、晴の付き人の人なのか」

「なんで知ってるんだ! いいか! 絶対に言うなよ!」

「はいはい。他には?」

「あ、あとは……」


 少しだけ待って、彼女は言う。


「ば、ばーか!」

「は?」


 そして電話は切れた。ツーツー、という独自の音が鳴り、それを確認した。


「全く、なんだったんだ……」


 本当になんだったんだよ。しかも誰だよ。灰原雛だっけ。男っぽい口調の割に名前が可愛い点がギャップ萌えだな。……いや、誰だよ。そんな子知らないけど……。


 施設内でのコミュニケーションは、隔離されている僕以外は可能だったけど、隔離される前に知り合いだったのは、おそらく晴くらいだったぞ。


 はぁ……。寝直そうと思ったけど、彼女の言っていた口止め、姉さんには話すなだったか? それについて考えた。


 考えてから、最後に『ばーか』と言われたことに腹を立てた。


 よし、言ってやろ。


 付き人なのだから晴の寝室にいるはずだった。先ほどの会話をした固定電話を使い、晴の部屋宛にかける。


「はぁはぁ……。も、もしもし……?」


 灰原の声だった。息を荒くしている。


「今、絶対にエロいことしてるだろ、お前ら」

「し、してませんよ……! ほ、本当にしていません……!」

「はいはいすみませんでしたね。邪魔して悪かったね」


 受話器を叩きつけるようにして、電話を切った。


 たしか以前も黒山のことを口説いていた気がする。マジで年上キラーだな、アイツ。

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