本編
第1話
どうすればいいのだろう。
「オタクくーん」
はぁ……。
名前、というか代名詞なのだが、僕のことを呼んでいることは明らかであり、そんな代名詞が当てはまりそうな人間はクラスの中で僕しかいない。
静かに読書をしようと思っていた矢先にこれである。もういい加減、僕に構うのはやめて欲しいものである。
僕はパラパラとラノベのページを進めていく。
「オタクくーん? あれ? 生きてるー?」
本当に不思議そうな声で話しかけてくる。毎日毎日懲りないものだ。僕のようなクラスで目立たないクソ陰キャに、どうしてそこまでしてくるのだろう。その本意はいまだに分からないままだ。そこは少しだけ興味のあることだ。
依然として、隣から聞こえてくる声に耳は貸さない。
「おーい。オタクくーん? どうして無視するのかなぁー? もしかしてボクのことウザいとか思ってるのー? ひどいなー、オタクくんはー」
勝手に決めつけないでほしい。
「あーあ。そんなこと言われたら、いくら心の広いボクでも傷つくものだよー。あーあ、本当にオタクくんはひどいやつだなぁー」
言ってないのだが。
「クラスのみんなにも、オタクくんが本当はひどいことを平然とする人間ってことを教えてあげなくちゃだねー。ねぇ、みんなー……」
「それは困る」
僕は直前になってようやく動いた。クラスに悪いウワサが流れれば、どんなに静かで目立たない陰キャな僕でも、もしかしたら迫害を受ける可能性があるからな。いや、流石にそれはないか。
とにかく、僕はさっきから隣でうるさい彼女の口を手で塞いでやった。これで何も言えまい。塞いでいる間はな。
「な、なに……? なんでそんなに嬉しそうなの……?」
口元が隠れていても分かるほどに、笑っているのが見受けられる。
彼女は僕の手をどかした。やはり嬉しそうだった。満面の笑みを目にした僕の感想は、ただ単純に可愛いというものだ。
「んふふー」
「……」
「んふふふー」
「どうしたの?」
「いやー。オタクくんがやっと反応してくれて、嬉しかったからさー。ちゃんとボクの声聞こえてたんだねー」
「うん、まぁね」
「でも無視しようとしてたよねー」
「……」
「イジワルだなー。ダメだぞー、女の子にそんなことしたらー。ボク、オタクくんのこと嫌いになっちゃうぞー」
なんだか楽しそうだった。
僕はすぐにラノベの方に目を移す。
「まぁー……」
なぜか彼女の声が間近で聞こえた気がした。なんというか、耳に近いところからの声のようだった。突然のことで少し体が硬くなる。
「嫌いになんて、ならないけどね……」
僕の推測はあたっていた。彼女は耳元で囁いていたのだ。
「……」
ラノベの内容など頭に入ってこなかった。
そんなやりとりを終えて、僕の隣の席のギャルである『
****
私立『泉が丘高校』の二年A組に在籍している僕と、そんな僕に毎日絡んでくる彼女、小鳥遊さんとは、二年生に進級した時に知り合った。たまたま席が隣同士で、見ての通り陽キャオーラを惑っている彼女は、初対面である僕に挨拶をしてくれた。
その挨拶というのが、僕は衝撃的だった
「君ってもしかして陰キャ?」
恐怖を覚えた。こんなに可愛い子が初対面の僕に向かって、まずそのようなことを聞いてきたのが怖かった。こんな感じだったから、僕は最初彼女のことが苦手だった。
挨拶なのかも分からないけれど、とにかく彼女は僕に声をかけてくれた。進級して最初の時間は、大体クラス全員の自己紹介から始まるものだ。クラス替えがあったのだから当然だった。
「
そんな淡々とした自己紹介をして、すぐに誰にも触れられずに終わるはずだった。
「いやぁ……それだとなぁ……。少なくとも自分の好きなものとか、一つでもいいから言ってほしいんだけどなぁ……」
担任の先生はそう言って、僕の時間を延長させた。ちなみに女性の先生だ。
マジかよ。もう終わりでいいだろ。まあ、いいか。さっさと終わらせよう。
「えー……。好きなものは小説です」
「……」
「なんですか、先生?」
「いや、それでいい。なら次!」
ほっとした。しかし僕は一つ、ある失態を犯した。
「ねぇねぇ、メガネの君」
「は、はい……?」
「小田くんだっけ? 小田くんってさー。下の名前はなんて言うのー?」
隣の席の女の子はそう聞いてきた。
そういえば、名字しか言っていなかったことを思い出した。
「え、えーっと……。知りたいですか……?」
「うん! てか、なんで敬語なの? ウケるー」
「……」
「なんで黙るのー? はやく教えてよー」
彼女は僕の横腹を指でツンツンと小突いてきた。その際の掛け声のような『うりゃうりゃー』というのがとても可愛かった。
「くも……」
「へ?」
「だから、
「雲……。くも……。
「そう。それが僕の名前」
「小田曇……。おだくもり……。おたくもり……」
「『た』じゃなくて、『だ』だよ」
「ふーん」
何かを彼女は考えていた。
「おたくくん……」
「え?」
「うん、オタクくん……。オタクくんだよー」
「え、何? なんの話?」
「いやー。名前だよー、名前ー。君の名前ー。オタクくんっていう名前にしないー? なんだかオタクっぽいしー」
「え、いや、なんでそんな急に……」
「これからよろしくねー、オタクくーん。あ、次はボクの番だねー」
順番が回ってきたため、彼女はゆっくりと立ち上がり、自分のことについて話し始めた。
「ボクは
僕とは違いとてもスムーズだった。
「銀髪……」
「背が高いな……」
「スタイルも良いな……」
「おまけに美人……」
「極め付けに、胸がデカい……」
そんな声が聞こえてきた。主に男子だった。ヒソヒソと話しているから、本人は分からないとは思うけど。まあ、彼らの言っていることは本当のことだし、僕も彼女を初めて見た時に思ったことだった。
彼女……小鳥遊さんは、自分の自己紹介が終わる際に、なぜか僕の方を見て、ニコっと笑った。なんだ? 別に笑顔にさせるようなことはしていないんだけどな……。
小鳥遊さんは席に座る。
「自己紹介は自分の紹介なんだから、ちゃんとフルネームを言わないとダメなんだぞー。分かったかなー、オタクくーん」
「どうせ僕の紹介なんて誰も聞いてないし、誰も覚えてくれないよ」
「卑屈だなー。そんなことないよー」
「じゃあ、小鳥遊さんは僕の好きなもの言える?」
「え、えーっと……」
小鳥遊さんはまた少し考える。
「ほらね、一番近くにいた君でさえ……」
「小説! 小説だー!」
「……正解」
「やったー! ふふーん! ボク、実はちゃんと聞いてるんだよー? なんてったって、面白いものが好きだからねー」
「……? それ、僕と何か関係あるの?」
「あるよー? オタクくん面白いもん」
「へぇ、そりゃどうも」
「あれー? もしかして照れてるなー? ボクに気に入られて照れてるんだなー?」
「照れてないし、照れるわけがない」
「嘘だー」
「嘘じゃない」
そろそろうるさくなってきた。流石に声がこれ以上大きくなると、先生に注意されそうだな。というか、すでにこっちを見てきてるし。進級早々に面倒くさい生徒認定されたら嫌だった。
「小鳥遊さん? 少しボリュームを下げようか」
「やだー」
「静かにしよう」
「いやですー」
「はぁ……。じゃあ僕は一人で本を読んでおくから、どうぞ一人で騒いでいてくださいね」
「騒いでるってほど、うるさくしてないよー」
「……」
「んー? だんまりかなー?」
「……」
「うりゃー、うりゃー」
横腹を小突いてきた。仕方なく僕は反応した。
小鳥遊さんのイタズラな手を握り、彼女の机の上にそっと置いた。
「やめようね」
「やだー」
「やめましょうね」
「やだー。だってオタクくん面白いんだもーん」
「頼むからもう終わろうね」
「あははー。オタクくんって本当に面白いね〜。ボク、君のことすっごく気にいっちゃったなぁ〜」
その日から、僕は彼女にやたらと絡まれることになったのだ。
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姉線香です。新作です。がんばります。
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