第8話
「オタクっちー!」
いきなり後ろから名前を呼ばれた気がしたため、僕はすぐに振り向いてみた。当然その名を呼んだ主がいる。金城さんは歩いて僕と蝶番さんの方に向かってきた。
いや、その前に僕の名前のことについてだが、自分でも分からない間にあだ名である『オタク〇〇』というのが段々と普通になり、定着してきた。自分の名前を忘れちゃいそうだし、勘違いを起こしそうだから一応本当の名前を心の中で言ってみよう。
僕の名前は……。
「オタクー? 音葉が呼んでる」
「ああ、うん」
「って言っても、あっちからこっちに向かってきてるか……」
蝶番さんは名門の国立大学の参考書を開きながら、向かってくる金城さんを見ていた。
そしてその本人が無事到着。まあ、本屋で無事じゃないことなんてありえないんだけど。とにかく、彼女は僕らの目の前に、否、僕の目の前で止まり、顔を覗き込んできた。
今度は金城さんかよ……。さっき小鳥遊さんにやられたんだが……。
その可愛らしい顔を間近で見られてラッキーと思うが、僕は彼女の不満そうな表情に気づいた。
「なんか二人とも距離近くない? 瑠璃奈に関しては何? あんなに半径二、三メートル内には入ってほしくない唯一の人間って言ってたじゃん……。今は余裕でオタクっちの隣にいるし……」
「えっ?」
金城さんに言われ、蝶番さんは周り、というか僕の方を確認する。ぐるりと首を回した先には、すぐに僕の顔あたり。しかし僕の方が少しだけ背が高いため、顔というよりは首のところらへんなのかもしれない。
「うっ……」
「えぇ……」
なぜそんなに不気味そうな声を出すんだよ。
「うん? ん、おぉ……」
「どうしたの、蝶番さん?」
「え、いや……って近っ!」
叫び、僕を押して自身が下がる。さらに下がったあとに、まだ後退りをしつつ僕との距離を調節していた。
「あ、あんたなんでそんなに近くにいんのよ! びっくりしたぁー! 突然すぎて心臓止まるかと思ったぁー!」
「だって蝶番さんが参考書について聞いてくるから……。僕もずっとここの辺りで読んでただけなんだけど……」
塾の時同様にぶたれると思ったが、流石に公共の場でそのようなことはしないようだった。蝶番さんがいきなり叫んだ時点で、物理的な攻撃を受けると推測していた。あの短時間で恐怖心は少なからずあったのだ。本当にやってくる可能性はゼロではなかったため、僕も少しだけ後退りはした。
「離れろ」
「は、はい」
「近寄るな」
「はい」
素直に返事をする僕。まるで従順な犬だった。
「あれ? いつもの感じに戻っちゃった。ウチの勘違いかな?」
「多分そうでしょ。アタシがこいつと仲良くするのってありえなくもないけど、基本的にはありえないし……」
「ありえる場合もあるの?」
「さっきの状況がそうだった。だからここの本屋さんで真面目に参考書を選んでたのよ。この男と一緒にね」
「あー……。現在進行形ではないの?」
「ではないね。しかもさっきのも、アタシがこっちの方に夢中になってたせいだし」
蝶番さんはピラピラと見せびらかすようにして、その参考書を動かす。
「これ買うわね」
「はい、どうぞ」
「さっきの時間、付き合ってくれてありがとね」
この人は本当に分からない。何をしているのか、何を言っているのか。感情の起伏が激しくて、そして何よりひとつのことに対してのクールダウンが早すぎるのだ。
「とりあえず瑠璃奈の時間は終わり! 最後は綾だね」
「そういえば小鳥遊さんは?」
「もうすぐで来ると思うよ。トイレでの電話が終わり次第、こっちに来るらしいよ」
本屋はそう遠くないし、むしろ近いからすぐに僕たちのことを発見できるはずだ。
ここで待ってみようかな。
小鳥遊さんのやる気のなさそうな癒し系の声がするまでその場で僕たちは待機していたのだった。
****
少ししてから、小鳥遊さんが合流した。
「さぁっ! 最後はボクだね! やっとオタクくんとのデートだね! 楽しみだね!」
「う、うん……」
最高の笑顔になっている小鳥遊さんが可愛すぎて、ついコミュ障が発動してしまう。女の子はそういう男に対しての好感度が比較的に低いことがある。彼女とはこれからも友好的な関係でいたいものだ。別に彼女が女の子だからというわけでもない。隣の席だから、影響力が強いから、とか色々と理由をつけることは簡単だし、可能だ。
「デートデート! んふふー!」
どうしてそんなに嬉しそうにしているのか分からない。僕とのデート(デートと言えるのか分からないけど)を快く受ける人などこの世にはいないはずだ。いるとしても、その人は僕のことを一ミリも知らないことだろう。
それにしても、なんだろう。すごく近いんだが。しかも小鳥遊さんのその豊満な胸が思いっきり、腕に押し付けられて、僕はその柔らかさを感じずにはいられない。もはや彼女の方から当てに来ているとまで言えそうなほどに、みっちりと隙間なく。
「小鳥遊さん? は、離れようか……。当たりすぎだよ……」
「んー? なんのことかなー?」
「え、えっと……。その……腕に……」
すると小鳥遊さんは、口角を上げて僕の腕を抱きしめてきた。完全にわざとやってるな、これ。
それを見ていた金城さんは、なぜかまた不満そうだったけど、こっちはそれどころじゃないため普通に知らないふりをしてしまった。
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