第9話

 むぎゅー。


 そんな擬音で表現するのが適切だと思う。小鳥遊さんは僕の腕に抱きついて、とても心地良さそうにしている。近いし、色々な彼女の柔らかなものが当たっているし、何より僕はそんな状況が恥ずかしかった。


 基本的に感情表現が苦手な僕だけど、実はしっかりと羞恥とか歓喜という感情は持ち合わせている。それが本来なら普通なのだけれど、過去に色々とあったせいで、それらを人に伝えたりするのが難しい、というよりは下手くそになってしまったのだ。しかしきちんと顔が赤くなる時もあるし、心臓が速くなる時もある。


 とにかく僕は現在、とてつもなく恥ずかしくなっているのだ。この横にいる彼女のせいで。もはや横ではなく僕の体の一部になっているのかもしれない。吸収でもしているのか、僕。いや、逆に小鳥遊さんが僕の体に入り込もうとしているのか?


 どんな人間だよ。


「んふふー! オタクくーん……!」

「た、小鳥遊さん……? いい加減に離れてくれないと……僕が恥ずかしさで内部から崩壊しそうだよ……」

「恥ずかしいのー?」

「うん、そりゃあそうだよ……。僕じゃなくても、他の人でも同じように羞恥心が生まれることだろうし……」

「なんで恥ずかしいのー?」

「なんでって……。だってこうやって密着してこられたら、周りの目が気になるに決まってるじゃないか……。それに……あとは……その、色々と当たってるし……」


 ニヤニヤと、彼女は小悪魔的に笑ってみせる。可愛いが、どこか不信に思う。まさかわざとか……?


「当たってるってどこがー? 具体的に言ってみてよー、オタクくーん」

「ちょっ、だからそんなに押しつけてこないでよ……。ただでさえ小鳥遊さんのは大きいんだからさ……」

「だから何が当たってるのー? それにボクの何が大きいのー? 気になるなぁー」


 またニヤニヤしながら、これでもかと胸をぎゅーっと、まんべんなく腕に感触が伝わるように押しつけてくる。圧迫。プレス。これだけでは何をされているのか分からないだろうし、それに何かすごくキツそうなことをしてそうに思われるだろうな。それが本当は、こんなにエロティックなことだとは誰一人として想像はできないと思う。


 流石に僕はもう耐えられなくなり、少し強引に小鳥遊さんを離れさせた。


「あぁ、もう……」

「やめてほしい、と言われたらやめるのが優しい子のすることだよ。つまり小鳥遊さんは……」

「優しくない、と?」

「そうなるね。しかもさっきからニヤニヤしてたから、ずっと密着してたのもわざとだったよね? イジワルなんだね、君は」

「う、ん……」


 シュン、と。悲しそうに、寂しそうに、そんな感じが僕に訴えかけてくる。


 やばい、なんか悪いことした気分だ。


「いや、その、気を悪くしたのなら謝るよ。僕の方がいけないよ。小鳥遊さんはいつもこういう距離のスキンシップが普通なんでしょ? 僕が君に合わせなかったのがダメだったよね。ごめんね」

「フッ……」

「え?」

「フフフフッ……! あはははははっ!」

「え、何?」

「どうしてオタクくんが謝るのー? 絶対にボクが悪いのにー。オタクくんってもしかしてすぐに人を信じちゃうタイプ? さらには泣いている人をすぐに励まそうとするタイプなのー?」


 ケロっと、さっきまでのが嘘だったように、小鳥遊さんは密着していた時の感じに戻っていた。


 つまり先程のシュンとした態度は全て、嘘だったのである。


 人間不信になりそうだ。もう誰も信じられないかも。



 ****



 少し歩いた。小鳥遊さんはまだまだ止まらない。


「ねーねー。オタクくーん」

「もういいです。気を遣った僕がバカでした」

「そんなに怒らなくてもいじゃーん! せっかくボクとのデートなんだからさー! 今日くらいは多目に見てくれてもいいんじゃないかなー?」

「今日くらいはって、僕あんまり怒ったりはしない人間だけど」

「たしかにオタクくんのそういうところは見たことがないなー」

「まあ、僕が単純に怒らないだけなんだけどね」


 小鳥遊さんは『ふーん』と鼻を鳴らした。


 すると先ほど離れさせた小鳥遊さんが、また僕にジリジリと接近してくる。一歩、二歩、三歩。ジリジリ、ジリジリと。僕は後退りをする。


「んー?」


 上目遣い。これほどまでに可愛らしい上目遣いは、今まで生きてきた中で見たことが一度もなかった。大きくてキラキラしたようなその瞳は、しっかりと僕のことを捉えている。


 可愛い。綺麗。美しい。そんな感想しか出てこない。


「ん……」


 小鳥遊さんは両手で何かを持ち上げた。僕は彼女の瞳に夢中になっていたため、それがなんなのか分からなかったけど、認識するとそれは……。彼女が腕に力を入れて持っているそれは……。たしかに重たそうな、大きくて柔らかそうな胸だった。


「ど、どうしたの?」

「ん……。これ、ボクのおっぱい……」

「おっぱ……って、小鳥遊さんみたいな人はそんなに性的なことを言ってはいけないよ。それで? 君のその胸がどうかしたのかい?」

「怒ってるから、オタクくんの怒りを鎮めようと思って。これを触れば自然と心が落ち着いて……」


 コツン、と優しくチョップをしてやった。食らった小鳥遊さんはすごく不思議そうに、僕を見上げる。あまり身長差はないため、すこし斜めくらいで見つめているのだ


「いて」

「痛いわけないでしょ……」


 またコツン、と優しくやってみる。


「いた」

「痛くない」

「でも衝撃がくるー」

「当然だよ。頭部の触覚が衰えていない証拠さ」

「ボクのことぶったなー。ひどいよー、オタクくーん」

「なんて人聞きの悪い……」

「本当のことだもんー。オタクくんがボクの頭にチョップしたー」

「いいや、チョップじゃないよ」

「じゃあ何かなー?」


 縦にして頭に小指を接触させている手のひらを、今度は平べったく横にした。これで手のひら全体で小鳥遊さんの頭を触ることができるようになるのだ。


「あ……」


 わしゃわしゃ。数回撫でてみる。そして指導する。


「女の子が男の子に胸を触らせようとするのは、もっとやってはいけないことなんですよー」


 とりあえずこれで、小鳥遊さんは胸を当ててくることはもうしないだろう。僕に頭を撫でられて、気味悪がらない女の子など、おそらくこの世に存在しないことだと思う。気持ち悪いだとか、気色悪いだとか、気味悪いだとか、そんなことを思ってくるはずだ。小鳥遊さんには悪いけど、からかって来る人を僕は真っ向から返り討ちにしていく人間だから、これ以上させないためにも少しくらいは自分の好感度を下げるのも策である。もうしてこないと思う。多分。


 手を離してみると、小鳥遊さんは動かない。気分が悪くなってもう動くこともできないとか、そんなことがあるかも知れない。とにかく僕は、彼女が逆痴漢的なことをもうしてこないためにやったのだ。決して何も理由などなく、本能的にただ触りたかったという痴漢犯罪めいたことは思っていない。マジで。本当に。それだけは絶対にない。思ってない。


 動かないと思っていたが、それは体のことだけであり、活発に運動している部分は意外と動いていた。いや、全然意外じゃない。そりゃあ僕のような人間に触られれば、困惑するのは当然のことだ。大きくて綺麗な目は、パチクリと開いたり閉じたりを繰り返して。セクシーな膨らみを持ち、リップを塗ったツヤのある唇は、上唇は上に行ったり下唇は下に行ったりと、ものすごく動いている。というか小鳥遊さんの唇って、なんかエッチな感じだな。


「今、何を……」

「え? うーん、頭撫で撫でかな」

「え……あぁ……はぁっ……」


 やっと状況を理解した小鳥遊さん。これで僕という人間の気持ち悪さを感じるんだな。僕は彼女の豊満な胸攻撃から解放されることだろう。


「ぐっ……くっ……くふぅっ……」


 さあどうだ! 嫌がれ! そして僕のことを『気持ち悪いクソ野郎』とでも思え! 忌み嫌ってくれ! 頼む! もう胸をくっつけてこないでくれ!


 なんか悪役みたいだな。


 しかし……。


「あれ? なんで顔が赤くなって……。おかしいな、これで僕のことを嫌うはずなんだけどな……」


 ほのかに、なんてレベルじゃない。見ればすぐに分かるほど。それくらいに小鳥遊さんは赤くなっていた。いや、なんで? 本当に分からないんだけど……。


 熱いのか、自分の顔を手で覆う小鳥遊さん。指の隙間から僕をチラリと見て、そしてすぐに隙間を無くし窓を閉めるようにした。


「うぅぅ……。み、見ないでぇ……!」


 何が起こっているのかさっぱり分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る