第13話

 翌日になると、すっかり昨日の疲れはなくなった。あの日は家に帰ってもどっしりとした重みが身体中に残り、精神的にも身体的にも辛かった。しかしその辛さは昨日のうちであり、朝起きると嘘のように軽くてびっくりした。早く寝たのも効果的だったのかもしれない。やはりしっかりと睡眠を取ることは大事である。


「ふぁ〜……」


 しっかりと睡眠をとった割には、あくびをしていることに疑問を持つだろうが、大体起きた直後には大きくあくびをするのが当たり前だ。だから別におかしなことではない。これは生理現象と言ってもいいほどだ。


 腕を使って枕がわりにしてみると、意外にも枕になることに気づいた僕は、早々に実践し、少しの間はリラックスしようと思っていた。


 するとそれを妨害しようとしてくる女の子が、僕の隣の席にいる。小鳥遊さんである。


「オタクくーん」

「……」

「もうー、寝ないでよー。ボクがオタクくんとお話ししたいんだからさー」

「君がしたくても、僕はしたくない……」

「そんなに酷いこと言わないでよー。ほらほら、起きてー。こっち向いてー」

「……いやだ」

「はぁ……。しょうがないなー……」


 何がしょうがないんだよ。そのセリフ絶対に僕の立場が言うべきことだろうが。


 無駄なツッコミはせず、穏便に済ませた。小鳥遊さんはそれを好機として僕の睡眠を阻害してこようとしてきた。


「んー?」

「……」

「オタクくーん……。ボクの声聞こえてるー?」

「……」

「何も言わないってことは肯定として受け止めるよー? それでいいのー?」

「……」

「いいんだねー? とりあえずボクの声は聞こえていると……」


 僕はあえて何も言わない。


「オータークーくーん?」

「……」

「反応なしか……。それなら……」


 小鳥遊さんは、何やらもぞもぞと僕の腕を弄り始めた。なんだ? なんだそのちょっかいは。そして、何だそのいやらしいような手つきは。僕の腕はそんなにエッチなものなのか?


 色々と疑問に思ったが……、とにかく彼女は僕の邪魔をしてくるのであった。


「ふぅー……」


 ふんわりとした空気が、僕の耳元を通過する。そう、小鳥遊さんは本気で僕のちょっとした睡眠を邪魔しようとしているのなら伝わってきた。僕は対抗して頑なに反応をしなかったが、それもすぐにあっけなく陥落することになる。


「大好きだよー……オタクくーん……。好きすぎてボク、おかしくなっちゃいそうなほどにね……」

「くっ……! クソ……!」

「好きー……。好きー……。大好きー……。オタクくん大好きだよー……」


 もう流石に耐えられない。わざとやっていることでも、まるで本当に僕のことを好いているかのようにまで聞こえてくる。これに敵う人いるか? 僕は簡単に反応してしまう。


「や、やめようか、小鳥遊さん……。そ、そういう思わせぶりなことを言うのは、よくないんじゃないかな?」

「あ、反応したー」

「そりゃあね」

「そんなことより、さっきオタクくんが言ったこと。思わせぶりー? 何のことかなー? てゆーか、あれー? オタクくん、顔がすっごく赤くなってるよー? もしかしてドキドキしちゃったとかー?」


 すっとぼけつつ、ちゃんと僕の赤面をいじってくる小鳥遊さん。今回は僕の負けにしておいてやる。しかしいつか必ず返してみせるからな。その時は何倍も恥ずかしがらせてやる。そう心に誓った。


 自分の顔の熱が、いつもより数倍高くなっていながら……。



 ****



 お昼頃。


 いつも通り小鳥遊さんは僕と隣の席で、蝶番さんや金城さんのいつメンでおしゃべりをしていた。


「へぇー! そうなの!? じゃあ今日はそこ行っちゃう? ウチは全然大丈夫だけど」

「アタシも別に予定はないし、行ってもいいかなー。綾は?」

「ボクも行けるよー? でも……あっ! そうだ! ねえねえオタクくーん!」


 三人で話していたはずなのに、何故か唐突に僕の名前を呼んできた。聞き間違いではなく、確実に完全に正真正銘僕を呼んでいた。小鳥遊さんの声は特徴的で、高く綺麗で透き通っており、おまけにどこか癒される声であるため、それは一瞬で分かることだった。


 嫌々僕は対応する。


「はい」

「オタクくんってさー、放課後何かあるのー?」

「はい?」

「何かあるのー?」

「……へ?」

「ちゃんと返答してよー! また『何かあるのー?』って聞かないといけないじゃーん!」


 困惑しているのがバレるほどに、僕はとてもオドオドしていた。


「いや、ちゃんと聞いてますけど……。ちゃんと聞こえてますけど……」

「聞こえてるならそれでいい! だけど、無視はよくないぞー!

「ごめんごめん。それで? 放課後……だっけ?」

「そうだよー! 何か用事とかあるのー?」

「ごめんけど、今日は放課後には大事な大事なバイトの時間があるんだ」


 小鳥遊さんは僕の返答にポカンとする。聞いてきたのはそっちの方だと言うのに、その反応は何なんだよ……。すこし恥ずかしいじゃないか。


「えっ、ちょっ、えっ? ば、バイト?」

「うん」

「バイトって、あのバイト? ほ、ほら、学生が働きやすくて好かれていると言われている、あのバイトかい?」

「あのバイト、だけど?」


 やってしまった。言ってしまった。軽はずみな行動はのちのち苦しむことになる、と子供の頃に教えられたはずなのに、何も実践できていない、


 小鳥遊さんが驚いていると、横から金城さんが僕の口を押さえてきた。


「……」


 無言の圧力。結構怖いな。この子、こんなに圧力かける子だったっけ。


 何も言うな、とでも言いたそうな顔をしていて、僕もそれを察する。しかしもう言っちゃったわけだし……。もう、どうしようもないんだが。


「ふーん。バイトねぇ……」

「えっ、オタクってバイトしてんの? 初耳なんですけどー」

「そうだっ! 今日はアソコじゃなくて、オタクくんのバイト先でみんなで突撃しようよー!」

「あ、それいいかもー。なんか面白そうだしー」

「えっ!? で、でもアソコは? 最初はそこに行くっていう話じゃ……」

「オタクくんがバイトしてる姿見る方が面白そうじゃない?」

「たしかにそうだけど……」

「じゃあ決定ねー! それじゃ、オタクくん。今日は君の働いている姿を間近で見させてもらうよー!」


 いや、来なくていいですけど……。


 ちらりと金城さんの方を興味本位で見てみると、とても困り果てたように感じられた。


「や、やばいよぉ……! イケメンなオタクっちがバレちゃうぅ……!」


 大丈夫だよ。バレても何も起きないよ。だって僕はイケメンじゃないからね。そう優しく言ってあげたかった。


 とにかく僕の放課後は、また彼女たちに侵食されてしまうのだった。

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